2009年3月19日木曜日

笑ったりもしてた

容れものがない両手で受ける、指先からこぼれ落ちるダークネス、そりゃ暗い、しんどい春の佳境


 


つかれた、しんどいと言いながらあと2週間もすれば4月、月が変わればもしかして気も変わるんじゃなかろかに期待してかわしながらゆく、おうちに帰りたくないよう病発病中、夜の夜中いつまでもチャリでコンビニまわったりしてる春休みの中学生みたいな


 


つかれた、何度シミュレーションしてもケンカ腰になる、いかん、それは間違っている正しい反応ではない、虚勢を張るから勢いケンカ腰になるんだ、どうしたらいいのかわからない


 


わからんことばかりでしょんぼりしている、済んだことは済まないこと


 


あーもこーも、「信頼感がない」という言葉で総括され得る気がする、その後ずっと頭についてまわっている、女の人はこわい、寸鉄人を刺す、本質を言い当ててしまう、本名を知られると魔力を失う悪魔の名前を言い当てるのも小娘だった民話の中の


 


モクレンの花とか咲いてた、枝が膨らんでるとは思ってた、いつのまにか準備してた


 


息切らして踏み台昇降運動、汗かくには外はまだ寒い、医者の冗談に息切らしながら笑う、恢復すると決めている、ただ今は疲れるばかり、が断じて恢復する。


 


総じて、どうにも疲れる、疲れた、笑ったりもしてた。


 



2009年3月10日火曜日

まよいつまどいつ

公演準備中はやっぱり「やるべきことリスト」ってものすごく必要で。


ケータイのカレンダー機能やリマインダー機能も少し使ったけど、あたしやっぱり紙ベースが一番しっくりきた。試行錯誤する間もなかったってこともあるけど。


普段キーホルダーは使わないから、かばんの金具のとこに伸縮リール(100均製)つないで、それに無印の単語帳(150円くらい)つけて。ペンはかばんに常備して。


無印の単語帳ってのがちょっと変わってて使いやすかった。


無印の単語帳


透明プラカバーが5cm×5cm、中の用紙は4.5cm×4.5cmの正方形。CFメモリーくらいの大きさかしら。


無印の単語帳2


色別のインデックスが3つプリセットされてる。


あたしの使い方だと、透明カバーのすぐ下(パッと見て文字が読める)のメモが「今日中にやること」、青インデックスは「週末までにやること」、赤は「土日に片付けること」、黄色は「忘れないでね」くらいの緊急度で…


用が済んだものは捨てていく。あたしの場合はびんぼくさく裏返して裏面も利用。


単語帳なので緊急度が変更になったときにリング外して入れ替えられるのがよかったな。


テクノロジカルなツールは身の回りにいっぱいあれども、ここに行きつく。


 



 


「迷光」は光学用語。stray light の訳語。レンズフレアの別名。


死んだ父さんと母さんが出てくるわけ。「フレア」には「ゴースト」がつきものだから。


 



 


いつも涼しい顔してたいしいつも平気な人になりたいし、水のようにさーらさら淡い交わりで満足する君子様になりたいけど、理想は遠い、遠いわ。


毛布が手放せないライナスのよーに執着する。いつも諦められない。勢いあまって極端な衝動に走る。バカじゃん。


傍から見たら、どうでもよい、ほんのささいなことで泣いて、ほんのつまらないことで一日うかれて、まあ、賑やかなバカっぷりで、賑やかなバカっぷりを日々自らしたためて、そのようにして続いていく。そのようにしてでも続いて・生きて・いたいと思うようになった。


 


好きは好き、嫌いは嫌い。嫌いも好き。好きは大好き。


 


今年の夏の公演には出演しないこと、今年は王者舘辞めないこと、そのふたつ決めたら少し気楽になった。


こんな「あたりまえ」の結論も簡単に出せないくらいひよひよのぐらぐらなんすね。と今わかる。



2009年3月8日日曜日

迷光

「どの石の上にのぼつてみても、まだ私の腹は冷めたい。」


そんな一節が三好達治の詩にあったなあ。春です。蜥蜴の心情を詠んだ詩だったと思う。変温動物だから春先はまだ腹が冷たいんだな。理屈だ。


あたたかくなったのにまだわたしの手もつめたい。変温か。


 


 


生活にせよ舞台にせよ、みな次へ次へ動き出しているというに、あたしまだ動けずにいる。


もとより精力的にごいごい進むタイプではない。復調へのメンテ中だし。でも焦る。


次はどこ行きたいの。何したいの。誰とやりたいの。見えんね。


エンゲキなんかキライです。じゃあ何やりたい?


