2018年1月15日月曜日

大掃除と鍋と夢

土曜、オージャ事務所の退去前清掃、わしわし掃除の時に手洗い癖が出るので「水が出ない」って最悪の事態、と後から気がつく。こんな時には「後の祭り音頭」を作って舞い歌いたい、あとのまつりあとのまつり♪

退去前になって初めて風呂場に灯りが点くことを小林さんが発見したり、トイレの奥に納戸らしきスペースがあることに気づいたり。だって今まであんまり積極的に探検したくなかったんだもん。
昔の住人が裏庭にむりむり増築した感のほったて風呂場、部屋で服脱いでいったん外出て下駄履いて風呂に向かわねばならん系。

日が暮れてからは田岡さん主催のいわむらの2階で飲むやつ、鍋旨い。ハマグリでかい。そして安い。
なんか貝占いの跡があったよ。

去年のたぬきの話から伏見の下ネタ炉端焼の話になって、なんかそんなお下劣な話題のせいかその夜の夢は艶笑小噺が大得意という3人の落語家が下半身丸出しでとっておきのネタを披露してくれるという嬉しくない夢でした。やめてよ。

介護と娯楽

先週は母の通うデイサービスセンターがテレビで取り上げられていた。通所6年目だかの妖怪御老人、じゃない要介護老人である。
テレビ愛知の番組というので東海地方のローカル番組かなあと思ったら全国区だったようです。
介護施設の中に(リハビリ&リクリエーションの一環として)パチンコやらカジノやらがあったり天然温泉があったり、っていう夢のデイサービス、使用されるのはリハビリ運動に励むと貯まる館内通貨。母から聞いてたのでだいたいの感じは想像してたけど、思ってたのよりもさらにご立派な施設であった、いっぱい教室があって人もいっぱいでお子たちも出入りしてて、なんだか学校みたいだねえ。

館内通貨制の取り組みについて、社長さんが「要介護になるとお金の管理は家族が握って本人が自由にできるお金が無くなってしまう」と言ってたのが印象に残った。
ああそうだよな、というか、それが当然すぎて意識もしてなかったけど、お金も自由にできなくて車の運転もできなくて身体も思うように動かなくて、という状態は、ちょっとした軟禁状態に似ている。施設内限定とはいえお金を稼いで好きに使えるのはたぶん被介護者の尊厳や矜持にも関わってくるんだろうなあ。


母は陶芸コースでリハビリと芸術創造に励んでおりまして、取材入ったらしいけどカットされちゃってしょんぼりしてたっぽい。意外にお年寄りはテレビ出たいもんなんだな。相撲取りとか名古屋城とか犬とか猫とか五郎丸選手とか個性的な焼物を日々量産しておられるが、フラワーアレンジメントやフラダンスの方が華があるからかなあ。

2018年1月11日木曜日

俄鉄

年末はガチャガチャの廃電車コレクションにはまりかけ、欲しい車両だけが出ない例のアレで2回目の両替をしかけた瞬間にハッと正気を取り戻して「今日のところはここまでにしておいてやらあ」ってなったのですが。
その後、電車の墓場ごっこの参考画像を検索していて大井川鐵道千頭駅の留置車両群の写真に行き当たる、何ここ行きたい超行きたい。
大井川鐵道が鉄好みとは知っていたけどそれはSLとかトーマス機関車とか転車台とかその辺りの蒸気機関ロマンのせいと思って通り一遍にしか知らなかった、千頭駅とか新金谷駅とか静態保存パラダイスがあったなんて。トーマス自慢ついでに教えてくれたらいいのに、もう。

というわけで2018年の目標、「大井川鐵道に乗る」が加わりました。
戦闘機とか貨物列車とか廃電車とかどうして自分が乗れないものにばかり心を掴まれてしまうのか。アイドルや2次元(特にBL)に恋しちゃうようなものなのか。絶対的傍観というスタンスでこそ萌え悶えるものがある、のかもしれないかもしれない。


SLにはさほど特別興味ないのです。ト言いながら、リニア鉄道館で展示されてるシロクニのボイラー見学した時はワクっとした。外燃機関いいよね…

2018年1月9日火曜日

初の夢的な

誰も保管してなかった30年くらい昔のイベントのチラシをたまたま保存していて上岡龍太郎にお礼を言われる夢

という長くて込み入った夢を見ていました。今年に入ってまともに覚えてる最初の夢がこれ。なかなか夢らしい夢です。
以下、長くてとりとめもない夢の記録を目覚めてすぐのメモから。

