春です。
春の貝三昧をしに出かける。
うど、タケノコ、大あさり、
ほやほやのホヤ、
日替りのメニュー、ホワイトボードいっぱいのお品書き、なげしにぐるりと貼られた肴の札、所狭しと置かれた大皿料理。そらもうこれがええ店でないわけがない。
白貝食べたのはいつ頃だっけ、で、帰ってから日記検索、ちょうど一年前だった。白貝食べて栄でアッパルパイ食べてパプリカでハイジさんと落ちあった、記憶どおり。
来週あたりは桜も見頃ですね。
今年のくだんのお花見は「萼見会」になるって予想されてますけどね。
『新・映像の世紀』の最終回の最後のほう、パリ連続テロからの流れを見ていて泣いてしまう。感動しましたとかじゃないしただ悲しいつらいというのでもない、極端すぎる情報がいっぱいで混乱して泣いちゃうんだよね。人間は酷いものです、人間は美しいものです。
そんなこと思ってたらベルギーで大テロだよ、なんだかもう、なんだよもうやめてよね!
終わりが見えない…落とし所がわからない暴力だなあ…。
◇
深夜番組でパプリカ閉店ドキュメント。
民放の夜中の渋めのドキュメンタリー(わりと好き)か?と思ったら、なんか閉店特化のバラエティ番組なのね。
忘れた頃に行く、くらいの頻度だったけど思えば長い付き合いの場所であった。わしわしのパールオニオン好きはパーキーパットに端を発する。1992年頃かしら。
円頓寺オープンしたら行きます、いつ頃だろうね、お散歩にいい季節がいいな。
◇
セカンドオピニオン。
すっかり浸透した感のある言葉で。
新聞やTVの健康相談でも、病院通ってるのに一向に良くならない、となれば「セカンドオピニオンを…」とアドバイスがくるわけですが。
しかしね、なんだ、「原因が一向にわからない」と言えるような状況になるまでには既にいくつも精密検査を重ねていて、検査費用も3割負担で4万5万とかかってるわけなのよ、正味の話。
そこまでいくと「病院、変えてみるか…」って気分にはなかなかならないわけなのよ。「こんだけ検査代かかってるんだから元を取るまで止められない」的な。
てなわけで、庶民には、やっぱり、一番最初にどの病院で診てもらうかが肝心、な気がする。
ホームドクター制とかいうけど明らかに手に負えてないのにいつまでも紹介状書いてくれない町医者いるしな。
もう病院に行かないことが最善な気がしてきたよ。
◇
世間の女子様にだいぶ遅れてBBクリームデビューしましたが、これいいね。ANNA SUIのBBクリームにはまって朝のいろいろをこれ一つで済ませるこの頃。楽に女子したい。
◇
あ、昔あった、mixiとかに熱心に外食写真載せてたらいむじいに会った時「いつも外食ばっかりしてるな!」って挨拶された、家ご飯は貧相すぎて絵にもならないからほぼ外食しか撮らなかっただけなんだけどね。
そしてやっぱり、立場が違えば、いつも美味しそうな外食写真を載せている人のことを「毎日三度三度ゴージャスなごはん食べてるんだろうな…」と思っている、実際に話すとめっちゃ少食で1日1食食べるかどうかの人だったりして、情報の視差に驚く。インフォメーション・パララックスですよ。そんな言葉ないけど横文字にすればなんとかなると思っています。
本屋さんでほんほんほん♪
昔のパンシロンのCMの替歌なのだが、唐沢なをきがセックス時の呼気のオノマトペで「ほんほんほんっ」て使ってるのでなんか本屋さんでふしだらなことする歌みたいになってしまった、本屋さんでほんほんほん。
それはさておき本屋さんで本を買う、なんとなく社会科の教科書的なものを読み直したくなって、高校倫社の副読本と地理データファイル2016年度版購入。
最近Kindleでライプニッツの『モナドロジー』を読み直して、学校で習った思想史をもう一度ざっくりおさらいしたくなったのだ、専門的でなくていい、便覧的なものでいい、となると、教科副読本は入手しやすく安価でありがたい。
今どきの教科書では聖徳太子は非実在偉人の扱いになっているとかいう噂を聞いたけど、とりあえず倫理資料集では実在の人物で業績も史実として書かれているよ、よかったそれならおばちゃんついていける。
