時制について考えていて思い出した、むかし、26、7年くらい前、リリナが言った「『あとにもさきにも』って変じゃない?『あと』も『さき』も同じでしょ?」という疑問。
日本語の「さき」という言葉の妙味、過去も未来も「さき」で表せるという。「さきの副将軍」は「未来の副将軍」にあらず。
「現在」に抵触してなければもうどっちでもよかったのかなあ、言語の背景にある文化を勘ぐる。
「あとにもさきにも」の解釈は「未来にも過去にも」でいいんだと思うけど、
「あとさき考えず」の「あと・さき」はどっちも「未来」の意味でいいような、日本語むずかしい。
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3日目、マチソワ、朝から雨。
昼のゲストは姫子、夜はすうどん。
初日が開けたらバラメシになると聞いていた賄いは食材が余ったによって終わる終わる詐欺のように続く、もちくんの初チャレンジメニューは甘辛揚げ焼き豆腐。味はぼんち揚げ(歌舞伎揚げ)ぽい。
そんなもちくんは今はおさんどんさんに身をやつしていても実態は売れっ子ライター、昼開演まで受付ヘルプした後別団体の公演会場へお出かけなさっていった。
夕方、余ったご飯でおにぎり握り、余った時間で電脳街へ。ドスパラとツクモでBTOPC見る、GTX搭載とかの高性能な機種に無駄に憧れる(ゲームやんないのに)。
夜、動員多めと聞いてたのでモニター鑑賞させていただくつもりでいたら「あれは絶対、生で観なきゃ!」と古株衆で生観劇、先ほどまで「ちょっと愉快でちょっと風変わりなパン屋の店主だよ〜」感満載だった鈴木氏が瞬時に25年の時を超えて怪優すうどんに帰っている、すげえなあ、いつでも神は降りるところに降りるんだなあ。感心した。
バナナあんこチーズトーストはトリップできる珠玉の味だそうです。それ以上トリップしてどうしようというのですか。
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「けれんみ」という言葉があるね、あんまり日常で使う言葉じゃないが歌舞伎の評なんかではよく使われる、評論専門用語みたいになっとる(確かもともと古典芸能用語)。
「けれんみのある」と言えば「ハッタリの効いた、かぶいた、テンション高めの、派手で見栄えする、ゴージャスでパンチがある」的な意味で、
「けれんみのない」と言えば「飾り気のない、楚々とした、ごまかしのない、シンプルで素直な」てな意味で、どちらも褒め言葉として使う(経験上、褒め以外での用例を見たことがない)。
天野さんの芝居なんかはそりゃもう「けれんみたっぷりでトリッキーでイリュージョナブル」ということになりますが、その絢爛豪華の中にふっと、無意識のような素のような、無意識でも素でもなかろうけど、「けれんみのない」瞬間がありますとなんかものすごくずっきゅんとくるんだな。
ダンスのポジションに移動するときの役者の表情や所作が好き、となんかマニアックな人みたいなことを毎回言ってますが、まあそういうことで、芝居のときはあんなにかぶいてた役者が踊り出すとごまかしのないスッとした動きだったりして、そのギャップに萌えるってやつですかねこれは。
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双方向的アナクロニスムと逆転遠近法により見当識は完全に失調しております。ありていに言えば「ここはどこ、わたしはだれ、いまはいつ?」てなクリシェ。錯綜した感傷、「カツミさん、メシはまだかね」ほど間違ったあとさき、因果律の混線。
あるいはもしかしたら因果も機序もないただのランダム発生が同時多発しただけのことに、意味を見出そうとして生じた混乱かもしんない。ライプニッツはモナドに窓がないとしたが神によって予め調整されているとも言った、それはメカニズムだろうか?因果はなく機序だけが作動を続ける、世界はそんなゼンマイ仕掛けの鳩時計です。