2017年12月31日日曜日

三十(みそ)日(か)

ファンシー文具と丸文字の親和性ったらなかったな、とふと80年代を思い出す。聖子ちゃんカットのファンシー絵女子…とか。ファンシー絵にローマ字でちょこちょこっとセリフを書き込むのは亜土ちゃんから続く伝統。


うつむき加減にぼそぼそっと喋るレジ店員さんの「五百一円 のお返しになります」が「ジャッキーチェンのお返しになります」に聞こえた。返してくれてもいいですけどね。財布に収まるかどうか。


勤務最終日は15時から職場で納会。オフィスで酒飲む経験、初めてです。何だろう背徳感とせめぎ合う快感。
海外技術協力プロジェクト帰りの社員さんのお土産のモンゴリアンウォッカ39°もいただきました。あと沖縄出張土産泡盛30°も。
納会ってこんなにがっちり飲むものなんだっけ、よくわかんないけど楽しいからいいや。
私のデスクじゃありません

モンゴル高級ウォッカの化粧箱(アルミ製)記念にもらって帰る、パスタ入れにする予定。チンギスハーンが睨みを効かせるぜ。


ちょっとここんとこ睡眠リズムが変で寝不足が続いてた、休みに入った途端に悪い虫に刺されたみたいに眠り続ける。これでリセットできるといいです。

2017年12月28日木曜日

末末

佐々木蔵之介の実家ということで知られる京都の佐々木酒造、猫好きの間ではHPの「従業員29名(ネコ含む)」の一文が有名。
その佐々木酒造から猫ラベルの吟醸酒が限定発売されていたので購入。
酒蔵のお猫様に一献献上的な絵面に。

誕生日プレゼントで貰った大人の科学の二眼レフカメラをようやく組み立てる。
フィルムはブローニー版か?と思ってたら、35ミリフィルム使用だった。でも今時35ミリフィルムもその辺で売ってないね。まだ試し撮りできてない。
ファインダを覗くとこんな感じ
左右反転にちょっと戸惑う。脳トレになるかもしんないな。

建築関係ってそうなのか?それとも課の特徴か?飲み会の多い会社である。少人数の課でいい感じの人ばっかりなのでイヤじゃない。というかふつーに楽しい。
今月は部の忘年会のあと課の忘年会、そして最終出勤日には納会の予定、そういえばクリスマス会もあったな。社員さんはさらに同期会の忘年会だの課長会の忘年会だの社内の組合の忘年会だの業界の組合の忘年会だの、激務の上に忘年会だけでそんな飲み会あっていつ家に帰ってるんだろうこの人たち、って感心する。
課の忘年会の二次会で入った個室居酒屋は足湯があるお部屋でした。もちろん全員で足湯したとも。
課旅行で温泉行きましょう話で盛り上がりましたよ。


仕事の内容が面白くてツール覚えるのが面白くてメンバーにも恵まれてていいお仕事ライフを送っていますよ。前の職場の上司には「ここよりいい会社なんて絶対ないから辞めちゃ駄目だよ」と言われ続けてたけど転職はしてみるもんだねえ。


冬の路上にそびえる謎の装置

2017年12月24日日曜日

年末臭

そういえば、今絶賛リピート中のダイソーの200円マーマレードはカルディのフルッタチェレスティーナマーマレードによく似ている。どっちもイタリア直輸入とあるし、生産元が同じかもしんない。
再入荷しなさそうな気配

フルッタチェレスティーナは210g入りで400円前後(時々セールあり)なので、ダイソーで約半額だ、よし勝った、と半額ゲッターは勝ち負けで考えがち。


会社帰りに栄に出ようと歩いてて、東新町のベストウェスタンホテルを越えたくらいのとこにパン屋さんが新規オープンしてたのに気づく。カフェベローチェの並び。あれいつの間に。それも食パン専門店という。

ちょうど「今日はちょっといいパンを買って帰ろう」と思っていたので試しに買ってみようか素通りしようか、店内を見るとパン好き女子でたいそう賑わっていて会社帰り風のおじさん達までパンを抱えている。おじさん達が並んで買うパンは(自分で食べるにせよお土産にせよ)なかなかポイント高いんじゃ無いかしら、と、購入決定、パンのラインナップは通常の食パンと国産小麦使用のプレミアム食パン、あとレーズンパンとチーズパンの4種。販売は1斤単位。レーズンパンを購入。
10月に開店したこと、以前はソフトバンクの代理店が入ってた場所なこと、お店の母体は「豆家茶寮」とかの豆腐料理屋さんを展開してる会社であることなどを気さくな店員さんがパン切りながら教えてくれた。
家でホットワインと一緒に頂きました、生でよし軽くトーストしてよし、おいしい大人のぶどうパンであった。
これはごひいきにしたい。


中日ビルが2019年3月閉館、丸栄百貨店が2018年6月で営業終了、うーん再開発。
どっちも馴染みのよく行くとこなのでなくなっちゃったら寂しいなあ、というか、栄で安く新鮮野菜買えるとこがなくなっちゃうなあ。ぴぴっとあいちはどこか移転するだろうか、ラーメン亭はどうなるだろう、丸栄なくなったら中古カメラ市とか鉄道市とか古着市とか毎年恒例イベントの常連さんが泣きますよ、ファストファッション大集合の丸栄スカイルも閉館なのかしら。