一方30年前とは全然違うのは地理データであるよ、だってわしわし高校生の頃「ソ連」あったし。今のウクライナもリトアニアもアゼルバイジャンもウズベキスタンも、東欧から中東まで「ソ連」だったのだ、そりゃ国土面積も生産力も大きかったわけだよ。
あといつの間にかビールの生産量世界一がアメリカとドイツを大きく引き離して中国がシェア第一位になってたり、世界は変わりましたのう。
正文館の学習書コーナーで新一年生に混じって副読本を買う、なかなか春らしくも珍しい春であったよ。
Yahooの検索急上昇ワードに「石川浩司 アイドルデビュー」って出てきて同姓同名の人を知ってるなあ、と思ったらご本人だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160319-00000076-nksports-ent
まあ、その、たまもアイドルっちゃアイドルだったような、紅白出場アイドル。
アイドルの定義ってなんだろう、事務所?楽曲?衣裳?活動内容?
◇
田岡さん主催のツアーお疲れ様会で旨中華。
お疲れ様会も何もいつも飲んでるメンバーじゃないですか、むしろ飲まない方が慰安(休肝日的に)なんじゃないでしょうか。
旨中華の後は久しぶりにピスコ行って、水谷さんの生ギターで吉田拓郎三昧、というよくわかんない盛り上がり。
その後、もちくんと宿に帰って厨房のお皿の数を数えて…という飲み会の続きのような夢を見る。飲み会の続きっていうか、ツアーの続きか。
夢の宿は、門限過ぎたら勝手にフロント入って自室の鍵持ってってください、という夢らしいアバウトさの宿であった。イナカにありそうではある。
◇
チャコさんはいつも怒った顔してるって言われます。
腫れぼったい一重まぶたで口がへの字なんですよ。地顔が不満顔なんです、朝青龍関みたいに。
女の子なのにねえ。
おこってないよ
…たぶん。
赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い
すんげー速さで遠ざかってるから…赤方偏移。
小学生の頃に見たBBC制作の相対性理論入門番組、ドラマ仕立てやCGでわかりやすく相対性理論を解説するというシリーズでした。その中の赤方偏移と青方偏移を説明したコーナーで、光の速度に限りなく近いスピードで駆け抜ける自転車を例えに「道端で彼を見ている人には近づいてくる彼の姿は青く、後ろ姿は赤く見えるでしょう」って解説してて。
それ見て以来、相対性理論といえば光速で駆け抜けていく自転車マンの後ろ姿を想起するようになりました。やけにリアルなたとえ話(合成ビデオ付き)のインパクトよ。
「僕」からみれば日日の方が後へ駈け去っていくように思うんだけど、「日日」からみれば僕の方が先へ突き進んでいるんだよなあ、親しい日日を置き去りにして。
なべてこの世は相対的、相互反転可能的。
わたしの存在はわたしを内包している。
わたしはわたしの存在を内包している。
相互的内包状態なのです、あっちもこっちも。
先日カメラ屋さんでレンズ覗いてたら、おじさんの店員さんとお客さんの会話が。
「やっぱこのレンズで撮るっていったら、飛行機か電車になりますかねー」
「ていうかね、著作権とか肖像権とかうるさくなってきてるからその2つくらいしか撮るものないのよ」
世知辛いな…。
コンテストに出すとかWEB公開するとかじゃなければそうそう問題になることはなさそうだけど、まあ、なあ…。
夜のエッフェル塔はライティングに著作権があるので無断撮影・公開禁止だそうですよ(昼はパブリックドメイン)。パリ市の許可とって使用料払わなきゃいけないって。
こないだのりちゃんも「うっかり人も写せない」とか言ってたっけ、元が緩すぎたのか今が厳しいのか、慣れるまで大変なのです。
◇
金曜会記録部(金曜会所属の記録部、ではなく、金曜会を記録する個人の部)写真。
名古屋、セットアップ直後。まだ門上の装飾とか無いプレーンな状態。
門上の装飾を「ジバンシィ」って命名したのはしのやんだったっけ?