関西の芸人さん数人でやるトークイベントのシークレットゲストに上岡龍太郎が出るとかで、でスタッフさん(イベントプロデューサー?)が「昔1回だけこういう形式のライブイベントを名古屋でやったらしいんだけど、すごく小規模にやったものなので当時のチラシとか資料がどこにも残ってなくって」って言ってて、「あ、それわたし持ってます」、高校生の頃アングラな芝居観に行ってもらったチラシの中にあったのを今も保管してたという夢設定、「えっじゃあ当日貸してもらえる?」「いいですよ」、自分の古いチラシコレクションファイルを探す、A4版でタイポグラフィとひさうちみちおのワンポイントイラストを組み合わせたチラシであった。
でイベント当日会場に着くがまだ開始まではかなり時間があるので会場脇のお店で一杯ひっかけてこうかってする、ちっちゃいほったて小屋みたいなんに木のドアで中が見えない飲食店、店名はドアにペンキで「行司」と書いてあった、で開けたらご家庭の煮物みたいな醤油とみりん系のいい匂いがふわっと漂ってくる店内、席はカウンターだけで地元のおじちゃん達でいっぱい、昭和から変わってない内装とお品書き、おかみさんが振り返って「もう席空いてないのよ」と言うので諦める。いい雰囲気だったなー、ぜひまた行ってみたいなー、まだ4時なのに満員って相当いい店に違いないぜ、とか言いながら、まだ早いけどとりあえず会場入りする。
イベントステージにはさっき見たような古い飲み屋のカウンター風のセットが建ってる、常連さんが集って酒のつまみにあーだこーだ内輪話をするノリでトークするという演出らしい、客席に座ってた上岡龍太郎が「あ、昔のチラシ残しててくれたんはあなたですか、ありがとう」とか丁寧に挨拶してくれた、いやあの、イベントのチラシとかつい捨てられないたちで、とかなんとか返すと、その頃の雑誌でこんなんがあったけど読んでみませんか、と、30年くらい前の関西のサブカルチャー誌を見せてくれたんでお借りしてスタッフ楽屋で読む。
で、本番つつがなく終わったみたいなんで(観とけよ)、撤収作業の中を歩いてると誰かからワイヤレスマイク戻しといてって渡される、すぐそこで戸崎が作業してたんで「このワイヤレス音響さんの?」「えっ今回はうち用意してないよ、会館か舞監のじゃないかなあ」「分かった聞いてみる」「あ待って、これ元々うちの弟のやつだ、やっぱ私がもらっとくわ」みたいなやり取りがあって、そのへんでふわーんと目が覚めた。

旅先設定だったのかなあ、知ってる場所や店がいっこも出てこない夢であった。30年くらい前の関西小劇場イベントでチラシ画がひさうちさんとか、ところどころ妙に辻褄が合ってるのがおかしかった。
チラシはねー、保存してるけど別にそれが役に立つことってないよねー、ただ要不要じゃなくて捨てられないのよ、気質だから。



2018年1月8日月曜日

あなたの待つのも松の内〜♪

へー。
大晦日に名古屋市交通局の1日乗車券を買うと有効期限が元日の6時までになるんだねー。
除夜の鐘突きに行ったり二年参り行ったり夜明け前の市内寺社初詣巡りしたりできそうだねー。
とか言いつつ、実際にはもう寒いし眠いし人混みでウイルスもらうの怖いしで家であったかくして0時回った瞬間に就寝しましたけどね。年だからね。
そして新年起きて早々に手羽元カレーを鍋いっぱい作り始めた、31日に買い物行ったら消費期限ギリギリの手羽元が半額だったもんで。
今年はそんな感じで平素感重視の年明けでした。一人分のおせち作ってインスタ投稿するの飽きたってことよ。おせちもいいけどカレーもね。

アマゾンの箱を片っ端から畳んだり筋トレしたり、平素感溢れる連休でした。なかなか楽しい。
部屋の大掃除はなかなか進まないが、パソコン内のデータ整理はかなり進んだ。とりあえずテキトーなフォルダ名でとりあえずデスクトップに保存するのほんと良くない。仕事ではちゃんとできることがなんで家だとできない(しない)んだろー。中身見てリネームと移動を繰り返し、やっとデスクトップ上のアイコンがゴミ箱+外付けドライブのショートカットのみのスッキリした画面になりましたよ。

