2018年5月27日日曜日

中村ぶらぶら

そいやいつからお土産用の数量の入ったお菓子や雑貨のこと「バラマキ」って呼ぶようになったんですかねえ。
わかるけど、実感なんだろうなとは思うけど、イヤな言葉だ。義理チョコ的なイヤさ。


「アタリのししとう」は劣性ホモじゃなくて単為結果の結果だそうです、結果の結果、なんて分かりにくい日本語。borne fruitのresultだそうです。単為結果、めしべが受粉しないままで実がなっちゃうやつね、ししとうの想像妊娠?
昔うちのカーチャンが「種無しスイカは甘くない」と言ってたけど、単為結果では果肉の味が変わるとかっていう因果関係があるのかしら。
種を遠くへやりたい→動物に食べてもらうために実を甘くする
種がない→あー別に甘くなる必要ねーや

ってことだったらすげえな、スイカ。
女子校だと男子の目がないから振舞いがガサツになる的な、生存戦略放棄行動か。


五月晴れの風の強い日、てくてく歩いて駅西に差し掛かった、椿とか笈瀬通とかの辺を通りかかったら大々的に道路工事をしているようで、なんじゃらほいと見たら「雨水対策下水道築造工事」とのことであった。
この辺だと溢れる河川もない気がするのに洪水対策?と一瞬思ったけど、いやゲリラ豪雨で名古屋駅一帯とんでもないことになったんだったなと思い出した。自分に直接の被害がないと忘れがちです、地下鉄の駅まで浸水して東山線ストップする大騒ぎだったのにね。駅への浸水は当時建設中のJPビルの雨水お漏らしが主原因だったんだっけね。

太閤通り沿い、タイルがかっこいい廃業喫茶店。
提灯屋さんの看板。
大門、解体作業中。中庭のあるコの字型の特徴ある建物、赤線時代の娼楼建築ですね。
近代遺産として保存するほどの価値を認めてくれる人もなし、むしろ不動産屋さんとかから見たら「リニア新幹線が開通するってのに、ああいう建物が残ってるから地価が上がらないんだ」って忌々しく思われてそう。
中庭に面した奥には煉瓦にアーチの腰高窓も見えてます、和洋折衷の面白い意匠だね、当時の粋を凝らしてたんだろうね。三階まであったぽいけど見たとこ天井裏みたいな低い部屋だったのかな、布団部屋か、お客のつかなかった女郎さんの寝る部屋か、なんかそんなかなあ。

ソープの建物がなんで通りに面したとこだけゴージャスで裏が築古年木造の「看板建築」かっていうと、本体部分を建替えようとするともう新しい建物には風営法上の営業許可が降りないからだって聞きました。ソープというのの営業実態が今の日本の法律的にはアウトなんで摘発とかすれば一網打尽なんだろうけど、なんでかあんまりそうはせずに、ただ今の建物でやってるぶんにはお目こぼししてもらえる(?)けど建替えを機にアウトにするよと、なんか不思議な猶予期間みたいな既存不適格な、まあそういうことになってるらしいです。赤線廃止から60年?気の長い話だ。
まあ、今の、「コンパクトシティ」とかを目指して市街化調整区域とか指定してるとこも、50年、60年経ってやっと調整完了するんでしょうねえ。
善ちゃんの風鈴が揺れています。


いい気候なので猫が道端に出てきてくつろいでますね。

懐っこい子を撫でたらそのあといつまでも頭突きしながらついてきてちょっと困ったり。撫で逃げですよすみませんね。

キャッと顔。
こういう季節でもあります。




2018年5月25日金曜日

食系

流行りの「グラスフェッドバター」とかいうのを春先くらいにもらったのだけど、ちょうど新しいバターを使い始めたとこだったのとその後ピーナッツバターにはまったのとで全然手をつけてないのだった、ということをマツコの番組見てて思い出した。
人からもらった食材は忘れがち。