四日市、上手側見切れ席より。天井が高いとクレーンよく見える!伊丹も見たかった。
東京。正面のマトモな記録はのりちゃんが撮るので、寄りとか階段なめとか苔なめとか花なめとかもう実相寺アングルの世界へ。
テラスの桟と苔をなめての窓。
「苔なめってすごいね響きが」
「カエルなめ撮りたかったんですが位置的に無理でした」
カエルなめってネイティブアメリカンの儀式かなんかだよな。
「苔とかカエルとか、全体的にしっとりしてますよね。陽のささない裏庭的な」
「おかしいな、そういうつもりじゃなかったんだけど」
「セリフに沿えば燃えてるんですよね、工場」
「それ最初に聞いてたらそういうヨゴシにしたよ」
まあ焼け前の風景ってことでそこはいい気もしますね。
◇
風強い、寒い!
三寒四温の週でした。
楽日は打ち上げで2度目の大入袋授与のあと最終の新幹線で帰名し、翌朝から出勤でした。
あらかじめジョルダン君で最終への乗換を確認して余裕をもって出たはずが、品川駅で駅員さんに「名古屋行きですか?もう時間ないから切符は車内で清算してください!」と言われるスライディング乗車になりました。おかしいな…まあ帰れたのでいいのです。
翌日は仕事中右上腕筋にじわじわ筋肉痛が出はじめ夕方には結構な痛み、原因は連続シェーです、わかりやすいシェー痛だ。年寄りの冷や水。
猫ズは神妙な顔でお出迎えしてくれました。なんだろう。ちゅ〜る食べますか。
◇
どこにそんな花粉生産所があるのか、この時期名古屋界隈より東京方面の方が杉花粉の飛散図が激しいことになってるんですね。滞在中は雨だったりして花粉的には助かりました。
朝の天気予報
霧予報とかはじめて見たわ。
小さいおとうさんが重なっていく同ポジの場面みると、谷川俊太郎の「日日」の一節を彷彿する。
「暮れやすい日日を僕は/傾斜して歩んでいる/これらの親しい日日が/つぎつぎ後へ駈け去るのを/いぶかしいようなおそれの気持でみつめながら」
まあ、名古屋人ならどっちかってと「スガキヤの冷やしラーメンを食べる人を見てる人を見てる人を見てる人を見てる人」の方を連想するであろう絵面である。ドロステ効果、いいですよね。
◇
名古屋公演はビストロもちくんの冷やかし、いや賑やかし、いやアドバイザー(口は出すが手は出さない)的なアレで毎日小屋入りするんだったので隙あれば本番見せてもらい、結局モニター鑑賞も併せて楽日以外毎回観た(肝心の名古屋楽はどうにも仕事が休めない日だった)。日替りゲストのお楽しみがあったのもあるけど、かなり好きな芝居だと思った。どうゆう要素とバランスでそうなるのかわからないが天野さん作の演目すべてを同じ強度で好きなわけではない、今回くらい好きなのはわりと久しぶり。『コンデンス』もかなり好きだったな、あと『イキル』(と同率1位で『キットアイタイ』)かな。
で、四日市まで足伸ばし、そのあとの週は熱出したので伊丹諦め野鳩に絞り、それから、東京。1日だけ日帰りで観に行く当初の予定から変更、解体後のセット一部貰い受けるためバラシまで、結局打ち上げまで居残る。こんなツアー追っかけしたのも久しぶりだわ。
こんだけ通ってもなおサカエちゃん会いたかったし観たかったなとか、えみえみ&ひよ観たかったなとか、伊丹のセット見たかった&撮りたかったなとか、満足知らずの沼のような欲望が沼沼してるんだけど、とにもかくにもこれにておしまい、親しい日日はつぎつぎ後へ駈け去りますよ。
おつかれさまでした。
◇
廃工場での冒険シリーズ
水平ってどうやったら取れるんですか…
なんとなくの予定ではもっとゆるゆるの東京滞在になるつもりで、本番はお客さんで観るとしてあとの時間はふらっとカフェ行ったり映画でも観たり古本探したり、役者・スタッフじゃないから劇場にいっぱなしじゃなくてもええよな、とか思ってたら、なんか案外スズナリと飲み屋しか行ってなかったり。あれ?