飲み初めは少人数で。
大正村とか昭和村とかの民具展示みたいな風情よねー。カッコいい。

あと最寄りの神社に初詣いっておみくじ引いたり、そこそこお正月気分です。


ガチャガチャの「廃電車」シリーズにハマったりもしてた。
電車の墓場を作って楽しく遊ぼう。
なにこのニッチ需要。なにこれヤバイ。

2017年12月31日日曜日

三十(みそ)日(か)

ファンシー文具と丸文字の親和性ったらなかったな、とふと80年代を思い出す。聖子ちゃんカットのファンシー絵女子…とか。ファンシー絵にローマ字でちょこちょこっとセリフを書き込むのは亜土ちゃんから続く伝統。


うつむき加減にぼそぼそっと喋るレジ店員さんの「五百一円 のお返しになります」が「ジャッキーチェンのお返しになります」に聞こえた。返してくれてもいいですけどね。財布に収まるかどうか。


勤務最終日は15時から職場で納会。オフィスで酒飲む経験、初めてです。何だろう背徳感とせめぎ合う快感。
海外技術協力プロジェクト帰りの社員さんのお土産のモンゴリアンウォッカ39°もいただきました。あと沖縄出張土産泡盛30°も。
納会ってこんなにがっちり飲むものなんだっけ、よくわかんないけど楽しいからいいや。
私のデスクじゃありません

モンゴル高級ウォッカの化粧箱(アルミ製)記念にもらって帰る、パスタ入れにする予定。チンギスハーンが睨みを効かせるぜ。


ちょっとここんとこ睡眠リズムが変で寝不足が続いてた、休みに入った途端に悪い虫に刺されたみたいに眠り続ける。これでリセットできるといいです。

2017年12月28日木曜日

末末

佐々木蔵之介の実家ということで知られる京都の佐々木酒造、猫好きの間ではHPの「従業員29名(ネコ含む)」の一文が有名。
その佐々木酒造から猫ラベルの吟醸酒が限定発売されていたので購入。
酒蔵のお猫様に一献献上的な絵面に。

誕生日プレゼントで貰った大人の科学の二眼レフカメラをようやく組み立てる。
フィルムはブローニー版か?と思ってたら、35ミリフィルム使用だった。でも今時35ミリフィルムもその辺で売ってないね。まだ試し撮りできてない。
ファインダを覗くとこんな感じ
左右反転にちょっと戸惑う。脳トレになるかもしんないな。

建築関係ってそうなのか?それとも課の特徴か?飲み会の多い会社である。少人数の課でいい感じの人ばっかりなのでイヤじゃない。というかふつーに楽しい。
今月は部の忘年会のあと課の忘年会、そして最終出勤日には納会の予定、そういえばクリスマス会もあったな。社員さんはさらに同期会の忘年会だの課長会の忘年会だの社内の組合の忘年会だの業界の組合の忘年会だの、激務の上に忘年会だけでそんな飲み会あっていつ家に帰ってるんだろうこの人たち、って感心する。
課の忘年会の二次会で入った個室居酒屋は足湯があるお部屋でした。もちろん全員で足湯したとも。
課旅行で温泉行きましょう話で盛り上がりましたよ。


仕事の内容が面白くてツール覚えるのが面白くてメンバーにも恵まれてていいお仕事ライフを送っていますよ。前の職場の上司には「ここよりいい会社なんて絶対ないから辞めちゃ駄目だよ」と言われ続けてたけど転職はしてみるもんだねえ。


冬の路上にそびえる謎の装置

2017年12月24日日曜日

年末臭

そういえば、今絶賛リピート中のダイソーの200円マーマレードはカルディのフルッタチェレスティーナマーマレードによく似ている。どっちもイタリア直輸入とあるし、生産元が同じかもしんない。
再入荷しなさそうな気配

フルッタチェレスティーナは210g入りで400円前後(時々セールあり)なので、ダイソーで約半額だ、よし勝った、と半額ゲッターは勝ち負けで考えがち。


会社帰りに栄に出ようと歩いてて、東新町のベストウェスタンホテルを越えたくらいのとこにパン屋さんが新規オープンしてたのに気づく。カフェベローチェの並び。あれいつの間に。それも食パン専門店という。

