2017年12月12日火曜日

おどりとおしばい

昨日観てきた公演は全ステージアフタートーク付きだった、わたし観た回のトークゲストは千原徹也氏、トークの中で作者が「(登場人物たちの抱えている問題は)結局何も解決してないかもしれないんだけど、そこでダンスが入ると終われる」的なことを言ってて、ああ、そういやお能ってそうだよな、と思った。
夢幻能なんかだと「お坊さんの回向で救われました有難う」みたいな感じで主人公が生前の姿で現れて舞を披露してくれるパターンが王道だけど、例えば『善知鳥(うとう)』みたいな、舞い狂った後に「そんなわけで私いまだに地獄です助けて助けて」とか言いながら消えてく後味悪いのもあるし、現在能だと『隅田川』なんか明らかに傷が深まってるし『鉄輪』の「時節を待つべしと、目に見えぬ鬼とぞなりにける」って問題を先送りにしただけですよね?むしろ嫉妬に狂った女が「見えない鬼」になるってマイナスの方向にパワーアップしてませんか?って思う、解決しないにもほどがある。でも舞うから、ダンスがクライマックスだから、後はもう尻切れトンボだろうが未回収の伏線があろうが、あれなんか胸が痛むなこのワード、まあとにかく踊り狂ってしまえば後のことはむしろ「ご覧になったお一人お一人のご想像にお任せします」的な余韻を残して劇終なのであった、解決なんかしません。
『ななめライン急行』に出てくるお悩みもそれぞれ根本的な解決なんかしてないんですけど、でもお能で言えばこれは「貴方の(お経の)おかげでなんか楽になったので舞います」パターン、例を挙げれば能楽の『天鼓』とか『海士』とか、皇帝は横暴だし大臣はえげつない男だし本人たちは死んでるし、そこはなんにも変わんないんだけど、イベントで魂が救われたって言って亡霊が美しくも勇ましいダンスをしたり楽しくさわやかに鼓を打ったりするのね、そして観てるこっちもそれでなんだかスッキリしちゃうのね。なんだろう。浄化作用かしら。
今時の諸国一見の僧は、急行列車に乗っている。そういえば以前誰かが夢幻能形式のシテ・ワキについて「PTSD患者とカウンセラーの関係」と書いてたな、誰だったか。ワキ方の安田登師かな。


ダンスと演劇の関わりを思う、想像の余地があった方が解釈にも幅ができて面白いみたい、なんで踊るんだろうなあ、なんで踊ると終われるんだろうなあ、なんで踊りに魅せられるんだろうなあ。