あっでも服買った、暑いんだか寒いんだかで現地調達にした服、厚手の綿の黒無地の長袖ワンピが着回せそうなのと丈がちょうど良かったので即買い、「形が芝居の衣裳っぽい服だなあ」と思いはしたけどまさか楽日出演の布石になるとは思いもよらず。
楽前日のソワレのマリリン・リリナ組がこれまたなんだかたいそういとおしい出来映えで、飛び入りでカシワも明日ゲスト枠出る?と、これはちょっとグラつく、でもカラ舞台撮影(公式記録はのんたんが撮影するけど賑やかしでわしわしも撮る)するなら打ち合わせる時間無いかも、とか、それより前売り買っちゃってますけど、とか、出るのも面白そうだけど観たいのよ、とか、いろいろ葛藤あり。やりたいこととやりたいことの間で葛藤するって恵まれてますね。
でまあ、あっちにもこっちにも迷惑かかるのはイヤなんで予定通りことを進めようと楽日を迎えたら急なアクシデントでえみえみ来られなくなり、頭数確保にわしわし出るかの話が再燃し(ただしこの時点でゲスト枠の段取り打ち合わせはまだなので人数の減増は自由っちゃ自由)、もいっかい逡巡しなおして結局出ることに。
着のままの服で出れば衣裳選びと着替えが要らないから撮影会できるだろう、と思いつきで、衣裳みたいだなあと思ってた例のワンピースのままで出ました。リリナ隊長が構成した段取りで6人でプチお子様的な。全員でひとしきり連続シェーの後、息も絶えだえながら緩やかなアリアをリリナが歌いあげる(息も絶えだえのカトチに鍵盤ハモニカで伴奏させる)という年寄りの冷や水的構成でしたが適度なアレだったんじゃないでしょうか、連続シェーだの回転シェーだのスーパーウルトラ回転シェーだの、懐かしいことですわの。
各位、いろいろにありがとうございました。
そんなわけで楽日を客席から観ること叶いませんでしたが、楽屋で「泣きながらのテレポーテーション」暗視カメラバージョンを観る僥倖や、端正に踊る赤や緑の多重の影を間近に見るなどの余禄がありましたのでそれもよろしかったと思います。
帰途で思い起こした、リリナ・カトチと一緒に舞台立つの、初演の『御姉妹』(1988年)以来だったよ。マジで「30年やってんだ」だったよ。しのやん・たぐちんとは『自由ノ人形』(2000年)以来かな、そうかあ。
テラス手すりの苔様
カエルちゃんも増えたよ
暑い。でも日暮れると寒い。汗かく、でも風吹くとめちゃ冷える。
前、あったな芝居で「暑寒い」って。まさにあれだな、あつざむい。たまりませんわ。
一瞬でもカトチが復活するなら、ゼヒ頭にはワラジかむり足には黒板消し履いて出てほしいと思っていたら、ワラジこそ無かったけど頭上足下に黒板消し、腰には湯たんぽドロップを結わえて「あたし、ねこ」生歌付きの登場、もうカトチファンとしては何も思い残すことのない出で立ちで大いに笑わせていただきました、また見られるとは思ってなかった、もうダイスキ、ダイスキ、また会えたねえ。
昔、お子様がそれぞれ頭の上に何か乗せて出てくる芝居があったのだ、確かカトチがワラジ。わたしは太巻き乗せて「チョンマゲでいっ」みたいなことをやる予定だったのが、直前でやっぱり太巻きバラけるってんで急遽差し替えた、ような気がする、今なら太巻きに見えるようなリアル作り物を作るとこだけど、なんだか当時はレプリカを作る発想はなかった、お子様が去った後の舞台は激しく散らかって(大根の破片だの唾液だの紙片だのご飯粒だの)そりゃあもうキタナかったのだ、舞台の上が散らかるってのはまるでアングラ演劇の基本みたいだった、それに比べて今時は、綺麗だよねえ。チリひとつ残さない。