子供の本専門店の草分け的存在、千種のメルヘンハウスも来年閉店が決まったそうで。
寄るとついつい絵本や児童書を買い込んでしまう危険本屋なのでたまにしか行かないけどなくなっちゃうのか。


寂しい気分になる年の暮れです。

2017年12月21日木曜日

残すとこ10日

この冬はローソンまちカフェのホットミルクに嵌る。週に1回以上2回未満くらいの頻度で買って飲みながら職場に戻ったり家帰ったり。
去年好きだったメープルとくるみのホットビスケットは廃番になっちゃったけど、今あるのだとシナモン多めのパン・デビスも好き。ローソンLOVE。職場近くのローソンはお昼時には1レジ2人体制でサブの人が温めやら袋詰めやらまちカフェオーダー対応やらしてくれるので混んでてもホットミルク頼みやすい。もうLOVE&LOVE

この冬嵌っているといえば、ダイソーでなにげに買った200円マーマレードがオレンジの皮がざっくざっく入って苦爽やかな旨マーマレードで。リピート3瓶目に突入。
ジャム的なものの中ではマーマレードが一番好き。


回転体に布は鬼門ですよ労働安全衛生だの危険予知訓練だののテキスト読んでると必ず登場しますよ、軍手したまま切削ドリルで作業して巻き込まれたとかそういう事案が。
プレス機に挟まれるとか足場から自分が落ちる、または重量物が落ちてくるとかは簡単に想像できるから予備知識なくても身構えるんだけど、回転するものに巻き込まれるっていう危険は知らないとピンとこない気がする、というかピンとこなかった。あ、人間ってそんな瞬時に持ってかれちゃうんだ、そんな一瞬のことで指やっちゃったり腕やっちゃったりものによっては死んじゃったりするんだ、危険予知訓練の本は知らないスリルでいっぱい。昔、業務用シュレッダーでネクタイボロボロにしたFさんはまだラッキーだったんだなあ。


四の五の言わずに老眼鏡かけてみてください、手元がめっちゃ見やすいですよ。
わしわし眼鏡や裸眼ではなんも支障がないから無縁かと思ってた老眼鏡、最近急にコンタクトレンズ装着時に手元が凄く見づらくなって「何で?度が合わなくなった?」と思いながらもひょっとして物は試しにと100均の老眼鏡かけて見たらすっげー良く見えるんでやんの。これで天野さんの台本も縫い針に糸もなんでもござれでしたよ。
というわけで裸眼時には近視眼鏡、コンタクトレンズ装着時には老眼鏡といつなんどきでも眼鏡持ち歩く人になり。なんですかねコンタクトに眼鏡って。コンタクトでも手元さえ見なけりゃ快適なんですけどね。
そんな経験により同世代に老眼鏡オススメです。老眼鏡に抵抗がある人は「リーディンググラス」と呼んでみましょう。しゃらくさい感じになりますよ。


「うなぎ」の絶滅より身近では「うふぎ」が絶滅危惧種です。あの変体仮名のうなぎの看板、老舗によく掛かってたあれ。(「奈」の崩し字が「ふ」に似てるので「うふぎ」に見える)

一方そば屋の変体仮名は比較的健在ですね、今日も寺町のふつーの麺類食堂のショーケースに発見、「そば」は「楚」と「者〝」の崩しだっけ?まあ読めませんね。

ざるうにゃうにゃください。

2017年12月15日金曜日

かいもの、もらいもの

いきなりフルーツナイフの柄が根元からぱっきり折れた。びっくりした。切っていたのは先日の貨物鉄道博物館前に出店していたカフェのシュトレンで堅いものではない。堅くはないけどドライフルーツがみっしり入っているので粘着系の切りにくさはある。で、ナイフ折れた。
硬いものより粘着質の物の方が破壊力ある場合がありますよね。粘着榴弾的な。うちの母は昔しけったせんべいで入れ歯を割りました。
今回ワヤになったフルーツナイフは100均かホムセンで購入したもので10年以上使っていた。プラスチック部分の経年劣化もあろう。
よく切れる包丁はあるものの、やっぱり小刀的なものはある方が便利、無いと不便。というわけで、ペティナイフ情報をネットで収集、ビクトリノックスのパーリングナイフが高評価でお手頃なようである、これデパ地下でオススメされてたの見たことあるな、よし現物を見てから買おうかな、で、お店に行ったらビクトリノックスの隣によく似た特価品があって、ヴォストフとかいうドイツはゾーリンゲンのメーカー、maid in German、ゾーリンゲンというと日本では関の刃物、ビクトリノックスより更にお手頃価格になってるしいいんじゃない、で購入。
薄刃でスッススッスと切れるのでちょっと感動した、後から検索したらヴォストフのナイフ割とわしわしにとっては桁違いの高級品(業務用)らしかった、もちろんお高い業務用のやつは素材からしてモリブデン鋼とかで今回の特価品(ステンレス鋼)とは違うんだけど、信頼の刃物メーカーらしいのでええ買いもんをしたとホクホクしています。

それにしても今回購入のナイフ、ビクトリノックスのパーリングナイフとデザインそっくりなんだけど、もしかして元々ヴォストフのODMとかそんなことなんだろうか?