 


感じることや思うことはできるけど、考えることができない。でも決めなきゃいけない。


そんなときにはコインを投げる。10円玉3枚あればいいのです。理屈は後からついてこい。


とどまる。前進もしない。辞めもしない。ここに落ち着く。どうやら今はそれがよいようです。コインのお告げ。


 


久しぶりに夢見た。夢なら簡単。



2009年3月3日火曜日

三度目は武装してうつくしく無関心

あ、しまったローソンで「伊賀まんじゅう」売ってたのに買うの忘れてた…


おひなさまであった。晩は蛤吸いにした。


こどもの頃は「菱餅」に憧れました。色と形とおひなさまの日限定というところがハートを掴んだのでしょう。餅風情が。


 


雪も降ったようで、通勤路には桜も(ヒガンザクラとかかな、早咲きの品種の)咲き始めて、季節のクロスフェード。


お米が切れて、半年ぶりくらいに玄米にした。ずっと「胚芽精米」とか「七分づき」とか微妙に真っ白じゃないお米食べてた。


玄米や全粒粉は花粉症やら鬱脳やらによいと聞くので、春はくろっぽいもの食べる機会を増やしてるな。気休めかもだけど。


 


フィルムの写真できてる旨を聞いたのでハト坊に連絡。


「今日見に行っていい?」「駄目」「都合悪いん?」「めちゃくちゃ忙しくてその上めちゃくちゃ機嫌悪い」あははは、そりゃ駄目だ。


「めちゃくちゃ機嫌悪い」って言えるあたり、ハト坊も大人になったなーってしみじみ思っちゃう。昔だったらぶあいそにぶんむくれてそんで八つ当たりだったもんね。


日を改めて写真見せてもらう約束する。


先週天野さんが「俺山崎に悪いことやっちゃって…」と言うので、何したんか訊いたら、「山崎の目の前で、ハトリの写真すごく良い良いってずっと言ってた…」


ああ…。


のりちゃんには悪いけど、写真の意味っていうか解釈が違うからねえ…「記録」と「作品」みたいな…


で、のりちゃんがどうのっていうんじゃなくて、やっぱり、やっぱりハト坊の写真っていいって思ったよ。画面の緊張感かなあ。冴えてて。古文書みたいに粛然としている。


フィルム写真、楽しみ。


 



 


去年ひこにゃんストラップもらったから黒幕さんにひこにゃんグッズお返し。


川崎在住でイムコウんちにほど近いあたりにお住まいなんだけど、スズナリへはチャリで来る。


ほんで「シモキタなら近いすよ」とかってさらっと言う。そうだっけ?と一瞬思うが、井村家へ向かう電車の中で「近くねえーっ」と確認する。筋金入りのチャリダーめ。


 


チャリに乗ったひこにゃん見たいなあ。


 


チャリつながり。来月からうちの前の道路が駐輪禁止になる。ものすごく困る。


 



 


名タイ編集部刊行の『名古屋情熱時代』をチラ見するつもりで本屋入店、


よしながふみ『大奥』最新刊買うてもうた。男大奥完成。五代将軍綱吉登場まで。


 



 


はるはうむ。春は倦む、春は膿む、春は生む。


 


だいじょうぶ?