追悼でヒデキ感激を見てるうちにカレーが食べたくなって鍋いっぱいカレー作る。バーモントじゃないけど。
りんごとハチミツとろーりとけてるって、相当甘口ってことだよね。あ、第二次ベビーブームあたりの子供たちを狙い撃ちにしたお子様向きカレーだったのかもしんない、その後の「カレーの王子様」的な。
子持ちから聞いてはじめて「そういうものか」と思ったことに、「子供がまだ小さいから辛いカレーが家で食べられない」というのがあります。ご家庭では子供舌に合わせて甘口カレーを作るので親もそれを食べることになるという話。鍋2つ使って2種類作り分けたらいいんだろうけどお母ちゃんとしてはそこまで手間かけたくないんだな、ご飯以外にいっぱいやることあるしな。

改めてVTRで「ヒデキ感激」のホンモノ見ると、あの振付とか「カンゲキィ」の発声の裏声への移行具合とか、なんかいろいろと完成度高いのであった。
一世を風靡したCMフレーズはやっぱ迫力(せまりぢから)があるよ、はっぱふみふみも今でしょも、何気に有無を言わさない迫力があるんだよね。はっぱふみふみなんか畳み掛けるように「わかるね?」だもんね。迫りくる巨泉の「わかるね?」。逃げ場がない。


今年のはじめくらいに日進赤池に「国家戦略特区指定県内第一号」とかいうごつい肩書きのレストランが開店して、その見慣れない字面に「なに?スパイでも養成するの?」と思ったのであるが、そかあれが「生産緑地の行為制限規制緩和」ってやつの実例だったのか、と今知る。あぐりん村やモクモクファームと何が違うんだろうと思ったら農振法改正とか土地利用とか都市計画の問題なのね。


愛知の地産地消ショップ・ぴぴっとあいちが中日ビル地下からオアシス21に移転してた、売り場がちょっと広くなって隣に岐阜県アンテナショップg.i.Foodsもあって野菜だの味噌だの見に行くの楽しい。

地産地消ショップ行くと大きさがものすんごく不ぞろいなとても甘いトマトとかあって面白い、これは、通常の出荷時には形を揃えて出してるからスーパーで見かけないだけのか、それともそもそもがF1種苗でない自家受粉系の固定種なのか、どっちなんだろうと思う。学生の頃、タキイ種苗の人のインタビュー記事で「販売されている種はすべて交雑種F1世代」と聞いてびっくりしたり納得したりした、F1だと遺伝子型がヘテロになって表現型が揃うのでなにかと都合がいいのだ。

自家受粉したF2の分離の比率は9:3:3:1、メンデルの法則っすね。たまにある「アタリのシシトウ」も劣性ホモなんだっけか。固定種のトマト畑には、甘くて大きいトマトと甘くて小さいトマトと甘くなくて大きいトマトと甘くなくて小さいトマトがメンデルの法則比率で実っているのだ、きっと(どれが優性かは知らんけど)。

中日ビル駐車場入口のステンドグラス


2018年5月14日月曜日

地元の名士的な

なんで今?とも思うけど、中日新聞に伊藤裕作氏の記事。
水族館劇場の時が第一回だったんだなあ、地元住民の方々の受け入れっぷりがすごかった。普通イヤだろう静かな田園に白塗りアングラ集団、住民の気質が柔軟なのか素朴なのか伊藤家の信用が半端ないのか、いいとこだなあ芸濃町。

確か水族館劇場の公演と同じ頃にこの本も刊行されてて正文館で買った。
自分が小学生くらいの時に11pmとかトゥナイトとかで特集してた世界の話だなあ、流行語になった山本晋也監督(番組リポーター)の「ほとんどビョーキ」、言いたくなる気持ちがよくわかる、ようこんなん思いつくわっていう呆れ7割褒め3割みたいな突飛な風俗産業の数々、なんでノーパンで喫茶店やろうと思った?そういう時代。昭和すげーわ(呆れ7割)。