ちょうど「今日はちょっといいパンを買って帰ろう」と思っていたので試しに買ってみようか素通りしようか、店内を見るとパン好き女子でたいそう賑わっていて会社帰り風のおじさん達までパンを抱えている。おじさん達が並んで買うパンは(自分で食べるにせよお土産にせよ)なかなかポイント高いんじゃ無いかしら、と、購入決定、パンのラインナップは通常の食パンと国産小麦使用のプレミアム食パン、あとレーズンパンとチーズパンの4種。販売は1斤単位。レーズンパンを購入。
10月に開店したこと、以前はソフトバンクの代理店が入ってた場所なこと、お店の母体は「豆家茶寮」とかの豆腐料理屋さんを展開してる会社であることなどを気さくな店員さんがパン切りながら教えてくれた。
家でホットワインと一緒に頂きました、生でよし軽くトーストしてよし、おいしい大人のぶどうパンであった。
これはごひいきにしたい。


中日ビルが2019年3月閉館、丸栄百貨店が2018年6月で営業終了、うーん再開発。
どっちも馴染みのよく行くとこなのでなくなっちゃったら寂しいなあ、というか、栄で安く新鮮野菜買えるとこがなくなっちゃうなあ。ぴぴっとあいちはどこか移転するだろうか、ラーメン亭はどうなるだろう、丸栄なくなったら中古カメラ市とか鉄道市とか古着市とか毎年恒例イベントの常連さんが泣きますよ、ファストファッション大集合の丸栄スカイルも閉館なのかしら。

子供の本専門店の草分け的存在、千種のメルヘンハウスも来年閉店が決まったそうで。
寄るとついつい絵本や児童書を買い込んでしまう危険本屋なのでたまにしか行かないけどなくなっちゃうのか。


寂しい気分になる年の暮れです。

2017年12月21日木曜日

残すとこ10日

この冬はローソンまちカフェのホットミルクに嵌る。週に1回以上2回未満くらいの頻度で買って飲みながら職場に戻ったり家帰ったり。
去年好きだったメープルとくるみのホットビスケットは廃番になっちゃったけど、今あるのだとシナモン多めのパン・デビスも好き。ローソンLOVE。職場近くのローソンはお昼時には1レジ2人体制でサブの人が温めやら袋詰めやらまちカフェオーダー対応やらしてくれるので混んでてもホットミルク頼みやすい。もうLOVE&LOVE

この冬嵌っているといえば、ダイソーでなにげに買った200円マーマレードがオレンジの皮がざっくざっく入って苦爽やかな旨マーマレードで。リピート3瓶目に突入。
ジャム的なものの中ではマーマレードが一番好き。


回転体に布は鬼門ですよ労働安全衛生だの危険予知訓練だののテキスト読んでると必ず登場しますよ、軍手したまま切削ドリルで作業して巻き込まれたとかそういう事案が。
プレス機に挟まれるとか足場から自分が落ちる、または重量物が落ちてくるとかは簡単に想像できるから予備知識なくても身構えるんだけど、回転するものに巻き込まれるっていう危険は知らないとピンとこない気がする、というかピンとこなかった。あ、人間ってそんな瞬時に持ってかれちゃうんだ、そんな一瞬のことで指やっちゃったり腕やっちゃったりものによっては死んじゃったりするんだ、危険予知訓練の本は知らないスリルでいっぱい。昔、業務用シュレッダーでネクタイボロボロにしたFさんはまだラッキーだったんだなあ。


四の五の言わずに老眼鏡かけてみてください、手元がめっちゃ見やすいですよ。
わしわし眼鏡や裸眼ではなんも支障がないから無縁かと思ってた老眼鏡、最近急にコンタクトレンズ装着時に手元が凄く見づらくなって「何で?度が合わなくなった?」と思いながらもひょっとして物は試しにと100均の老眼鏡かけて見たらすっげー良く見えるんでやんの。これで天野さんの台本も縫い針に糸もなんでもござれでしたよ。
というわけで裸眼時には近視眼鏡、コンタクトレンズ装着時には老眼鏡といつなんどきでも眼鏡持ち歩く人になり。なんですかねコンタクトに眼鏡って。コンタクトでも手元さえ見なけりゃ快適なんですけどね。
そんな経験により同世代に老眼鏡オススメです。老眼鏡に抵抗がある人は「リーディンググラス」と呼んでみましょう。しゃらくさい感じになりますよ。