会社の同じ課の人から沖縄出張土産にブルーインパルスのクリアファイル(美ら島エアーフェスタ記念)を頂いて喜ぶわしわし。同好の士というのはいらっしゃるものです。
各務原は休日出勤で間に合わなかったってしょんぼりされてたけど、そーか先週末の沖縄出張はちょうど那覇基地の航空祭に当たってたのか、仕事で行けなかったり仕事で行けたり、なんか取り返した感がありますね。


「信楽鉄道の正面衝突事故?ああなんか聞いたことがある、生まれる前じゃない?」という会話が聞こえてきてうっと思うわしわし、そーか平成生まれだとまだ生まれてなかったかもな、わしわしは元彼のお父さんが鉄道関係だったので事故の解説してもらった覚えがあるよ。
三河島事故とか聞くと「あー聞いたことがある、わしわし生まれる前の大事故だよね」と思ってた、あの感覚なんだなあ。信楽高原鉄道事故、平成3年。


ヨコヤマ茂未個展「あかくてあかくてからすうり」今週末12/17まで、名古屋丸の内のGallery White Cubeにて。
会期中描き続けるライブペイントあり、雷神風神並に風が吹いてくる絵である。圧倒的。
パノラマ撮影。幅6m弱くらいかしら。




2017年12月12日火曜日

おどりとおしばい

昨日観てきた公演は全ステージアフタートーク付きだった、わたし観た回のトークゲストは千原徹也氏、トークの中で作者が「(登場人物たちの抱えている問題は)結局何も解決してないかもしれないんだけど、そこでダンスが入ると終われる」的なことを言ってて、ああ、そういやお能ってそうだよな、と思った。
夢幻能なんかだと「お坊さんの回向で救われました有難う」みたいな感じで主人公が生前の姿で現れて舞を披露してくれるパターンが王道だけど、例えば『善知鳥(うとう)』みたいな、舞い狂った後に「そんなわけで私いまだに地獄です助けて助けて」とか言いながら消えてく後味悪いのもあるし、現在能だと『隅田川』なんか明らかに傷が深まってるし『鉄輪』の「時節を待つべしと、目に見えぬ鬼とぞなりにける」って問題を先送りにしただけですよね?むしろ嫉妬に狂った女が「見えない鬼」になるってマイナスの方向にパワーアップしてませんか?って思う、解決しないにもほどがある。でも舞うから、ダンスがクライマックスだから、後はもう尻切れトンボだろうが未回収の伏線があろうが、あれなんか胸が痛むなこのワード、まあとにかく踊り狂ってしまえば後のことはむしろ「ご覧になったお一人お一人のご想像にお任せします」的な余韻を残して劇終なのであった、解決なんかしません。
『ななめライン急行』に出てくるお悩みもそれぞれ根本的な解決なんかしてないんですけど、でもお能で言えばこれは「貴方の(お経の)おかげでなんか楽になったので舞います」パターン、例を挙げれば能楽の『天鼓』とか『海士』とか、皇帝は横暴だし大臣はえげつない男だし本人たちは死んでるし、そこはなんにも変わんないんだけど、イベントで魂が救われたって言って亡霊が美しくも勇ましいダンスをしたり楽しくさわやかに鼓を打ったりするのね、そして観てるこっちもそれでなんだかスッキリしちゃうのね。なんだろう。浄化作用かしら。
今時の諸国一見の僧は、急行列車に乗っている。そういえば以前誰かが夢幻能形式のシテ・ワキについて「PTSD患者とカウンセラーの関係」と書いてたな、誰だったか。ワキ方の安田登師かな。


ダンスと演劇の関わりを思う、想像の余地があった方が解釈にも幅ができて面白いみたい、なんで踊るんだろうなあ、なんで踊ると終われるんだろうなあ、なんで踊りに魅せられるんだろうなあ。