2018年5月11日金曜日

虚構記憶

平凡な男の子がひょんなことから異世界に召喚されて船乗りになる…という大雑把なさわりだけ覚えていて細部を忘れている『船乗りクプクプの冒険』北杜夫・著、ウィキペディアにあらすじが載ってたので読んだら「なんでこんな肝心な設定を忘れてたんだろう」と自分の記憶力に呆れる。
嫌々ながら宿題をしていた勉強嫌いの主人公、タロー君がふと手に取ったキタ・モリオ作の小説「船乗りクプクプ」という本は、作者がとんでもない怠け者だったため、本文・まえがき・あとがきを含めて4ページしか書かれていないインチキ本だった。ところが、タローはいきなりこの本の中に吸い込まれてしまい、気が付くとアラブの原住民の子供のような、主人公のクプクプになっていた。

そんでもって、
そうして旅を続け、タローはクプクプとしての生き方にも慣れてきた。ところが、ある島に上陸した時、現地人が書きかけの原稿用紙を持っているのを見つける。それは『船乗りクプクプ』のもので、キタ・モリオ氏の書き残しだった。キタ・モリオ氏が冒頭部分しか書かなかったため本が売れず大損をした出版社の編集者が、キタ・モリオ氏をひどい目にあわせてやろうと追いかけて来るので、彼は自分の小説の世界にまで逃げ込んでいたのである。タローが元の世界に戻るには、原作者を探し出して物語の続きを書いてもらえばいいのだ。

そんなメタな冒険譚だったか、そういやそうだったわ。
小学生の頃の読書体験は、物語上重要な仕掛けや設定より「シェリー酒ってなんかカッコいい」とか「クプクプってあぶくみたい」とかそんな印象が残りがちです。おやゆび姫の花びらのふとんがふわふわとかどこかの民話のイラクサで編んだセーターがチクチクとか、触ったわけでもないのに手触りを覚えているような気がしてるから面白い、子供の没入感。児童文学評論家の赤木かん子さんの本にも子供ならではの読書記憶の事例がたくさん載ってて面白かったっけな。大人目線だと「あんなにいい話なのに覚えてるのはそこかよ!」って突っ込みたくなるけどやっぱりそういうもの。

私の場合「おやゆび姫」を熊田千佳慕氏の描く絵本で読んだので、あの細密画のような草花や虫や鳥の描写のおかげですっかりそういう小さなものの手触りで世界が埋まって、オチの王子様とか結婚とかぜんぜんどうでもよかった。ていうか主人公のおやゆび姫自体どうでもよくって絵本の中のハナムグリとかツグミとかノネズミの方が親しみやすいというか感情移入できたのだった、まあそういうもの。


百合ヶ丘の街記事ってなんか珍しい気がする。

http://hamarepo.com/story.php?story_id=6713 ほまれぽ「小田急線百合ヶ丘駅近くの360度道路に囲まれた飲食店『みねや』ってどんなとこ?」

爺さんとこ居候してた時にハマジが通ってた居酒屋さんってここかしら。

百合ヶ丘の宅地開発の歴史から都市計画に話が及んで、まちづくり推進とか都市計画マスタープランとか見慣れた単語が並びました、今わしわしがやってるお仕事ってのがマスタープラン策定のお手伝いのお手伝い、いろんな市町の歴史や特色を知るのは興味深い。


森繁が若かった頃の新興住宅街か、そうだよなあ。『喜劇駅前団地』、ちょっと観たいな。

2018年5月9日水曜日

西に行く船

毎日ずっと遠景がガスってたけど
黄砂とかPM2.なんとかかなあと憂鬱であった。
西に行く船には乗りたくない季節です。
雲で朝日がリニアフレネルレンズみたいになってる。


今年の静岡行きはパスしたのですが天気予報を大幅に外しての晴れ続きでよございました。
そしてインスタに偶然たて続けに「初さわやかのハンバーグ写真」と「初ブロンコビリーのハンバーグ写真」が流れてきて「流れは肉か?」と思った連休最後であったよ。


食後酒のメニューを見ながらそういえばシェリー酒って縁がないお酒だな…と気がついた船上の酔っ払い。
種類としては酒精強化ワインってやつなのね。お船のレストランのお酒はどれも外れがなかったから頼んでみたら良かったなと後になって思う。