「うなぎ」の絶滅より身近では「うふぎ」が絶滅危惧種です。あの変体仮名のうなぎの看板、老舗によく掛かってたあれ。(「奈」の崩し字が「ふ」に似てるので「うふぎ」に見える)

一方そば屋の変体仮名は比較的健在ですね、今日も寺町のふつーの麺類食堂のショーケースに発見、「そば」は「楚」と「者〝」の崩しだっけ?まあ読めませんね。

ざるうにゃうにゃください。

2017年12月15日金曜日

かいもの、もらいもの

いきなりフルーツナイフの柄が根元からぱっきり折れた。びっくりした。切っていたのは先日の貨物鉄道博物館前に出店していたカフェのシュトレンで堅いものではない。堅くはないけどドライフルーツがみっしり入っているので粘着系の切りにくさはある。で、ナイフ折れた。
硬いものより粘着質の物の方が破壊力ある場合がありますよね。粘着榴弾的な。うちの母は昔しけったせんべいで入れ歯を割りました。
今回ワヤになったフルーツナイフは100均かホムセンで購入したもので10年以上使っていた。プラスチック部分の経年劣化もあろう。
よく切れる包丁はあるものの、やっぱり小刀的なものはある方が便利、無いと不便。というわけで、ペティナイフ情報をネットで収集、ビクトリノックスのパーリングナイフが高評価でお手頃なようである、これデパ地下でオススメされてたの見たことあるな、よし現物を見てから買おうかな、で、お店に行ったらビクトリノックスの隣によく似た特価品があって、ヴォストフとかいうドイツはゾーリンゲンのメーカー、maid in German、ゾーリンゲンというと日本では関の刃物、ビクトリノックスより更にお手頃価格になってるしいいんじゃない、で購入。
薄刃でスッススッスと切れるのでちょっと感動した、後から検索したらヴォストフのナイフ割とわしわしにとっては桁違いの高級品(業務用)らしかった、もちろんお高い業務用のやつは素材からしてモリブデン鋼とかで今回の特価品(ステンレス鋼)とは違うんだけど、信頼の刃物メーカーらしいのでええ買いもんをしたとホクホクしています。

それにしても今回購入のナイフ、ビクトリノックスのパーリングナイフとデザインそっくりなんだけど、もしかして元々ヴォストフのODMとかそんなことなんだろうか?


会社の同じ課の人から沖縄出張土産にブルーインパルスのクリアファイル(美ら島エアーフェスタ記念)を頂いて喜ぶわしわし。同好の士というのはいらっしゃるものです。
各務原は休日出勤で間に合わなかったってしょんぼりされてたけど、そーか先週末の沖縄出張はちょうど那覇基地の航空祭に当たってたのか、仕事で行けなかったり仕事で行けたり、なんか取り返した感がありますね。


「信楽鉄道の正面衝突事故?ああなんか聞いたことがある、生まれる前じゃない?」という会話が聞こえてきてうっと思うわしわし、そーか平成生まれだとまだ生まれてなかったかもな、わしわしは元彼のお父さんが鉄道関係だったので事故の解説してもらった覚えがあるよ。
三河島事故とか聞くと「あー聞いたことがある、わしわし生まれる前の大事故だよね」と思ってた、あの感覚なんだなあ。信楽高原鉄道事故、平成3年。


ヨコヤマ茂未個展「あかくてあかくてからすうり」今週末12/17まで、名古屋丸の内のGallery White Cubeにて。
会期中描き続けるライブペイントあり、雷神風神並に風が吹いてくる絵である。圧倒的。
パノラマ撮影。幅6m弱くらいかしら。