そうゆう懐かしいことを思い出したり思い違いの思い出が出てきたり、同窓会の様相だ。
昼夜の間の空き時間に、カトチとご飯食べながらお互いの猫話、女の子猫がお姫様なのはどこも同じらしいです。
ふむ、日程上、のっちとは完全に会えないことがわかりました。8cmヒールのピンクベージュのパンプスをのっちに見せたかったなあ、そんで女子話に突入したかった。またの機会に。
週休日の関係で身体は空いてるんだけど、猫が2匹おりますのであんまり長期不在は難しいの、自動餌出しマシーンはあるんですけど2泊くらいが限度かと。帰ったら布団しっこかなあ。
◇
公式HPに当人による野鳩全公演解説だ、こーゆーの見ると、「あーこれやっぱり観たかったなあ」てしみじみ思うのよね、以前シベ少の全公演解説読んだ時も思った。
そういや、そもそもわたしどういうアレで野鳩観に行ったんだろう、シベ少はゆーごりんがしきりに面白い言ってたから観に行ったの覚えてるんだけど、そして初野鳩のときは昼うりんこ劇場でうりんこ、夜お台場で野鳩、そして名古屋へ直帰という強行旅程だったのは覚えてるんだけど。
まあ、たぶん、あんみつさんやゆーごりんが面白いと言ってるから観てみようかな、だったんだろうな、もしかするとハマジが新しい機材投入したとか新しいネタ考えたとかでそれをメインに見に行ったのかもしんない。百人弥次喜多の時は面識ないままで、ただパンフレットに「演出助手・水谷圭一」の修正シール貼り3000部やったので名前だけは認識してた。
はい、こないだの解散公演、「青い人が大流行りだ」って思いました。ゾンビ愛は、るさんより野鳩の方が上だと思いました。
関係ないけど、かなり前に大人計画で『生きてるし死んでるし』ってやった(なぜか三重公演があった)、あれは「リビングデッド」の直訳だったのかなあ、とか考えてた。
ゾンビと日常的に闘う系は既存のドラマもまんがもあるけど、野鳩さんのはゾンビと日常的に共存する系、いわゆるダイバーシティ推進ってんですかね、単純労働力が足りてないだけだろそれって、そういう現代風刺として見ることもできるかもしんない、野暮になるんでそこは掘り下げない。
その昔。「カタルシス(精神浄化)」と「腸カタル(下痢症)」の「カタル」は同語源だと聞いて、とても実感的に腑に落ちた思いがしました。あのドバーッと排出されてキタナイものや溜め込んだものが流されて内側つるんつるんになる感じ。
『野鳩』に思うのはカタルシスですよね。カタストロフとカタルシス。洗いざらいぶちまけて(「ぶちまける」という言葉がものすごく似つかわしくないシーンなのだけど、とりあえず)、人間性も社会性も街もあらゆるものが瓦解して、あとはもう、つるんつるんですよ。「スッキリした」ですよ。キタナイものも溜め込んだものもタテマエも障壁もなくなって、フラットなユートピア、いやディストピアでしょうか、フラットなんでどっちでも同じことな気もします、新しい地平を迎えるんです。世直し、デビルマンのラストみたいな、世界練り返しですね。
そんなつるんつるんになってスッキリした演目をもって野鳩解散は小気味がいいなと思いました。まる。
◇