子供の頃読んだジュブナイルか何かに「シェリー酒の樽にじゃがいもを詰めて船で運ぶ」という場面が出てきたのを唐突に思い出した、何の作品だったかしら。北杜夫の『船乗りクプクプの冒険』だったような気がするけどピーターパンとかバイキングものだったような気も、いやピーターパンやバイキングに新大陸の植物(じゃがいも)は出てくるわけないか?よく思い出せない。案外『キャンディ・キャンディ』とかだったりするかもしんない。子供の頃の読書の記憶は小説か漫画かもあいまい。
「シェリー酒の樽」っていうのがなんか子供心に非日常のカッコいい響きでそこだけ覚えてるんだな。

そういえば『船乗りクプクプの冒険』って異世界召喚ものの元祖って感じだわね。平凡な男の子がひょんなことから異世界に

お船できわめておいしかったデザート、チョコレートスフレのアングレーズソースがけ。

2018年5月5日土曜日

Of Strange Lands and People






長いお休みですね。
GW前半はお招きいただいて普段縁のないとこに行ってました。

いつも見る光景をいつもと違う側から。
謎の東洋趣味。
赤と白の2色の旗は「本船はパイロット(水先案内人)を乗せている」という信号だそうです。
この場合、それぞれ「イギリスの商船です」「韓国の海域です」「健康に問題ないので検疫上の交通許可をリクエストします」「パイロットが乗っています」という意味、らしい。
こっちは「日本の海域です」「パイロットが乗っています」「関門海峡を東から入って通過します」という意味。
出港、入港、あと関門海峡と、水先案内人(公的名称は「水先人」)の乗船が義務になってる区間はPILOT BOATに乗って水先案内人(PILOT)がやってくる。
水先人の資格を取得するのには◯トン以上の船の船長(CAPTAIN)経験◯年以上とかいろいろ条件があるそうで、つまり海のプロフェッショナルな渋かっこいい爺さんが多いという噂である。


月夜の夜に~♪
水先案内人という言葉から百恵ちゃんを連想する昭和っ子である、あれは「夢先案内人」であったか。

着港。イミグレだけ通ってみる。スタンプラリーか。
なんか港にBBQ広場造成中。

帰りの関門海峡。門司の写真は昔ももちゃんが送ってくれたっけな。

なんか成城石井並みに御託の多いデザートメニュー。
そういう味。

船のマスコットキャラクター。
お部屋係がお掃除の後毎回このように可愛くセットしてくれてた。
ぬいぐるみ収集の趣味はないので「肘乗せにいいかなー」とかぞんざいに扱っていたが、最終日にタグに書いてあったストーリーを読んで同情する。逃げ場のない場違いなところに来ちゃったなあ熊氏、うん、アウェイ仲間だ。
税関では熊だけ念入りに調べられました、最近話題の金の密輸団っぽかったですかね。

神戸港だぜ、熊氏。
ついでの京都駅だぜ、熊氏。


そういう感じでレジャーだけど疲れました。気疲れと食べ疲れかな。とりあえずGW後半はおとなしくキャベツ食って毒抜きします。


2018年4月25日水曜日

人形の情景

シューマンの「見知らぬ国々と人々」が好きだ。「子供の情景」第1曲。
タイトルについて「見知らぬ国々と人々」と覚えていたけど、検索すると「見知らぬ国」だったり「見知らぬ国と人々について」だったり「異国から」だったりする、「国」の部分は複数形じゃなかったのかと原題を調べると"Von fremden Ländern und Menschen"となっていて(Ländern=Landの複数形)、「見知らぬ国々と人々について」がほぼ直訳になるようだ。まあ、ただ、「国々」に続けて「人々」では日本語としてくどくはある。

原題について検索する中で北陸先端科学技術大学院大学という何回書いても書き間違えそうな名前の国立大学の先生のブログが出てきた、以下引用

子どもの情景の第一曲は原題が Von fremden Landern und Menchen であり、「見知らぬ国と人々」と訳されることが多い。今までタイトルについて考えたことがなかったが、題を見直してみて、前置詞’von’の意味が訳語から抜け落ちしていることに気づいた。「見知らぬ国と人々」と訳すると、あたかも「見知らぬ国と人々」が主題であるかのように聞こえる。つまり演奏では「見知らぬ国と人々」を表現することが目標となる。しかしそれに違和感を感じる。別訳で「異国から」というものを発見したがこちらの方が本意に近いのではないか。

