2014年12月5日金曜日

補遺

先のエントリーに補遺注釈。


 


1970年代半ばの名古屋市内商店街。店舗の並びは不正確。


 


カバン屋さんは同級生マキちゃんの家。数件挟んだところの工房は1階が倉庫、2階が工房で材料のレザーが大量に吊るしてあった。


 


本屋さんでは「ふくうちわ」の景品で『きょうのお献立』をもらった。60円で買える「ピクシー絵本」のシリーズがマイブームでした。


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まだある、きょうのお献立。


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今なら上沼恵美子が「これはもう記念日の料理ですね!」って言うやつだな。


 


ふとんやさんではやっぱり「ふくうちわ」の時にタオルケットをもらった。


 


パーマ屋さんのマルチーズは耳の毛先がピンクに染められていた。たまに紫。


 


キドカラーの鳥は「ポンパ君」というらしい(今知った)。薬局にはサトちゃんとケロちゃん、レコード屋にはビクターの犬(ニッパー君)の立体看板があった。こうやってゆるキャラ的なものに慣らされてこんにちのゆるキャラブームがあるのかもしれない。


 


電器屋さんのシェパード。名前は忘れた。いかつい顔で賢い。幼児目線だと猛烈に大きい。


 


電器屋さんと風呂釜屋さんが並んでいた気もする。そして風呂釜屋さんじゃなくてガス屋さんだったかもしれない。近隣に銭湯は3軒あってまだ自家風呂率は高くない。


 


公園のアオキ。昭和の流行樹木なのか、新しめの公園ではあまり見かけない。万年青の植え込みとかも。


 


アーケードの中の市場。正式名称「○○公設市場」というやつ。うちでは「コーセツ」と呼んでいたが、今思うと珍しい略し方のような気がする(ふつう「市場」じゃね?)。


 


八百屋さんは同級生ヒロミちゃんの家。


 


パン屋さんは自分とこで焼いてるパン屋ではなくてシキシマとかヤマザキの袋パンが陳列してあるようなお店。


お店で焼いててしかもセルフでトングで捕る、もとい取るようなパン屋さんは黒川まで行かないとなかった筈。


 


子供でもお遣いができるくらいタバコの名目が少なかった時代。というか今は子供にタバコのお遣いさせちゃいけないのか。


 


イルミネーションはLEDではなく豆球。LEDに較べるとかなり暗かったと思うけどやっぱり明るかった。


 


ケーキ屋さんのドアはある時改装して自動ドアになった。今思えば商店街で初めての自動ドア導入店だったような気がする。お店は「トリアノン」という。最近まで営業していたけどついに廃業なさったようす。


昭和のバタークリームケーキというとまずかったものの代表のように言われますが(給食の鯨肉とタメを張る)それでもケーキ屋さんのはだいぶ良かったと思う、真の地雷はパン屋さんが軒先に並べるクリスマスケーキ。


当時の(地方都市の?)ケーキ屋では生の果物なんてほとんど使ってなかった覚えがある。今でも東片端の「ボンボン」に行くとあの頃のラインナップがおおよそわかる、ショートケーキのイチゴくらいしか生フルーツ使ったケーキがない(だからショートケーキが一番値段が高い)。


 


おもちゃ屋さんの記憶がびっくりするくらいない。母が遠ざけていたのかもしんない。


そういえば「あれは大きいお姉さんたちの行くお店だから」と言って出入りを禁止されていた雑貨屋かなんかもあった。大きいお姉さんと言ってもアダルトではないのね。


 


近隣では集合住宅以外で2階建の民家はまだあんまりなかった。あといわゆる長屋もまだ健在だった。脱腸で入院した方のヒロミちゃんが長屋住まい、あと裏のじいちゃんちも長屋だった。


 


裏のゴンもシェパード系雑種。この頃の流行りの犬種だったのかも?


狂犬病予防注射の際にじいちゃんに噛み付いてそのまま保健所送りになった。


 


木の柵と門は母の工作。


もしかするとレンギョウは裏庭で、表庭にあったのはエニシダの木だったかもしれない。どちらも春先に黄色い花が枝いっぱいに咲く。


 


☆☆☆


 


職場の人と話してても実家の人と話してても、朝方4~5時は魔の時間、急性炎症とか捻転とかの突発的な体調変化ってこの時間帯に起こす人多くないですか?


ぐっすり寝てたのに猛烈な痛みで目が覚めて時計を見たら5時前、っていう。


食中毒なら「夕食から○時間後」みたいな理屈がつくからわかるけど、それ以外のはなんでだろ?


 


というわけで再々度朝の4時に目を覚まして、痛みはさほどでもないけど眠れなくなっちゃったのでつらつらと記憶の散歩道を脳内散歩した、小1まで住んでいた街なので思い出していくと幼児目線になってしまう。


大人になるまで住んでいたら、当時は完全スルーだったとんちゃん屋とか焼き鳥屋とか赤ちょうちんとか、そういう方面がクローズアップされていたのであろう、アーケードとは外れるけれど土居下の駅近くの錦鯉のいる大人な喫茶店が将棋士の勝負の場であったことは知っている(賭け将棋が流行っていたらしい)。


 


そうしてなんだかめぐり合わせて、子供の目には止まらなかったお店に今になって通ったりするのもまたご縁、それでも記憶の地図は上書きされないんだけど。


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実はマキちゃんちの並び。