雨あがりやがったか
風つよく、ほのぬくく、花粉とか飛ぶのであろう飛んでいるのであろう。目と耳の奥がひじょうにかゆい。
突如思い立って週末上京しようかと思ったりもするけど、家から出ないのが正解かもしれん。
「季節はようく知っておるさ」とももちゃんは言ってたな。不調で春を知る。調子悪くてアタリマエ!
日々如実に安定を欠きゆく精神状態を自覚しつつ、おとなしく家でじっとしてるのがいいのか出歩いてなるべく人と会ったりよそに目を向けた方がいいのか、いつもよくわかんない。
精神だって身体だ。畢竟、物質に由来する。
動かさなければ退化するし鍛えれば進化するんじゃないだろうか。
根性論ではなくて。脳内物質放出の能力の問題。脳トレーニングでセロトニン分泌をコントロールできるようになればいいのだ。
去年はびっくりするほど軽くすんだな、花粉も春鬱も。相関関係があるかしら。
シフォン碧南があったりフレアのネタ書きためたりひとを口説いたりの頃で坂本木場ライヴもあって、下降する隙もなかったんだな。
予定を埋めて気を張っとくといいのかもしんない。
「祖母はレイバイで/母はマジナイ師だった/伯母はゲイシャで/叔母はケッカクで/もう一人の叔母はウマズメだった」
伊藤比呂美「テリトリー論」の一節。そうか最初に「女の子の家の歴史」とかって思いついたのはこの詩が頭のどっかにあったのかな。
先日、伊藤比呂美のエッセイ&詩集『ラヴソング』購入した、発行は3、4年前だけど収録されてるのは10年以上前にあちこちの雑誌に掲載された文章や訳詞。
本人の解説によると、三十代後半で家庭をぶちこわして国内外を転々と、ときには子連れでときにはひとりで移動していた時期に発表した作品たちだそうで。かつての自称「野良猫女房」、いつのまにか「グローバル野良猫女房」に。
そういえばその時期のって読んだことないな、それ以前の、熊本や時にはポーランドで育児してた頃のは読んでるけど、しばらく空白があって(わたしから見ると。育児雑誌で母親相談とかの連載はしてたようだった)久々に著作読んだら娘たちつれてカリフォルニアで初老の学者と生活してるとかで、そしてまた詩集や小説がコンスタントに上梓されるようになった。
ひとごとながらいそがしい人生だ。なんつうか、移動距離的に。
とゆうわけでこの本に収録されてるのはカリフォルニアに落ち着く以前のもので、いやあ、身の置きどころは心の置きどころ、なにかとても痛々しい。
本人も「あんまりつらくて、長い間、読みかえすこともできませんでした。」という。
意外なものを書いていたんだなあと思いました。昔のとも今のとも違う。あたりまえか。
ロックのラヴソングの訳詞で一章構成されてますが、それとは別に、当時の詩2篇と、あとビートルズの「ヘルプ!」をカエターノ・ヴェローソがカヴァーしたものに影響を受けて書いたという詩が2篇載ってて、なんだか、帰る部屋はあるけど落としどころのない日々のさんじゅうはっちゃいをひやひやとさせる。
題「助けてほしい、どーしたらいいのかわからない」という。
たいがいのことは「どーしたらいいのか」さえわかったらなんとかかんとかできるのよね。
そうして、助けようにも、「どーしたらいいのかわからない」ひとを助けるのは至難の業なのよね。
それはね。
わかってるんだけど。