これは勝手な解釈であるが最後の第13曲は Der Dichter spricht (「詩人は語る」)と題されている。シューマンは循環形式にこだわっていたからそれに倣ってこれらの題を(強引に)つなげると Der Dichter spricht von fremden Landern und Menchen となり、しっくりくる。’von’の意味はfrom(から)というよりはof(について)の方が適切だろう。これは「詩人は語る、異国について」または「詩人は語る、見知らぬ国と人々について」という訳になる。
http://www.jaist.ac.jp/~fuji/wp/?p=2920 「見知らぬ国と人々」

「詩人は語る、見知らぬ国と人々について」。
ふと高丘親王のことを思った。語る詩人は澁澤龍彥だったり劇中の薬子だったりする。
想いはめぐる、見知らぬ国々と人々について。

さて四半世紀前の高丘親王航海記野外劇も、ITOプロジェクトの前作『平太郎化物日記』も観ている、今回の企画を聞いた時から傑作にならないわけがない(二重否定)と確信を抱いて、しかしあんまりそれが決定事項なんでもういっそ観なくてもいいのでは(どうせ傑作なのはわかってるんだから、という変な安心感で)と一瞬思いつつ、東京の幕開けより半月遅れて伊丹公演観てきた。

いやあ、いろんなことが胸に去来して、「いろんなこと」という、詮子さんの声だったりだいこさんの横顔だったり、パゴダの上にすっくと立つ英子さんの勇姿だったり、頰被りした入馬券だったり超ロングロンドンブーツの桑山先生だったり、まあ、忘れがたい人々やその声が目の前のものと二重写しになって、ただでさえカレイドスコープ的な舞台であるのに脳内エフェクターがさらに乱反射させて、まあなんとも、かとも。年をとると涙もろくなるのはこういうことかしら。
もちろん別の作品であって、糸あやつり人形劇ならではの演出や技にびっくりしたり感心したり、ちいさいものたちに心吸い寄せられてスケール感が狂ってきたり。
ほどよくスケール感が失調したところで人形用のステージが取っ払われたのでもう完全に目の前の景色と記憶の景色の画郭が揃って脳内同ポジ状態、柱が白川公園に建つ塔のラインに見えて。その前で糸あやつり人形が自分の糸を手繰りだす、その掴むちいさな手指の動き、しかも顔は松本さんときた日には。
もうなにかなんだか泣くより仕方がありません。

そのちいささやひたむきさや、重力と張力とあと少しの磁力のきわきわのせめぎ合いや、回転や円環や球体や自転や公転や、もうなんだかすべてせつないくらいにいじらしく、こんな凄いものを目の当たりにできるのだからこの時代に生きてて良かったと思う、思った。
見知らぬ国々と人々について想い馳せる親王について想い馳せるのです。

前半ダイジェスト的な駆け足感を多少感じないでもなかったんだけど、蜜人で転調するし通してみるとあのテンポが正解なんだなと。
卵、シャボン玉、珠玉、満月、貘の糞、真珠、原作で描かれた丸いものの連なりが具象になって、そこに迦陵頻伽や鳥の舞が絡んで、卵が先かニワトリが先か、因果が円環して終わることがない、言葉で言うのは簡単だけどそれを具体の事物であやつったりからくったりして見せたのだからすさまじい。
四半世紀前のネタ出しして実現できなかったアイディアが必然みたいに嵌まってたりして、長い構想期間だったねえ、あ、そういうことじゃない。
曲も懐かしい曲のITO用アレンジバージョンですごく良かった。パタタ姫との再会のあと「ん、マランド楽団?……真珠採りのタンゴって、洒落か!」ってちょっと心でつっこんだ。
あとホイットニー兄弟を彷彿する有機幾何学的な映像が糸あやつり人形に合ってたなあ。
ざっと感想書くと、そんな。