(お前が言うな)(武装して無関心で



2009年2月28日土曜日

まぎれる

どんなへおへおでもしおしおでも、好奇心が枯れない限り大丈夫、やっていける。


 


今気になってるのはフォーサーズ機かな、デジ一の。買わないけど。


何がフォーサーズって、撮像素子がフルサイズに対して3/4サイズなのね、そうゆう規格。オリンパスとコダックが企画開発した新ユニバーサルシステム。レンズ互換性の確保とか。


で、パナのLUMIX DMC-G1とゆうのが「マイクロフォーサーズ」というフォーサーズ発展系の規格で、ミラーレス構造(マイクロフォーサーズ機はフランジバックが短いため構造上ミラーを組み込めないらしい)。


ミラーレスならシャッター音も小さいのかなーと思って店頭でいらい倒してみた、全然そんなことない。音大きい。しかもまぬけな音。文字にすると「ぎぼっ」みたいな。


いまどきのこうゆう趣味性の高い中級機高級機なんかはシャッター音も設計してるって聞くけど、なんでこんな音にしちゃったのかしら。


あと、鏡を使ってないから一眼「レフレックス(反射)」ではない。メーカーでは「デジタル一眼」と称しているそうな。(フォーサーズ機のL10は「デジタル一眼レフ」と称している。)


一般的にはデジタル一眼レフのことを「デジタル一眼」「デジ一」と略称してるから、呼称的にちょっと混乱。まーどーでもいい細かい話でした。


 


シャッター切ったときのミラーアップの衝撃に「手応え」みたいなの感じるって人もきっといるんだろうなあ。趣味の世界はフェティシズムの世界。


 


こないだの舞台で使ったのはミノルタSR-1、1960年代発売、部品取り用のジャンク(ミラーはねあがらず)で確か700円くらいだった。ロッコール55mm/F1.8付。


ご家庭カメラのイメージだけどユージン・スミスが水俣取材の折に使用したのがミノルタSR(SRT101とSR-1s)だそうな。


そういえばこの人も片目を潰されたカメラマンだった(水俣シリーズでチッソ社の雇った暴力団員に襲撃され片目失明)。


ユージン・スミスといいユジェン(ユージン)・バフチャルといい、ファーストネームが「ユージン」のカメラマンは目に災難あるの法則。


 


ロモとかホルガとかプラボディのトイカメラ、持ってないけど、あーゆう廉価なシリーズで中版とか二眼とかフィッシュアイとかいろいろ出てておもしろいな。


トイカメラでティルト・シフトレンズ装着したの出ないかなー。目先の変わったオモチャレンズとして。シフトでフォトモ作成、逆ティルトで本城直季ごっこ、需要あると思う。


ティルトレンズがあれば誰でも本城直季になれるわけではないのは当然だけど、ミニチュア風撮影に憧れる撮影愛好家は少なくなく、そしてティルトレンズはめっちゃ高価。もともと建築関係とかカタログ撮影とかの業務用レンズだからかしら。


そこでそこそこしかお金のないカメラファンの方たちは、レンズをマウントに固定せず手で支えて角度つけて撮影するという「根性ティルト」とゆう荒業を編み出したらしい。すげー。バカ(悪口ではない)。


 


光と反射と角度とメカニズム。やっぱカメラっておもしろい。



2009年2月27日金曜日

感情の浪費

雨あがりやがったか


 


風つよく、ほのぬくく、花粉とか飛ぶのであろう飛んでいるのであろう。目と耳の奥がひじょうにかゆい。


突如思い立って週末上京しようかと思ったりもするけど、家から出ないのが正解かもしれん。


 


「季節はようく知っておるさ」とももちゃんは言ってたな。不調で春を知る。調子悪くてアタリマエ!


日々如実に安定を欠きゆく精神状態を自覚しつつ、おとなしく家でじっとしてるのがいいのか出歩いてなるべく人と会ったりよそに目を向けた方がいいのか、いつもよくわかんない。


精神だって身体だ。畢竟、物質に由来する。


動かさなければ退化するし鍛えれば進化するんじゃないだろうか。


根性論ではなくて。脳内物質放出の能力の問題。脳トレーニングでセロトニン分泌をコントロールできるようになればいいのだ。


 


去年はびっくりするほど軽くすんだな、花粉も春鬱も。相関関係があるかしら。


シフォン碧南があったりフレアのネタ書きためたりひとを口説いたりの頃で坂本木場ライヴもあって、下降する隙もなかったんだな。


予定を埋めて気を張っとくといいのかもしんない。


 


 


 