2017年12月10日日曜日

ふたたび街のこと

なくなってしまった街のことを思う。
震災とかダムの底に沈んだとかそんな劇的なことではなく。
普通に都市の新陳代謝で消えていった店、家、アーケード、家並み、街並みのことだ。
まだ(意外と)記憶の中には生々しく残っていてふとしたはずみに錯誤する、大須のバス通りを思い描いた時にのんのんと木の実の看板が灯っていたり、大名古屋ビルヂングの地下と聞くと寂れかけ古びた地下街を思い描いたりする。ボルシチ風のシチューがご自慢の喫茶店のマスターの人懐っこい笑顔と蝶ネクタイ。
その場所はもうないのだということがなんとなくいつも腑に落ちなくて座りが悪い、頭ではわかっているけれど頭の中にはまだあるのだもの。
そしてそうして、頭の中のその場所もだんだんに薄れてゆく。子供の頃に繰り返し見た夢の中で行く街、その白っぽく舗装されたコンクリートの道もコンクリートに練りこまれたガラスの欠片のキラキラもひび割れから伸びたオオバコの芽も、白い息吐く後ろ姿も風の波々や光の粒々も、昔はもっとはっきり絵が思い出せたんだのに今は「そういう景色だった」という箇条書きの情報に縋って、なんかとにかくそんな絵だったのだと再構築して思い描く。自分が忘れてしまえばもうどこにもなくなってしまうのにそんな頼りなさだ。
そういえば子供の頃は、親や、年上の人が、「前はここは◯◯だったのよ」と無くなった街の案内をしてくれた、中には「昔はここに市電の停留所があったのよ、あんたは知らんでしょうけど」と、なんだか少し苛立たしい不機嫌な言い方をする人もあった、自分が責められているような気がしてたけど今にして思えばあれは確かにそこにあった街を共有できないもどかしさとか自分の中で薄れていってしまう記憶への焦燥感とかそんなものだったんじゃないかと思う。
共有できなかった街や薄れていく街をとどめて分け与える為にある人は文章に書き、或いは絵に描き、ジオラマを作り、なんとかその意中の景を形に残そうとする。想念の街です。なぜそんなに拘るのだろう。
それは自分が属する場所だからなのだと思う。取り壊された校舎も夢で通った古本屋も、私の中にあって私を包有している。インクルージョン、琥珀の中の虫に似た私があちらにいる。あの街の記憶がほんとうに無くなると私の足元まで薄れていくような、そんな気がするのだ。私の中の街の中の私が消えていく。

それも変だね。今ある街にこうして立っていて。消えていった街に棲む幽霊ではないのにね。

演劇と振付

カッコいいもの、綺麗なもの、人間って凄いなーっていうもの、理に適っているもの、そんなものを観に行って元気を貰うシリーズ、戦闘機と貨物列車に続きまして今週末はダンス、『ななめライン急行』。ダンス公演というかサブタイトルに拠れば「ふりつけされたえんげき」。出し物に対して過不足のない説明っぷりだ。
面白かったですよ。内容も踊りも。イケリョウも綺麗だったしナイロンの新谷さんが進行役的な役柄ですごくソツがないというかツボを心得ているというか、みとれてしまう。
人間の作るものってカッコ良くて綺麗で凄いなあ。
観劇客がよくやっている劇場外観撮影を真似してみる、ええっとこの写真の目的は、アリバイ工作?

行き掛けの駄賃的に国立新美術館で開催中の安藤忠雄展、展示の目玉は野外展示場に代表作「光の教会」を原寸で再現するというの、時間あんまりないけど光の教会だけでも観たいと乃木坂まで出たんだけど16時だというのに入場40分待ち、日曜日の16時から美術館に行こうなんてとんちきがまさか百人単位でいるとは思わず、ああ私もですよ、ミュージアムショップも人が溢れかえる状況だったので「これ観てたら帰りのバスに間に合わないやつだなー」で諦める。
移動する前にリアルタイム混雑状況を検索しておけば良かったんですけどね、かなり舐めてたね。一番混んでる時間だったのか。
帰りは初バスタ新宿。バスターミナルだからバスタなのね。
終電に間に合うように名古屋市内に着くバスに乗って帰ります。
なんかロゴが石ノ森とか手塚とか昭和の少年漫画的な感じする。

2017年12月7日木曜日

さむさかな

「広域農道コリドール」って超合金ロボットアニメのタイトルみたいだな、と、伊賀方面の地図を見ながら思うこの頃。農道って縁ないんだけど、国交省じゃなくて農水省の管轄になるんだ、へー。


グランプリファイナルが名古屋で開催されるというのに浮かないわしわしであった。まあ、元より行けるわけじゃない。


新しい元号かー。
メンドくさいからもう元号なくていいじゃんっていう世間の声にも共鳴はしつつ(官公庁相手の仕事はタイヘンなわけですよ)、元号の予想はしたくなる。
一応なんか四書五経だかの漢籍に出典を求めることになってるんだっけ、慣例で。
好きな言葉でぱっと思いつくのは「和而不同」かなー。和而元年。語呂悪い。わじわじ。

きっとたぶんなんとなくだけど御一新以降に使った字は被らないようにしそうね。「明・治・大・正・昭・和・平・成」以外で。あとよく言われてるけど「M・T・S・H」も避けて。後年になるほどどんどん縛りがきつくなるやつだこれ。しりとり的な。
ほんでもってさらに、明とか治とか正とか和とか成とか、良い意味の字で構成してるんだよねえ。ちょっと上つ方の治世を感じさせるようなニュアンスのある、常用漢字で平明な字で良い意味の字。安とか保とか定とか泰とかなんかその辺の字をこき混ぜて。
縛りの多さに策定する人も「もう元号なくていいんじゃないかな」って思ってるかもしれませんね。どうしたってどっかからダメ出しくらうだろうしね。


成長すると色々と受け身じゃなくなっていくね。立場が変わっていく。
「教えられる」より「教える」ことが多くなって。
「叱られる」より「叱る」
「振り回される」より「振り回す」
「諭される」より「諭す」
「あしらわれる」より「あしらう」
「ほっとかれる」より「ほっとく」
「作ってもらう」より「作ってあげる」
「甘やかされる」より「甘やかす」
「裏切られる」より「裏切る」
「騙される」より「騙す」
「励まされる」より「励ます」
「褒められる」より「褒める」
愛される」より「愛する」。