さて今日の夕方から東京です、平日だとあんまり会える人いないのかな、会えたら会おう、おいしいもん食べよう、すあまの旨い和菓子屋さんの近くに宿とりました。ではまたね。
ミラキュラス・マンダリンのベースは紅茶じゃなくて黒茶だそうです。
黒茶。プーアール茶とかですね。中国茶ベースってことかな。
レンジェルの脚本「中国の不思議な役人」は変な話です。原題に「グロテスクなパントマイム」の副題が付くとおりでグロというか猟奇というか。
少女娼婦の美人局にひっかかった中国の高級官僚が身ぐるみ剥がれて殺されるんだけど口を塞いでも刺しても縊っても死なない。それどころかシャンデリア代わりに天井から吊るされて青緑に光り出す始末。で、最後に少女に抱きとめられてやっと満足して息絶える、という。ああ昇天するってそういう、と言いたくなりますな、不思議な役人、というより中国官僚の異常な愛情って思いました。
この「中国の高級役人(Mandarin)」が「宦官」を意味するかどうか解釈がわかれるらしいですが、宦官と少女娼婦って組み合わせがもう中二病的猟奇趣味、な感じします。
この内容をどうお茶で表現するか。
中国要素は黒茶部分が担ってるとして、果実とキャラメルの甘い香りが少女娼婦の初々しいエロ気を、赤黒い水色(すいしょく)が官吏の血を表しているんでしょうか、うん、そう考えるとエグいお茶だな。
◇
東京初日ぶじ終了のご連絡ありました、完成したようです、なにより。
わたし後半に伺います。
楽しみにしています。
◇
そーいえばさー、四日市の打ち上げの時思い出したけど、去年ゲストの話最初振られた時「バルとペアで出演させたい」とかさんざん反応に困ることばっか言われたけどさ、アンタラだってたいがい「もめるよーなもめないよーな、コチャコチャコチャコチャ(略してMMKK)」だらけじゃんよ、ああもう言われっぱなしだったのが腹が立つ、もー、MMKK。
先週、野鳩観光の帰りに買ってきたTWGの「ミラキュラス・マンダリン」が好みのお茶で嬉しい。
ミラキュラス・マンダリン。「中国の不思議な役人」ですね、バレエ音楽の。あのちょっと猟奇的な内容の。「マンダリン」は例の柑橘類のことじゃなくて、中国の高級官僚の意味(つうかもともと、中国の高級官僚が着る服の色味なのでマンダリンオレンジという名が付いたそうな)。
お茶はリンゴとキャラメルが香る紅茶ベース(だと思う)、おやつタイムにいい感じ。
なんでかはわかんないけど、TWGがやっぱり一番好きだなー。TWG自体もともとマリアージュフレールのマネジャーかなんか引き抜いて始めたお茶屋さんだと聞いているので(会社創立は2008年頃の新興茶屋なのよ)マリアージュフレールのお茶も試してみたんだけど(なにぶん入手しやすい)、なんか硬い感じがするんだよなー。そんなちゃんと正しい淹れ方してないのでそのせいかもしんないけど、沸かしたてのお湯でじゃじゃってフツーに雑に淹れてもTWGはおいしいんだよなー。
というわけで引き続きTWGにハマっています。普段はひしわ園のお茶だけど。
栗川さん今度自由が丘のTWGティーサロンで一緒にランチかアフタヌーンティーとしゃれこみましょうぜ。
めちゃくちゃ落ち込んでても香りのいいお茶を飲むとやわらぐので、香りのパワーはすげーなと思う。
◇
寒の戻りってやつですかね。ファンヒーター前に猫集結。
野生のかけらもないな。
あれは2月の寒い夜〜♪
それは「ざんげの値打ちもない」。