「祖母はレイバイで/母はマジナイ師だった/伯母はゲイシャで/叔母はケッカクで/もう一人の叔母はウマズメだった」


伊藤比呂美「テリトリー論」の一節。そうか最初に「女の子の家の歴史」とかって思いついたのはこの詩が頭のどっかにあったのかな。


 


先日、伊藤比呂美のエッセイ&詩集『ラヴソング』購入した、発行は3、4年前だけど収録されてるのは10年以上前にあちこちの雑誌に掲載された文章や訳詞。


本人の解説によると、三十代後半で家庭をぶちこわして国内外を転々と、ときには子連れでときにはひとりで移動していた時期に発表した作品たちだそうで。かつての自称「野良猫女房」、いつのまにか「グローバル野良猫女房」に。


そういえばその時期のって読んだことないな、それ以前の、熊本や時にはポーランドで育児してた頃のは読んでるけど、しばらく空白があって(わたしから見ると。育児雑誌で母親相談とかの連載はしてたようだった)久々に著作読んだら娘たちつれてカリフォルニアで初老の学者と生活してるとかで、そしてまた詩集や小説がコンスタントに上梓されるようになった。


ひとごとながらいそがしい人生だ。なんつうか、移動距離的に。


とゆうわけでこの本に収録されてるのはカリフォルニアに落ち着く以前のもので、いやあ、身の置きどころは心の置きどころ、なにかとても痛々しい。


本人も「あんまりつらくて、長い間、読みかえすこともできませんでした。」という。


意外なものを書いていたんだなあと思いました。昔のとも今のとも違う。あたりまえか。


ロックのラヴソングの訳詞で一章構成されてますが、それとは別に、当時の詩2篇と、あとビートルズの「ヘルプ!」をカエターノ・ヴェローソがカヴァーしたものに影響を受けて書いたという詩が2篇載ってて、なんだか、帰る部屋はあるけど落としどころのない日々のさんじゅうはっちゃいをひやひやとさせる。


題「助けてほしい、どーしたらいいのかわからない」という。


たいがいのことは「どーしたらいいのか」さえわかったらなんとかかんとかできるのよね。


そうして、助けようにも、「どーしたらいいのかわからない」ひとを助けるのは至難の業なのよね。


それはね。


わかってるんだけど。



2009年2月26日木曜日

water level

雨続きの二日目はかなり楽、花粉の季節となりました。


体のしんどいが如実に気持に反映する今日この頃。


今年は強めの抗アレルギー薬を服んでてそれでこんどは薬負けを起こしてまいんち不調とゆう。春終われ。


 


ほんと一年の中で調子いいのは秋だけだなあ。10月だけ。10月の国に住みたい。


 


あきらかに調子が悪いうちはなるべく考えないようにしたいのだけど時間は待ってくれないし。


なんか先も見えないし足もとも見えないし自分がわからないしとっかかるところがないのね。


なんにつけバランスとれてないのはわかるんだけど。


水平器が必要だ。


 


先のことをまともに考えたいなら自分の水平器が必要だ。


 


転居のため不達とかの末、本日ようやく「ライトフレア」記録DVDをイタダく。がんばちゃんステキ。


ライブラリにがんばレーベルが増えた。


で、怖くて、まともに再生できなかった。とめてとめてとばしてとばして見た。なんだこの感情。


先につながることでなきゃ詮ないし卒論や思い出作りにするつもりはないと理屈で考えてやってきたけど、なんだろう、「怖い」としか言いようがない。


落ち着こう。





2009年2月24日火曜日

まとめて

メロンパン


地方色豊かなメロンパン。


サンドパン


地方色豊かなサンドパン。彦根市だるまや製パン所製。


 


ひこにゃん登場


ひこにゃん登場。


 


ひこにゃん・斬


ひこにゃん・斬。


 


ひこけつ


ひこけつ。


 


彦根犬


せっかくの散歩なのに飼い主が立ち話ばっかりで歩けませんのや、と通りすがりの旅人に訴えてきた彦根犬。


 


ひこ酒


自分用土産。中身は料理酒として使用予定。


 


 


作業ナイフ


作業用ナイフ購入。


 


切り絵2009.2.23


切り絵製作。


 


  空を切る腕(かいな)の刹那踊る人  林ももこ


 


 


 


 


ぐあい わるい


はやく あいたい



やぶれる

 


 


しんけんに話をしようとしてるのに


つられて笑ってしんけんもチャラで


それでもいいか。


くやしくても笑ってそれでいいか。


笑うと負けよ


たのしい負けよ。


負けてうれしい笑うと負けよ。


 


 



2009年2月13日金曜日

もう寝ちゃった?