2017年12月4日月曜日

貨物と鉄と

月に1度の開館なのでなかなかタイミングが合わなかった貨物鉄道博物館にやっと行ってきた!
近鉄富田から天狗の棲まう山へ行く三岐鉄道三岐線に乗って丹生川駅下車、駅に隣接して建つのが貨物鉄道博物館、そしてその周辺に貨物鉄道の屋外展示。

と書くととてもスムーズな旅程のようですが毎度のことで珍道中だったのヨ。
まず三重北勢まで出かけるなら抱き合わせでヨーロッパさんの四日市公演観れるんじゃね?と思ったもののなかなか厳しいタイムテーブルで早々に断念、電車の本数が少ないっていうのが主な敗因、北勢圏内とはいえ丹生川は遠いわ。
ほいでもって近鉄富田駅と三岐鉄道富田駅は改札を出ずに向かいのホームで乗り換えるだけなんだけど、はい、ICカードの罠に嵌まりました。学習してない。いや、伊勢の時はホームにも改札にも「IC乗車券は使えません」って書いてあったけど、三岐鉄道は無警告だったんだもん。改札も精算機もなかったんだもん。幸い丹生川駅は有人改札なので、駅でゆっくり現金払いして、始末書、じゃなかった、有効証明書(精算証明)を書いてもらいました。

ソレハトモカク。

き」が三つで「さんき」ってことかなあ。「さんぎ鉄道」だと思ってたんだけど「さんき鉄道」なのかなあ。
硬貨入れて動くやつ。車掌さんの帽子付き。乗りたい。
実物。

貨物鉄道ジオラマ。
マニアックな「貨車車票差し体験コーナー」。
ボランティアさん達が復元修理した貨車(ワ1形)の中の積荷。この荷物も現役時代を再現するために当時のりんごの木箱とか復元して作られたそう。

つい撮りたくなる黒光りするリベット。シキ160形大物車。
わしわしの「撮鉄」はメタルの「鉄」。
シキの台車を下から撮ってる真横を東藤原行き太平洋セメントタキ返空が通過する。

元々セメントの原料を山から港の方へ運ぶ路線だったわけよね。ていうと、藤原岳あたりで石灰岩が採れるってことよね。火山灰が堆積した山なのかな。アルカリ性かな。噴火してたのかな。
雲ひとつないいーお天気だなー。航空祭の日もこのくらい晴れてたらなあ。
基地祭ボケでこういう形状のものを見ると「ミサイル?」と思ってしまう、正解は古い信号機ですかね。年季いってますね。
庭箱鐵道のシャトルバス。三岐線丹生川駅の貨物鉄道博物館から北勢線阿下喜駅の軽便鉄道博物館まで、お車がないと近いようで遠いこのもどかしさを解決してくれるボランティア運行バス。痒いところに手が届くってこういうことか、素晴らしい…
阿下喜からナローちゃんに乗って楚原で途中下車してねじりまんぽ橋とめがね橋を見て帰るというような地味めの鉄道旅も有りですね。北勢圏域はレア産業遺産がいっぱい。港に行けば末広橋梁もあるしDD51国鉄色は現役だし。

で、今日のところは貨物鉄道博物館だけで満足して、出店のカフェのにんじんケーキ買って切符買ってホームからも一度返空タキを見送って帰りました。
硬券に鋏入れてもらったの何十年ぶりだろう。

ホームの端っこに灰皿があるのも今や懐かしい光景。
蜘蛛の巣も光る。

お天気良かったしか、先月TV番組(「ぐっさん家」)で紹介された影響か、家族連れで賑わってました。
すげーすげー言いながら屋外展示車両にひょいひょい上ってく小学生男子と今は同じ血が流れております、 すげーすげー。
あ、しまった家族連れが記念撮影中だったから後回しにしたワフ車内見学をすっかり忘れて帰っちゃった。
あとお土産に貨物鉄道博物館のカタログ購入しました、お値段の割に写真も多くて解説もかなり充実した1冊です、これがあれば貨物鉄道の歴史がすべてわかる的な。

さー次は阿下喜かな塩浜かなー。

2017年12月2日土曜日

12月

「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られるフォーククルセダーズのはしだのりひこさん死去…と、NHKでもYahoo!ニュースでも報道してて、そうか、「帰ってきたヨッパライ」などのヒット曲で知られる…とは言わないのか、と、思った。帰ってきたヨッパライは史上初のミリオンヒットだと言うのに、訃報には不向きか。「イムジン河」などのヒット曲…は今は政治的にあれなのか。消去法で「悲しくてやりきれない」か。知らんけどそんな感じか。


