2018年5月11日金曜日

虚構記憶

平凡な男の子がひょんなことから異世界に召喚されて船乗りになる…という大雑把なさわりだけ覚えていて細部を忘れている『船乗りクプクプの冒険』北杜夫・著、ウィキペディアにあらすじが載ってたので読んだら「なんでこんな肝心な設定を忘れてたんだろう」と自分の記憶力に呆れる。
嫌々ながら宿題をしていた勉強嫌いの主人公、タロー君がふと手に取ったキタ・モリオ作の小説「船乗りクプクプ」という本は、作者がとんでもない怠け者だったため、本文・まえがき・あとがきを含めて4ページしか書かれていないインチキ本だった。ところが、タローはいきなりこの本の中に吸い込まれてしまい、気が付くとアラブの原住民の子供のような、主人公のクプクプになっていた。

そんでもって、
そうして旅を続け、タローはクプクプとしての生き方にも慣れてきた。ところが、ある島に上陸した時、現地人が書きかけの原稿用紙を持っているのを見つける。それは『船乗りクプクプ』のもので、キタ・モリオ氏の書き残しだった。キタ・モリオ氏が冒頭部分しか書かなかったため本が売れず大損をした出版社の編集者が、キタ・モリオ氏をひどい目にあわせてやろうと追いかけて来るので、彼は自分の小説の世界にまで逃げ込んでいたのである。タローが元の世界に戻るには、原作者を探し出して物語の続きを書いてもらえばいいのだ。

そんなメタな冒険譚だったか、そういやそうだったわ。
小学生の頃の読書体験は、物語上重要な仕掛けや設定より「シェリー酒ってなんかカッコいい」とか「クプクプってあぶくみたい」とかそんな印象が残りがちです。おやゆび姫の花びらのふとんがふわふわとかどこかの民話のイラクサで編んだセーターがチクチクとか、触ったわけでもないのに手触りを覚えているような気がしてるから面白い、子供の没入感。児童文学評論家の赤木かん子さんの本にも子供ならではの読書記憶の事例がたくさん載ってて面白かったっけな。大人目線だと「あんなにいい話なのに覚えてるのはそこかよ!」って突っ込みたくなるけどやっぱりそういうもの。

私の場合「おやゆび姫」を熊田千佳慕氏の描く絵本で読んだので、あの細密画のような草花や虫や鳥の描写のおかげですっかりそういう小さなものの手触りで世界が埋まって、オチの王子様とか結婚とかぜんぜんどうでもよかった。ていうか主人公のおやゆび姫自体どうでもよくって絵本の中のハナムグリとかツグミとかノネズミの方が親しみやすいというか感情移入できたのだった、まあそういうもの。


百合ヶ丘の街記事ってなんか珍しい気がする。

http://hamarepo.com/story.php?story_id=6713 ほまれぽ「小田急線百合ヶ丘駅近くの360度道路に囲まれた飲食店『みねや』ってどんなとこ?」

爺さんとこ居候してた時にハマジが通ってた居酒屋さんってここかしら。

百合ヶ丘の宅地開発の歴史から都市計画に話が及んで、まちづくり推進とか都市計画マスタープランとか見慣れた単語が並びました、今わしわしがやってるお仕事ってのがマスタープラン策定のお手伝いのお手伝い、いろんな市町の歴史や特色を知るのは興味深い。


森繁が若かった頃の新興住宅街か、そうだよなあ。『喜劇駅前団地』、ちょっと観たいな。