こないだのラストシーンの影絵は路面電車だったのかしら。
先日ノーベル文学賞で話題になったカズオ・イシグロは読んだことないですが、講演会か何かで作家活動をはじめたいきさつを語っている記事を目にして「ああ」と思ったのを覚えている。現実の記憶でさえない、記憶の中にしかない幻想のまちを書き留めておきたいと思ったこと、そしてまちの中を走る路面電車の音…のことを話していた。
路面電車という。その作家の記憶のまちのベースが長崎なので路面電車が出てくるわけだけど、わたしはナボコフの「ベルリン案内」の一章を思い出して、うしなわれるまちの記憶と路面電車の関係について思ったりした。
うしなわれるもの、消えていくもの、移ろうもの。季節でいえば春と秋、時間でいえば朝方や夕方、人で言えば幼年期と老年期、たとえばそんな。
平安時代の古歌に歌われた季節を見るとほとんど春と秋が占めていて夏冬は少ない、この時代の歌人にとっては春と秋の二季がメインであって夏冬は只の季節の折り返し点という感覚だった、と、大学時代古歌研究の先生が言っていた。移ろう季節にこそ美を感じるのだと。日本人独自の美意識なのか世界共通なのかは知らない。統計上は知らないが洋画に描かれたのだって春と秋の情景が多そうだし、特に印象派あたり、とかく花が咲いたり麦が実ったり葉が舞ったり春秋は絵になるのだと思う。
移ろうもの消えていくもの定着しないもの、刻一刻と色や姿を変えていくもの。以前わたしは「ものがたりの目は動くものしか捉えられない蛙の目に似ている」と思った。ここでもそう思う。動くもの変わるものに衝動を掻き立てられて書き、描き、写し、残そうとするのだ。目の前にあるものも、薄れゆく記憶の中のものも。たとえばや夏より秋、昼より夕方、青年より児童、鉄道より路面電車。美のはかなさではなくてはかなさが美なのよ、1秒1秒ごとに変わる君。
航空祭に行く時に岐阜まわりで各務原へ向かった(鵜沼まわりより少し空いてる気がする、少し)。JRから名鉄に乗り換えるので少し駅の外を歩いた。岐阜で駅舎の外に出るのは20年ぶりくらいになるかしら。お綺麗な駅ビルやお綺麗な回廊にロータリー、よくある近代的な駅前の景色だ。昔岐阜にせっせと通った頃はまだ路面電車が走ってたっけ、と思い出していた。路面電車が走り出す時のあの独特の音。先ず車掌の鳴らす発車ベル、続いてスーと滑り出すような、重いのか軽いのかわからない加速音、それから、カタンカタンと揺れる音。記憶の中のまちを走る。
来年は『街の麦』(カトチの会)をオージャカンで再演するというので当時の記録映像を観た。たしか上演期間が2日か3日間くらいしかなくて凄い混んでて、立ち見さえもぎゅうぎゅうで舞台の上空の方しか見えない状態で見た、ミカンの缶詰。当時ちょうど名古屋駅の駅舎取り壊しがあってそれに絡めた場面があったっけな、というのは覚えていた。改めて見るとまちの再開発がモチーフの一つだったんだな。古いビルは建て直し細い曲がりくねった路地は拡幅して真っ直ぐにし、渋滞を解消し構造を強化する、それがまちの再開発、そしてクズネッツの波。
今時の地方都市の再開発の主眼は「まちのコンパクト化」らしいですね、どの自治体もそんな目標を掲げる、高齢化と人口減少に対応すべく都市機能をぎゅっと集約させるのが肝心なんですって。風呂敷を畳むようにまちは変わっていきます。曲がり角を曲がると何もない景色です、向こうは畳まれてしまったまちです。路面電車はもう向こうまで行ってしまった。そして曲がり角も無くなります、いつか。