結局すべて受け手、見者の問題なのだ。
奇遇もシンクロも幸運も運命もそんじょそこらに当たり前に存在してて。
気がつくかどうか。これはと感じるかどうか。
意味をもたせる行為に意味がある、価値を感じることに価値があるってわけ。
没入していくのはその人の能力。
人は単純な応答プログラムにさえ感情移入して過剰な意味を見出すことができるではないか。
と、思うんだがどうだろう。
絶好調の時にシンクロが起きやすいのは。
ほんとにそういう流れを引き寄せてるのか。
それとも偶察の受容体がフル活動してるからか。
どっちなんだろう。
目下わしわし些細な偶然やほんの少しのめぐり合わせにも過敏になって意味を読み込もうとしがちなので。
努めて冷静になろうとしているところです。はい。