皮膚科医に「まあ、なんかのアレルギーですね」と大雑把な診断を受けた右手小指のボロボロ病も1年以上の付き合いとなりました。
最初チャコ介の皮膚病(猫疥癬)が伝染ったのかと思って病院行ったんだよな、違ったけど。
「なんかのアレルギー」はたぶん汗疱状湿疹というやつで、とかく難治性の皮膚炎である。原因不明。歯科治療の金属のアレルギーが原因という説もある。
ただ汗疱の唯一救われるところは患部が拡がらないことで、1年以上もぐちゃぐちゃやってるにもかかわらず確かに湿疹の出る場所はずっと小指の第1関節から下に限られている。突然細かい水疱がいっぱい出てきて、潰れて、滲出液でぐずぐずになって、それからガサガサになって、落屑して、割れて、流血する。ステロイドと亜鉛華軟膏をブレンドした外用薬を処方されるのでそれを1日1回塗って包帯で保護しておくとガサガサと流血と滲出液がちょっと落ち着く。落ち着いたらステロイドは止めて保湿に白色ワセリンを塗る。かなりきれいになってきて「あ、元の指に戻ってきたかな」と思う頃にまたいきなり水疱が出る。というのを3~4週間のサイクルで繰り返しております。
落ち着いてたのが寝不足とか発熱とかで急に悪くなったりもする、10月の末にボロボロ期がやってきて「本番までに治んないかもなこれ、衣裳で指包帯ごまかせるかな」と言っていたところ、アトピー先輩のありちゃんからヒルドイド軟膏を紹介してもらい快方期の白色ワセリンに変えて使ってみた、ステロイドで薄くなった皮膚がしっとり保護されてる感じで外皮がしっかり張ってくるのも早かった、これすごい、と思ったところに新聞で連日のように「ヒルドイド保険適用除外を検討」の報道。美容サイトや女性誌が「高級化粧品よりアンチエイジングに効いて、保険適用でたった数百円!」と喧伝して医療費を圧迫しているという、健保連試算によるとヒルドイドの治療目的外処方による年間医療費支出が93億円。ううん、知らんところでブームがあったらしい。
こんなによく効く医薬品が保険適用外になっちゃったら、わしわしなんかまだ患部が小さいからいいけど全身アトピーの人とか死活問題でしょこれ、美容目的の人には処方するときにお医者さんの方で「今回は治療じゃありませんから原価になりますね」って言えないもんなの?って思った。自由診療扱いでさ。だめかね。


見知った名前がぽろぽろと。


例の犯人隠匿映画の監督さんなのでまたじっちゃん出てるのかーは予想できたけど、音楽が北村早樹子さんだったり演奏が坂本さんだったりするんですね。

2017年11月26日日曜日

テイクツウ(光の景色)

そいでまあ、何に「はかなさ」や「うつろい」を感じるか、残したい衝動に駆られるかというのはもうほんとに人の数だけある訳で。
土門拳は「仏像は走っているんです。急いで撮りなさい!」と篠山紀信に言ったそうである、一般的には静物であるところの仏像も土門拳の目には猛スピードでうつろうものだったのだ。なぜ土門拳がそう感じるに至ったかは本人が随筆に書き残している(「走る仏像」『古寺を訪ねて―京・洛北から宇治へ』収録)。
自分の経験で言うとまさか貨物列車や戦闘機、あんな武骨でクソ頑丈な物にときめいて撮影するようになるとは思ってもなかったので、人の好みや感覚って変わるもんだなあと実感しています。TACデパーチャーのブレイクする瞬間がフィギュアスケートのペアのミラーユニゾンみたいで綺麗で完璧で胸がきゅっとするわけですよ、なんとかしてあの瞬間をそしてこの胸のきゅっを残してみたいものであるなあと思っちゃうんですよ、ハードルはすさまじく高い(TACデパーチャー撮影は戦闘機撮影の中でもかなり上級者向き&運)。

あなたを見るということはあなたの表面が再放射した光を見るということ。可視光線が視物質中の発色団を反応速度200フェムト秒のスピードで異性化して構造変化のシグナルが視神経を走り、わたしはあなたの形状を受容・感知する。光は留まらない。先へ、先へ直進する。
長い波長を反射する夕刻、610nm橙色から630nm茜色へ移るあかい街並みの光景。何もかにもが走っている、移っている。走る光を反射して、仏像もまちも駆け抜けていく。やがて太陽光を失い闇になるまで。静止しているものなどないのです。

2017年11月24日金曜日

テイクワン(移ろう街と路面電車)