幾度目かの「今度こそほんとにおやすみなさい」の1分後に「…ねえ、まだ起きてる?」って語りかける子どもでした。いまだに全然変わっていません。


もう終わったことなのに話し続けてしまいます。


 


いいや、目が覚めちゃったからもうすこし喋っていよう。


 


早川司寿乃(しーちゃん)から観劇の翌日電話きた。


「カシワさんが原作に"フレア"って名前をつけたときの気持ちっていうのはどうなったの?」


すんっげー捉えづらくかつ答えがたい質問をしなさることだ。


終演後にも原作について訊かれていた。


細かいことだけどわたしは自分では原案と言っている(チラシ表記も)。


「フレア」はまとまった一つの作品じゃない、断片のアツマリだと思う。それで「原案」と呼ぶ。




わたしの世界を芝居で表現したかったわけじゃなく、虎馬鯨の新作が見たかったのがはじめで、いろいろもろもろ経て、虎馬鯨×天野天街の次回作が観たいというところに落ち着く。


"フレア"って名前をつけたときの気持ちは、試薬入れるほどのものじゃないのかな。のかなって、推量。


シンプルで単純で赤にも青にも変化するものを投下した感じ。作品にタイトルをつけるって感じじゃなかったと思う。最初はいくつかの断片を書き散らすつもりだったので、ファイル名は「フレア1」になっている。サンプル試験管みたいに。


そうゆう気持ちが「どうなった」って言えば、化学変化を目の当たりにしておもろがってる、とかそんなんよ。


 


Fの音がいいなあ、と思った。なんとなく。なんとなくだけどFは女子っぽい。フローラ。フィメール。フリル。ふわふわ。ふる。ふえる。ふるえる。


Fの音がいいなとだけ思っているときに、天野さんと仮タイトルの話をしてて、ぽん、と口から「フレア、とか」と出てきた。それでフレアになった。


女の子の服飾の優雅な布地と、太陽の閃光、レンズの中のキラめく光片、全部が多重露光になっててぴったりだなと思った。


でもこれはむき出しの3音だ。虎馬鯨に何か足してくださいと言った。「ライトフレア」になった。軽く明るく、二重画像の輪郭がよりクッキリした。ドキドキした。


 


名前をつけることは魔法をかけることだとCWニコルのおっさんが書いてたそうだ。そう思う。


 


人物の名前はだいたい原案のまま使われた。


名前をつけるのはむずかしい。


名前に意味がこもるから。


フレアと付けたのと一緒で、後から後からもっともらしい理由が湧いてくる。


名前だけでもう「ネタ」や「イメージ」なのです。たとえばこんな。


 


一子・二三子は単純に数、女1とか女2とかの記号とおんなじ発想。だったのだけど、


海南島の神話に出てくる島で最初のきょうだいの名字が「ワン(王)」と「フー(巫)」で、それになぞらえてワン=ONE=かずちゃん、フー=ふーちゃん、とか、


『老子』に出てくる世界のはじまり「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」であるとか、いろいろ頭の中で意味づけたな。


 


おかあさんじゃない方が零子なのは、モノガタリ語る人だから稗田阿礼(ヒエダノアレ・古事記の語り部)にあやかってレイコにした。


おかあさんの初子は原初の初、エジプトの神殿の碑文にある「彼女は生まれることなくして生む」という一文からきたイメージ。


初ははじめてのハツだけどウブでもある、そしてウブは産むに通じる。


 


乙彦は古事記・日本書紀に出てくる楽器の神様の名前をもじった。


この神様には笛の製造にまつわる土俗神話が各地にあるそうな。


古事記では天界から地上を視察に行って帰らなかったために殺される。


ちなみに「彦」には「姫」が対になるはずなのでどこかにオトヒメがいるはずだけどこれは書きはぐった。


 


