烏丸ストローク&月ヶ庭公演観にいく。
初烏丸。
「からすまストローク」という響きは「クリスマスと労苦」に似ているなあ、と思ったが、そもそも「クリスマスと労苦」という言葉を発する機会はあんまりなさそうだなとも思う。
あと油断すると「烏丸ストローク」と主宰の「柳沼」さんというのが脳内でごっちゃになって「柳沼ストローク」とか「柿沼ストローク」とかになっちゃう。だれだそれ。名前を覚えるのがとんと苦手なお年頃ですわい。
それはさておき、烏丸&月ヶ庭であった。月ヶ庭というのは柳沼さんが行なった演劇ワークショップ参加者で構成された集団の名前らしい。コンスタントに小作品を作って発表してきたそうで、今回はその小作品の集大成公演『凪の砦』である。
触らせてくれそうで触らせてくれないナビ猫。
観る前に「重いよ」と聞いていたせいかそうでなくてもか、やっぱり「重いな」と思った。どのあたりがワークショップや月ヶ庭参加者で書いて構成した部分でどのあたりが柳沼さんが加筆したり再構成した部分かは知らない。構成や演劇的な仕掛けはよくできていると思った。テーマにも芝居にも真摯に向き合って丁寧に作っているのはとてもよくわかる。全体に重い話からオチでまた重いところに落とすのですごく落差というか高低差のない落ちだなと思った。日常的な死と非日常的な死の対比。
全体の構成が夢幻能形式になっている。意図的にそうしているのだと思う。諸国一見の僧がいわくのある土地にたどり着いて、土地の者に来歴を聞く。そうしているうちに故人が往年の姿で現れて、僧の眼前に当時の様子、そして断末魔の有様を仕方話に語った後回向を頼んで失せ、すべてを見届けた僧が合掌して去る、というのが夢幻能の基本形式。
生者と死者が対峙して、死者の声に耳を傾けるという劇形式が能では確立してるんですよね。だから今回その構成を採択したのだろうなと納得しながら観た。劇構成もだし、アクションを終えた演者がアクティングエリアの外側で蹲踞して次の出を待つのも能を意識した演出なんだろうな、と。鏡板は無いけど降る落ち葉で木の下感を感じつつ。
きちんと考えて端正に作ってあるなあと思うのだけど、話が重いわりにはどうしようもない病みみたいのは感じられなくて、なんか胸に引っかかるものなくスルンと流れて行ってしまうような。よくまとまった卒業論文みたいなんですよね。ちょっとくらい破綻しててもお行儀が悪くても、それ故にかな、胸ざわざわして忘れられない芝居や好きにならざるを得ない芝居ってのが自分にはあるわけですが、そういうのじゃない。物足りないってんでもないんだけど、なんて言うんだろうね、好みの問題と言ってしまえばその一言に尽きます。
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終演後はアフタートークが30分くらいあったようですがわしわしアフタートークそんな好きじゃないのでそそくさとおいとまし、原駅前でけいちゃん。アフタートーク後に更に合流あり、あれ?これ先週の博物館行きと同じ面子?先週の続き?みたいな飲み。
なんかありさんの生ビールにスマイル描かれてましたよ、頼んでないけど。
ラズベリーソースで描かれているのでビールがラズベリー風味になってるらしいですよ、頼んでないけど。