こないだのラストシーンの影絵は路面電車だったのかしら。

先日ノーベル文学賞で話題になったカズオ・イシグロは読んだことないですが、講演会か何かで作家活動をはじめたいきさつを語っている記事を目にして「ああ」と思ったのを覚えている。現実の記憶でさえない、記憶の中にしかない幻想のまちを書き留めておきたいと思ったこと、そしてまちの中を走る路面電車の音…のことを話していた。
路面電車という。その作家の記憶のまちのベースが長崎なので路面電車が出てくるわけだけど、わたしはナボコフの「ベルリン案内」の一章を思い出して、うしなわれるまちの記憶と路面電車の関係について思ったりした。
うしなわれるもの、消えていくもの、移ろうもの。季節でいえば春と秋、時間でいえば朝方や夕方、人で言えば幼年期と老年期、たとえばそんな。
平安時代の古歌に歌われた季節を見るとほとんど春と秋が占めていて夏冬は少ない、この時代の歌人にとっては春と秋の二季がメインであって夏冬は只の季節の折り返し点という感覚だった、と、大学時代古歌研究の先生が言っていた。移ろう季節にこそ美を感じるのだと。日本人独自の美意識なのか世界共通なのかは知らない。統計上は知らないが洋画に描かれたのだって春と秋の情景が多そうだし、特に印象派あたり、とかく花が咲いたり麦が実ったり葉が舞ったり春秋は絵になるのだと思う。
移ろうもの消えていくもの定着しないもの、刻一刻と色や姿を変えていくもの。以前わたしは「ものがたりの目は動くものしか捉えられない蛙の目に似ている」と思った。ここでもそう思う。動くもの変わるものに衝動を掻き立てられて書き、描き、写し、残そうとするのだ。目の前にあるものも、薄れゆく記憶の中のものも。たとえばや夏より秋、昼より夕方、青年より児童、鉄道より路面電車。美のはかなさではなくてはかなさが美なのよ、1秒1秒ごとに変わる君。

航空祭に行く時に岐阜まわりで各務原へ向かった(鵜沼まわりより少し空いてる気がする、少し)。JRから名鉄に乗り換えるので少し駅の外を歩いた。岐阜で駅舎の外に出るのは20年ぶりくらいになるかしら。お綺麗な駅ビルやお綺麗な回廊にロータリー、よくある近代的な駅前の景色だ。昔岐阜にせっせと通った頃はまだ路面電車が走ってたっけ、と思い出していた。路面電車が走り出す時のあの独特の音。先ず車掌の鳴らす発車ベル、続いてスーと滑り出すような、重いのか軽いのかわからない加速音、それから、カタンカタンと揺れる音。記憶の中のまちを走る。

来年は『街の麦』(カトチの会)をオージャカンで再演するというので当時の記録映像を観た。たしか上演期間が2日か3日間くらいしかなくて凄い混んでて、立ち見さえもぎゅうぎゅうで舞台の上空の方しか見えない状態で見た、ミカンの缶詰。当時ちょうど名古屋駅の駅舎取り壊しがあってそれに絡めた場面があったっけな、というのは覚えていた。改めて見るとまちの再開発がモチーフの一つだったんだな。古いビルは建て直し細い曲がりくねった路地は拡幅して真っ直ぐにし、渋滞を解消し構造を強化する、それがまちの再開発、そしてクズネッツの波。

今時の地方都市の再開発の主眼は「まちのコンパクト化」らしいですね、どの自治体もそんな目標を掲げる、高齢化と人口減少に対応すべく都市機能をぎゅっと集約させるのが肝心なんですって。風呂敷を畳むようにまちは変わっていきます。曲がり角を曲がると何もない景色です、向こうは畳まれてしまったまちです。路面電車はもう向こうまで行ってしまった。そして曲がり角も無くなります、いつか。

2017年11月22日水曜日

霜月下旬

言葉にしても詮無いこと、言わない方がいいこと、言ったところでどうしようもないこと、そんなことが確かにあるのだけれど。
それでも言わずにはいられないこともあるわけで。
口にしたところでなにかなるわけじゃないのは百も承知だけど言わせてください。
 寒いよ! 寒すぎだろ!
どーなってんのこの寒さは、え、11月だよね?例年なら大掃除してる寒さだよ、もー。

 ◇

ディーン&デルーカを覗いていた時、隣の女子が言ったひとこと。
「クリスマスの圧が凄い」
そうなの、もうお店入るとクリスマス仕様のお菓子やらシュトレンやらアドベントカレンダーやら飾りつけやら、店内が猛烈にクリスマス推しなの。
 「わーい、今年もクリスマスがやってきたね」っていうより、なんかプレッシャーを感じるのよね。どういうプレッシャーかわかんないけど。

2017年11月21日火曜日

岐阜基地航空祭2017

岐阜基地航空祭行ってきた!

やった晴れた!結構あったかい!何着てったらいいんだろう?コートは暑くなると荷物になっちゃうかしら?でも病み上がりだし寒いらしいしダウンのコート着てくか!

…って出支度の時にちょっと夋巡しましたが、いやダウンのロングコートで大正解。っていうか会場到着した時は晴れててあったかかったのに、ブルーインパルスの飛行展示が始まる頃にちょうど雨降り出して。
最初はお天気雨っぽいパラチラ降りだったのが、演技がたけなわになる頃には結構な降りに。
なにその罠!
現地の天気予報ではちゃんと「正午ごろ雨」って言ってたらしいんですけど、iPhoneのお天気のしかも名古屋のしか見てなくて予報は「ところにより曇り」程度だったんで降ると思わず…
はい情報収集が甘かったんですよ。

あと、今回は三柿野駅のひとつ手前、六軒駅で降りて新北口から入場してすぐにシャトルバルで南会場に向かったんですが、南会場の撮影ゾーンは雨降り出した時にパッと逃げ込める屋根が無くてねー。
濡れたくない人は屋外展示の戦闘機の機体の下で雨宿りをされてましたよ。

今年なんで六軒駅~南会場のルートを選んだかっていうと、
・ブルーインパルス来るってんで電車の時点でめっちゃ混んでた(三柿野~北口の大混雑が容易に予想できた)
・北会場だと逆光になるので南会場から撮ってみたかった

六軒で降りる人はまばらでしたが、それでも新北口もまあまあそこそこ混雑しました。三柿野よりはうんと少ないと思うんだけど、六軒から新北口だと21号線の信号がボトルネックになっちゃうのね。三柿野ルートは川崎重工の敷地を通ってくから信号横断はないもんね。うーん痛し痒し(って言うのか?)

