りすんおぼえ、また会ったときに覚えてたら言うけど忘れるんで書きつけとく。
ヒヒョーやヒョーロンがしたいわけじゃないのでできれば直接話したり狙いを聞いたりしたいのよ。はまじにはちょっと言った。
奥の壁面と三方のカーテンとで閉ざされた白い四角な立方体で、お骨箱みたいな舞台でしたね。
で、カーテンが開いたとき三方向が抜けているから開放感があるかっていうと、トイメンに人の顔があるんでぎゅっと寄せ集められてる感じがすごいした。(入り口そば脇正面にて観劇)
あたりまえだけど皆凝視してるし。耳ある壁に目ある障子となりて。
「三面舞台だと映像の光が直接目に入って煩わしい」とじい。同意見。
文字の上のわたしたちをわたしたちの上に投射するっていう狙いなんだろうなあ、と、意図や意味はわかるけど効果はわかんない。プロジェクタと照射対象(客席)も近いし観る目と投射物(客席)も近いし。映像的にはもっと広い空間のほうがいいんだろうな。でも広くなったらこの「聞き耳を立てている」感じは薄れちゃうんだろうな。
原作をとても真面目にまっとうに演劇化した演劇だと思いました。
原作からもう少し逸脱したらもっと面白かったかもしんない、真面目すぎて息が詰まる。
群舞はないほうがよかった。イメージも繋がらないし。たとえばペアの踊りならまだ繋がるんだけど。
原作は生死不明、どっちともとれるラストで、天野さんのは生きてると解釈するのは困難だなあ。オモテとソト。ああ外ってそういう、出ちゃいましたか。
舞台上の物がとっぱらわれて終わるKUDANスタイルだけど受ける印象はぜんぜん違うな。がらーんっていう感じがしなくて。視界に人の壁があるせいかな。いや、劇終のカタストロフじゃなかったカタルシスが無いんだ。なんでだろう。
団子先生の芝居はいつも「リアルじゃねえなあ」をめぐる冒険という気がします、リアルじゃないのは演劇だけじゃなくて今こうして観とるここ、こっちもなんだけど、
今回はなんかふつうにリアルを目指すお芝居だった気がします。目指したかどうかは訊いてないけどそう見えた。あんなにメタフィクションやっててもそう見えた。
どうしてそう感じたかどうして思ったか、「感じるな考えろ」、もう少し頭で考えます。考えないと馬鹿になります。