2017年12月12日火曜日

おどりとおしばい

昨日観てきた公演は全ステージアフタートーク付きだった、わたし観た回のトークゲストは千原徹也氏、トークの中で作者が「(登場人物たちの抱えている問題は)結局何も解決してないかもしれないんだけど、そこでダンスが入ると終われる」的なことを言ってて、ああ、そういやお能ってそうだよな、と思った。
夢幻能なんかだと「お坊さんの回向で救われました有難う」みたいな感じで主人公が生前の姿で現れて舞を披露してくれるパターンが王道だけど、例えば『善知鳥(うとう)』みたいな、舞い狂った後に「そんなわけで私いまだに地獄です助けて助けて」とか言いながら消えてく後味悪いのもあるし、現在能だと『隅田川』なんか明らかに傷が深まってるし『鉄輪』の「時節を待つべしと、目に見えぬ鬼とぞなりにける」って問題を先送りにしただけですよね?むしろ嫉妬に狂った女が「見えない鬼」になるってマイナスの方向にパワーアップしてませんか?って思う、解決しないにもほどがある。でも舞うから、ダンスがクライマックスだから、後はもう尻切れトンボだろうが未回収の伏線があろうが、あれなんか胸が痛むなこのワード、まあとにかく踊り狂ってしまえば後のことはむしろ「ご覧になったお一人お一人のご想像にお任せします」的な余韻を残して劇終なのであった、解決なんかしません。
『ななめライン急行』に出てくるお悩みもそれぞれ根本的な解決なんかしてないんですけど、でもお能で言えばこれは「貴方の(お経の)おかげでなんか楽になったので舞います」パターン、例を挙げれば能楽の『天鼓』とか『海士』とか、皇帝は横暴だし大臣はえげつない男だし本人たちは死んでるし、そこはなんにも変わんないんだけど、イベントで魂が救われたって言って亡霊が美しくも勇ましいダンスをしたり楽しくさわやかに鼓を打ったりするのね、そして観てるこっちもそれでなんだかスッキリしちゃうのね。なんだろう。浄化作用かしら。
今時の諸国一見の僧は、急行列車に乗っている。そういえば以前誰かが夢幻能形式のシテ・ワキについて「PTSD患者とカウンセラーの関係」と書いてたな、誰だったか。ワキ方の安田登師かな。


ダンスと演劇の関わりを思う、想像の余地があった方が解釈にも幅ができて面白いみたい、なんで踊るんだろうなあ、なんで踊ると終われるんだろうなあ、なんで踊りに魅せられるんだろうなあ。

2017年12月10日日曜日

ふたたび街のこと

なくなってしまった街のことを思う。
震災とかダムの底に沈んだとかそんな劇的なことではなく。
普通に都市の新陳代謝で消えていった店、家、アーケード、家並み、街並みのことだ。
まだ(意外と)記憶の中には生々しく残っていてふとしたはずみに錯誤する、大須のバス通りを思い描いた時にのんのんと木の実の看板が灯っていたり、大名古屋ビルヂングの地下と聞くと寂れかけ古びた地下街を思い描いたりする。ボルシチ風のシチューがご自慢の喫茶店のマスターの人懐っこい笑顔と蝶ネクタイ。
その場所はもうないのだということがなんとなくいつも腑に落ちなくて座りが悪い、頭ではわかっているけれど頭の中にはまだあるのだもの。
そしてそうして、頭の中のその場所もだんだんに薄れてゆく。子供の頃に繰り返し見た夢の中で行く街、その白っぽく舗装されたコンクリートの道もコンクリートに練りこまれたガラスの欠片のキラキラもひび割れから伸びたオオバコの芽も、白い息吐く後ろ姿も風の波々や光の粒々も、昔はもっとはっきり絵が思い出せたんだのに今は「そういう景色だった」という箇条書きの情報に縋って、なんかとにかくそんな絵だったのだと再構築して思い描く。自分が忘れてしまえばもうどこにもなくなってしまうのにそんな頼りなさだ。
そういえば子供の頃は、親や、年上の人が、「前はここは◯◯だったのよ」と無くなった街の案内をしてくれた、中には「昔はここに市電の停留所があったのよ、あんたは知らんでしょうけど」と、なんだか少し苛立たしい不機嫌な言い方をする人もあった、自分が責められているような気がしてたけど今にして思えばあれは確かにそこにあった街を共有できないもどかしさとか自分の中で薄れていってしまう記憶への焦燥感とかそんなものだったんじゃないかと思う。
共有できなかった街や薄れていく街をとどめて分け与える為にある人は文章に書き、或いは絵に描き、ジオラマを作り、なんとかその意中の景を形に残そうとする。想念の街です。なぜそんなに拘るのだろう。
それは自分が属する場所だからなのだと思う。取り壊された校舎も夢で通った古本屋も、私の中にあって私を包有している。インクルージョン、琥珀の中の虫に似た私があちらにいる。あの街の記憶がほんとうに無くなると私の足元まで薄れていくような、そんな気がするのだ。私の中の街の中の私が消えていく。