アゲハ・クレハは上端・暮端。ようは東と西。


クレハという名前は呉服とも書く。機織りの女神でクレハトリとアヤハトリという姉妹がいたそうで、それにもひっかけた。布地とか衣服とか羽織物とかにまつわるイメージ。


 


十郎は「曾我兄弟」の曾我十郎祐成から取った。


曾我十郎は能「夜討曾我」で仇打ちに行った先で討ち死にするのだが、それを闇の中でたいまつ掲げた弟五郎時致が捜す場面がとてつも良いので、闇に消えて光に映らない死者のイメージで名前をいただいた。


 


戸越ヒロと仁科磯子、はヒトゴロシとシニソコナイのアナグラム。


未成年の重大犯罪者が少年院から出てくるとき、その将来を慮って法務官が新しい姓名をつけることがある。


その法務官が風刺だかの利いた人で「あっお前ヒトゴロシだからトゴシヒロな」って名付けてたらやだろうなあ、とか思いついて命名。刑を終えても犯罪者は犯罪者。


「ヒロ」は海の水深を測る単位「尋(ひろ)」にもかけた。尋と磯子。二人して海っぱたの名前なのです。


シニソコナイは死に損なっていつっまででも生き続ける、八百比丘尼のイメージ。


八百比丘尼は若狭の浜辺をうろついていたというから、やっぱり海っぱたから離れられない。


 


ヨタはヨタ者のヨタ、琉球で占いにハマッてる人をユタ買いという、ユタ買いのヨタ。


 


フレアに出てくる名前と由来はこんなとこ。


「ライトフレア」っていうお芝居になるにあたって変えたりバラしたり新しい名前が作られたり属性がシャッフルされたり。トランプみたいに。


 


ふーちゃんのふーは巫(ふ)にかかっている。


「巫」の字形がガクブチ舞台の真ん中開きの幕(カーテン)を左右から女の子が引こうとしてるシルエットみたい、というすっごいたあいない象形ダジャレが頭にあって。


自分の描いたイメージなんかどうだっていいですよ、と言いながら、今回の美術の白いカーテンに感動し、それを左右に引くゆきこさんとペコちゃんにまた感動したんだった。



2009年2月12日木曜日

油甘物と快楽

ロイズ。デパ地下の特設売場が人だかりする時期になりもうした。


例のチョコレートコーティングのポテトチップスは以前なんかの芝居やってるとき誰かの差し入れで食べた。金谷ミヤちゃんだったかな。


なぜかそんなにハマらなかった。


ポテトチップス+チョコレートってすんごいカロリー高そうだなーとか、そんなこと考えてた。


脂質と糖分の組み合わせが一番太るそうで。


でもこってり系のおいしいものは脂と甘みで決まる。


グルメリポートが「口の中でとろけるー」「あまーい」ばかりになるのもむべないことである。リポーターの語彙が貧弱なせいばかりでもない。


どこかの研究所で「おいしいものは高カロリーである」という定説を実証しているのを新聞で読んだ。


脂質と糖分で舌が満足した後、カロリーとして吸収されるときに脳の報酬系回路のスイッチが入るんだそうである。


舌が満足して脳が満足する。一粒で二度おいしいってわけ。脳の満足が、満足度の深さやリピート行動につながる。


味覚の刺激だけでカロリー吸収につながらない場合は報酬系回路は作動しないらしい。


砂糖は麻薬だと誰かが言ったけど、ある意味ほんとだ。


大昔、脂質や糖分はそうそうまとめてに口にできるもんじゃなかったはずだ。狩猟民族が狩りに成功したとき。くだものだのハチミツだのが手に入ったとき。


たまの高カロリー食はこんなにもおいしいと脳が烙印を押すことで、次の仕事(狩り)への意欲が湧くように、そのような回路を神様が仕組んだのかしら。


報酬系が作動する刺激行動には、摂食のほかには性交や音楽、麻薬なんかがあるそうで。


食事とセックスは個の生存と種の繁栄がかかっているからわかるとして、麻薬も神経系に直接作用するからわかるとして、音楽がそんな本能レベルの快楽に結びついてるのは面白いと思った。


