お寺さんがくれたなのかなのかの早見表によると、ねねむさんの四十九日だそうですよ。
死後の裁きというとエンマ様が有名ですが、閻魔王は五七日(三十五日目)の審判係、七七日(四十九日)担当のラスボス的なキャラクターは泰山府君という。 お能では有名だけどあんまり一般には聞かない名前ではなかろうか泰山府君。
それはともかく四十九日であった。
10年ほぼ毎日一緒に、朝に晩に個的で密な時間を過ごしたというのに、なんかおかしくねってくらいすんなり猫のいない生活に慣れましたよ。
えぐえぐ泣いていたのも1週間かそこらのことで、ああそういやわたし自分の泣き声が死ぬほどキライだったわ、とどうでもいいことを思い出させられたりしましたが、もう泣くこともないし、たまに寝入り際にベッドの上にトンッと何か乗ってきた錯覚がして半睡の頭で「あれ、猫きた?」と思うくらい、それ以外は、うっかり名前を呼んじゃうこともないしうっかりごはんの用意しちゃうこともない、猫のない生活。
変化といえば写真を撮らなくなったことですか、猫がいるときは何かにつけては猫撮ってたのに今は飲み行っただのケーキ焼いただの飯作っただのそんな時しか撮らないから「あれ、一ヶ月でこんだけ?」って。以前が撮りすぎっちゃそうなんだろうけど。猫ばっかりで7GBかよ!それでもまだ10年のうちの3年分かよ!って。
あとめっきり話さなくなりました、家で。一人暮らしですからそれが普通とも思いますが、喋りません。笑いません。黙って帰ってきて無表情でご飯食べて寝る。猫といるとよう喋ったしよう笑ったのだけど。
「あれこの可愛い猫はどこの子かなあ、うちの猫も可愛いけどここまでは可愛くないなあ、この可愛い子はどっから入ってきたんだろう、あれー可愛い子にちゅーされちゃったよ、あらら誰かと思ったらこの可愛い子はねねむさんではないですか、あらーねねむさんはいつのまにこんなに可愛くなったのかしらおばちゃんびっくりしちゃったよ、ちゅー」というようなめんどくさい可愛がり方をしていると猫が呆れたようにちゅーをしに(口をふさぎに)くるのです、ちゅー。
大勢でわいわいやるよりふたりきりでひそひそしてるのが好き、なんとなくそういうところが気の合う猫だったのです。
もうちょっと一緒に居たかったなあ。
ちゅー。
◇
母が「東京の黒い天丼が食べたい」と申しております。
孤独のグルメにも出てきた人形町の黒天丼のことかと思ったら、母が言うには「東京の天丼はみんな黒い」そうです、気にしたことなかったけどそうかもしんない、タレの色が濃い目。あとタレにかなりどぷっと浸してる感じ?
GWとやらが明けたら、三ノ輪の…というか吉原大門の土手の伊勢屋に天丼食べに連れてく予定ですよ。あと梅むらか梅園で豆かん食べますよ。予定です。