それも変だね。今ある街にこうして立っていて。消えていった街に棲む幽霊ではないのにね。

演劇と振付

カッコいいもの、綺麗なもの、人間って凄いなーっていうもの、理に適っているもの、そんなものを観に行って元気を貰うシリーズ、戦闘機と貨物列車に続きまして今週末はダンス、『ななめライン急行』。ダンス公演というかサブタイトルに拠れば「ふりつけされたえんげき」。出し物に対して過不足のない説明っぷりだ。
面白かったですよ。内容も踊りも。イケリョウも綺麗だったしナイロンの新谷さんが進行役的な役柄ですごくソツがないというかツボを心得ているというか、みとれてしまう。
人間の作るものってカッコ良くて綺麗で凄いなあ。
観劇客がよくやっている劇場外観撮影を真似してみる、ええっとこの写真の目的は、アリバイ工作?

行き掛けの駄賃的に国立新美術館で開催中の安藤忠雄展、展示の目玉は野外展示場に代表作「光の教会」を原寸で再現するというの、時間あんまりないけど光の教会だけでも観たいと乃木坂まで出たんだけど16時だというのに入場40分待ち、日曜日の16時から美術館に行こうなんてとんちきがまさか百人単位でいるとは思わず、ああ私もですよ、ミュージアムショップも人が溢れかえる状況だったので「これ観てたら帰りのバスに間に合わないやつだなー」で諦める。
移動する前にリアルタイム混雑状況を検索しておけば良かったんですけどね、かなり舐めてたね。一番混んでる時間だったのか。
帰りは初バスタ新宿。バスターミナルだからバスタなのね。
終電に間に合うように名古屋市内に着くバスに乗って帰ります。
なんかロゴが石ノ森とか手塚とか昭和の少年漫画的な感じする。

2017年12月7日木曜日

さむさかな

「広域農道コリドール」って超合金ロボットアニメのタイトルみたいだな、と、伊賀方面の地図を見ながら思うこの頃。農道って縁ないんだけど、国交省じゃなくて農水省の管轄になるんだ、へー。


グランプリファイナルが名古屋で開催されるというのに浮かないわしわしであった。まあ、元より行けるわけじゃない。


新しい元号かー。
メンドくさいからもう元号なくていいじゃんっていう世間の声にも共鳴はしつつ(官公庁相手の仕事はタイヘンなわけですよ)、元号の予想はしたくなる。
一応なんか四書五経だかの漢籍に出典を求めることになってるんだっけ、慣例で。
好きな言葉でぱっと思いつくのは「和而不同」かなー。和而元年。語呂悪い。わじわじ。

きっとたぶんなんとなくだけど御一新以降に使った字は被らないようにしそうね。「明・治・大・正・昭・和・平・成」以外で。あとよく言われてるけど「M・T・S・H」も避けて。後年になるほどどんどん縛りがきつくなるやつだこれ。しりとり的な。
ほんでもってさらに、明とか治とか正とか和とか成とか、良い意味の字で構成してるんだよねえ。ちょっと上つ方の治世を感じさせるようなニュアンスのある、常用漢字で平明な字で良い意味の字。安とか保とか定とか泰とかなんかその辺の字をこき混ぜて。
縛りの多さに策定する人も「もう元号なくていいんじゃないかな」って思ってるかもしれませんね。どうしたってどっかからダメ出しくらうだろうしね。


成長すると色々と受け身じゃなくなっていくね。立場が変わっていく。
「教えられる」より「教える」ことが多くなって。
「叱られる」より「叱る」
「振り回される」より「振り回す」
「諭される」より「諭す」
「あしらわれる」より「あしらう」
「ほっとかれる」より「ほっとく」
「作ってもらう」より「作ってあげる」
「甘やかされる」より「甘やかす」
「裏切られる」より「裏切る」
「騙される」より「騙す」
「励まされる」より「励ます」
「褒められる」より「褒める」
愛される」より「愛する」。