NO MUSIC,NO LIFEってか。「ってか」って付けちゃうけどさ。


 


ああそっか、じゃあ、ライヴ行ってメシ食ってエロいこといたしましょう、とゆうデートコースは報酬系神経回路的にたいへん正しいんだなあ。さらに薬物キメてれば完璧だ。


完璧な快楽の追求。


 



2009年2月5日木曜日

白ネギを煮る

発熱中。


公演終わるまで病気しないのは偉いが、終わったとたん発病するのは、気抜きすぎ。


さすがに一日は休めず午前休、午後から出社。


帰りに体温計買う。この4年体温計のない暮らしをしてたのね。


熱っぽくっても平熱のときもあるし、高熱なのにぴんしゃんしてるときもあるし、病院行けば計ってくれるし、別にいいやって買ってなかった。


どうゆう心境の変化でしょう、電子体温計購入は。


新しい体温計で熱計るのなんとなく楽しい。


 


4年か。


そーか。


 


 わらう柴系


名も知らぬ犬わらう冬


 


「終わらないで」は女の常。


はい終わりましたよ。未練も執着も洗い流すとよいのですよ。


ゆるい見通しで5月にはあれもこれも完全復調の予定。


5月は好きな季節だからちょうどいい。


 


思い入れが強すぎて視野が狭くなってもつれてすっころぶ、いつもそうだね。


もっと冷静になれたらいいのにね。


未来の先から振り返るようにして自分を見られればいいのにね。


上から目線、ならぬ、先から目線。


 


「これはずっとずっと先の鏡が映したずっとずっと昔のお話。今、ここのお話です。」



2009年2月4日水曜日

おしゃべりとか止まらないとか

今日は。


さあいよいよ領収書計算、ああでも鼻水が止まらないしなあ、とりあえずお礼メールまだの人にメール送りたいわ、と送信。


ほしてさっそくユウゴさんから折り返しで電話、もちろんくっちゃべる。


この二人の組み合わせって、リアルで会ってるときより電話の方がとりとめなくよく喋るかもしんない。


いや、でも、公演後一週間、喋りたい時期か。わたしが。


 


人恋しいんだよね。そうゆうことなのよね。


毎日毎日繰り返したあれがもう繰り返さないのだということ、腑に落ちるまで少し間があるのよね。


職場にいて半分上の空なのは、風邪のせいだけじゃなくて。


 


誰にもまだちゃんと感想言ってないなあ。


いつもにまして「ちゃんと」は言えないけど、こんなとこがステキだった、こんなふうに見えたって。


1時間18分のコンパクトな舞台、それでも花ひらくには充分だったこと。


 


足踏みミシンって「わくかせ輪」にちょっと似てる。能「黒塚」でおばあさんが昔話しながら糸を紡ぐ装置。


わくかせ輪は永遠に廻る因果の象徴なんだけど、それでいうとミシンはどうゆうシンボルになるだろう。



2009年2月2日月曜日

絶対零度の空

ツイラクするヒコーキと目を潰されるカメラマン、は、ピロスマニアの「ハリスの旋風」(作詞・あがた森魚)からいただいたイメージ。

 

   激しくも右手に傾き落ちてく

   巻取られたフィルムが宙返りながら

   果かなくも左手にも揺れ落ちながら

   僕も君も時の彼方へ消えかかる

 

   大空には何も見えない誰もいない

   ああプロペラと ただMECHANISM

   エンジンの音以外僕も誰もいない

   ああプロペラと ただMECHANISM

 

のち、港千尋の著作の中で、盲目のカメラマン、ユジェン・バフチャルのことを知り「光の触手」と題された一連の作品を見る。

光の触手、サーチライト。それも「あなたはそこにいるのか?」の問いかけだ。

そのコタエ。Response。Spiegelreflex(鏡の反射)。

盲人が手にした暗箱(カメラ・オブスキュラ)の中のライトレコード。

または機体残骸にまぎれたブラックボックスの中のフライトレコード。

そこにいるの?光の問いかけの答えはログに残る。空気にも光にも触れないシェルターの中で「今」ではないところへゆく。

そうしてすべての肖像写真はいずれ遺影となる。ココにいたよ。

 

 

 

そんな妄想。