ま、そんな感じで天候には恵まれませんでブルーインパルスもアクロバティックな演技はほぼ無し、水平編隊メインの構成となりましたが、氷雨にかじかむ手で勇姿を撮影してきたよ。
南会場は思ったよりエプロンから遠いね、失敗したなって思った。あと移動でTACデパーチャー見逃した。ああん。

あいにくのコンディションの中ベストを尽くすT-4達。

ブルーインパルスの飛行展示の後はアクロバット飛行チャンピョンの演技があったのですが、身体が冷え切っちゃったので一旦離脱、厚生棟の売店(ファミマ)に入ってホッと一息&ポケットレインコート購入。
そして北会場へ戻って格納庫の展示を見てまわり、シメの異機種編隊を見る。

今年はブルーがメインだからか、岐阜基地名物異機種大編隊も小ぶりな編成なのね(C-1、F-2、F-4、F-15)…と思っていたら、さらに悪天候のためF-4も飛行キャンセル、C-1とF-2、F-15の3機での編隊となりまして、代わりにっていうか編隊飛行から1機ずつ離脱して旋回したり超低空飛行を披露したりしてくれましたよ。
離陸中止でタキシング・バックしてきたF-4、航空ファンの声援に手を振って応えるパイロット。
デジタル迷彩は各務原飛行場百周年記念の特別塗装。


F-2、岐阜基地塗装機。
ヴェイパー無いとなんか静止画ですね、ひこーき撮影は難しいなあ。

F-15イーグルちゃん。後部座席のパイロットさんがバンザイしてます。

航空機撮影初心者に優しいC-1(機体大きい、比較的速度ゆっくり)。


帰還後手を振ってくれるパイロットさんたち。

因みになんで異機種大編隊が岐阜基地名物かっていうと、岐阜基地には飛行開発実験団がいるからで、飛行の開発と実験をするからには空自の所有する航空機がひと通りとテストパイロットが揃っているのだな。
例年だとC-1、F-2、F-4、F-15、T-7、T-4あたりで10~12機くらいの編隊を組むので「大編隊!」って感じなのです、しかもプロペラ機(T-7)と超音速機が肩を並べて飛ぶなんてちょっと他では考えられないのです、自転車で言えばロードバイクと三輪車が速度を揃えて走ってるみたいな、え、ロードバイクコケるよねそれ、みたいな、まあ見た目以上の超絶技巧なのです。ドーヤッテンダロ?

全展示が終わった瞬間に突然広がる青空に「今晴れんのかよ!!」の声があっちでもこっちでも、いやああの時の会場の一体感は凄かった。
まさかの青空
キラキラしてんじゃねーよ(泣)

そんでもって。
 先週初地上波放映がありましたのできっと岐阜基地はやってくれると思ってました、F-2にJDAMモックアップ爆装展示(オレンジ色がJDAM)。
こっちの銀色ミサイルはASM-2。
正面側は雨宿りの人で大混雑してたんで後ろ姿ね。

わしわしシン・ゴジラで一番好きなセリフは「三沢のF-2を爆装して上げるか?」なんです。なんでだろう、もっとキャッチーなセリフはいくらでもあるのに、なんでかあの航空幕僚長の言葉に萌えを禁じ得ない。どうして近くの百里(のファントム)じゃなくて三沢のF-2なのか、は、観た時は分からなかったけど。

そいや南会場に向かうシャトルバスの中で隣の若いお兄ちゃん2人がずっと「俺が思うにアンノはナディアがさぁ…」「第五形態の公式設定は…」ってずっと庵野話に花咲かせてたな、庵野監督好きな人って凄い語るイメージあるんだけどまさにそのものな2人。


自分土産、301飛行隊ケロヨン百里バージョン(隣は去年買ったニュータバルバージョン)。

基地内の出店でケロヨンのTシャツすごい好きなデザインあったなあ…
たいていは「301 Tactical Fighter」とか「Phantom」とかの文字が組み合わされてるんだけど、それは「BACK HOME カエル」ってバーンと大書きされてるの。で真ん中に百里ケロヨンの図なの。もうそのセンスすごい好き、大好き。
でもお財布入れたリュックの上からレインコートを着ちゃってるので雨の中コート脱いでリュック降ろしてお財布出してって難儀だなぁと思って買わなかった。そのうえ2年に1回くらいしかTシャツ着ないし。2001年に買ったTシャツがまだほとんど新品同様だし。いいんだもん。カエルばいばい。


タキシング中。 
ブルーの上を通過して帰る室谷アクロバット機。

帰投するブルーインパルスを見送ってわしわしも帰途に着きました。
来年も航空祭でわーいって言えるのどかな世の中でありますようにと思います。