2018年4月17日火曜日

続訂正とパンと

更に訂正情報、「ダンディパイセン」じゃなくて「ダンディ先輩」だそうです。
漢字が入るあたりちょっとかしこまっている、のかもしれない。

なんにせよ自分にない能力を遺憾なく発揮する人はうらやましい、というか、もうただただすげーよ、と思う。


ピーナッツバタークリーミーはパンに塗ってからトーストすると旨い、とロケットニュースの記事にあったので実践してみる。
油脂がとろけてナッツが香ばしくなって表面がクリームブリュレみたいになってこりゃいいや。熱々だとクリームがこぼれてくるのでちょい注意。
パン食が止まらない日々へ突入。食欲は満ちているのにもうちょっと食べたくなる罠。

あと食べると眠くなる罠。新弟子的食生活。

2018年4月15日日曜日

訂正

ありちゃんが呼びかけたのは「巖谷パイセン」ではなく「ダンディパイセン」とのことであった、ますますすげえよ。
その呼びかけに対して「私のことかな?」とダンディに応じなさったという巖谷氏もすげーよ。
見たかったすぎるやりとり、誰か動画撮ってないの動画。

高丘関係

ITOの高丘親王航海記、東京公演は好評のうちに終わったようでなによりでございます。
そら面白くなるより他にねーよ、と、平太郎や高丘親王野外劇を観てきた身としては思う、今回ちょっと東京行けなかったのだけどまだ伊丹公演も夏の飯田公演もあるので、チャンスはいくらでもあって有難い。

そいでアフタートークに巖谷國士氏との対談があったそうなんでそれは聞きたかったなと思った、ありちゃんがご本人に「巖谷パイセン」呼びしてたと聞いて吹く、ありちゃんにとって「パイセン」はオールマイティ最上級敬語。
後日田岡さんから「巖谷國士ってよく知らないんだけど、どういう人?」と訊かれる、わしわしに説明させると「日本の民話・お伽話をリライトして現在の形に纏めた明治の児童文学者・巖谷小波(いわや・さざなみ)のお孫さんで」と話が遠いよ。お祖父さんは日本の1人グリム兄弟。小波お伽話集には稲生物怪録を再話した「平太郎化物日記」も収録されているよ。

巖谷國士氏といえば野外で高丘をやった時、1992年晩秋ですか、当時別冊太陽で連載されてた宿エッセイにとてもステキな感想を書いてくれてたのが印象深いのだけど、案外田岡さんとかやってた当人は知らないのだな。中公文庫『日本の不思議な宿』桑名の宿の章に収められている、今出版情報見たら絶版で電子書籍にもなってないみたい。
この手の「絶版だけど電子化してない」音楽や書籍、早く電子データ販売してほしいです。
石丸だいこ大絶賛。


あと思うのは巖谷國士も澁澤龍彥も、「巌谷国士」「渋沢龍彦」と略字で書かせないオーラが出てる気がする、のは気のせいかしら。仏文学者の不思議な本字推し。

2018年4月5日木曜日

これが「インスタ映えしなさそうなピーナッツクリーム」である。
質実剛健。


中日劇場やメルヘンハウスや雁道栄市場や、老舗の閉店の報をたくさん聞いた3月末でしたが、
中日ビルの地下に寄ったららーめん亭が廃業していた。
中日ビル自体が来年の3月で取り壊しになるのでらーめん亭もそれまでかなあとは思っていましたが、まさかこの春で閉めるとは。油断していて最後の天津飯を食べ逃す。
わしわしが夜学生だった頃は天津飯1杯350円くらいでした。最後の方はさすがに500円超えてたのかな、それでも十分安いね。
大名古屋ビルヂング地下の喫茶かんてらもビルの建て替えを機に廃業しちゃったんだったなあ、個人店で古くからやってるとこは移転せずにそのままお店たたんじゃうのね。さみしい。


「シシド・カフカの癖に意外」
な、なんかdisられてる?


とある情報サイトを見ようとして。
スマホの広告が画面全面を覆ってコンテンツが見えない。
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広告は消えたが結局コンテンツは見えない。

おい。