田岡さんから呑み電話。
今池で呑み。
途中ふみこ参加。
ぱうぜに移動してさらに呑み。
途中ととこ参加。
ももこの戯曲の上演の話出る。
作品として立ち上げたいのか、思い出に浸りつつ追悼したいのか、で、だいぶん方向が変わると思う。
遺作になっちゃうと触れられない気がする。
田岡さんうち泊まる。
なんかもう書かなくていいような気になっちゃったんだけど、楽日の日記だけ欠けているのもなんだか締まらないので遅ればせで書いとくか。
夏休みの課題でもなし、それで誰に咎められるとか減点されるわけでもないけど。
*
動員は163名スタート。当日込みの予想は180~200。さばけるのか?
気合いをこめて帯結ぶ。
当日券狙いが30分前から並びだしたため、受付整理番号配って「日陰でお待ちください」とアナウンス。受付開始前倒し。
炎天下に30分立つ熱意があるなら前売り券買ってくれよう・泣。
前夜からの寝泊まり組が現れないだけマシか…。
当日客には「立ち見になります、ご入場いただけない可能性があります、もしお入りになれなかった場合は代金はお返しします」と伝えて受付。
とにもかくにも当日のお客さん一人も帰さない受付っぷりでした。
場内スタッフ、がんばれ。客、がんばれ。
スタッフ込みで183名にご着席いただきました。素晴らしい。
場内スタッフ、がんばった。客、がんばった。
定刻、ちょうどお客さんがいなくなった頃、じんざさん自転車の通りすがりに挨拶してってくれる。
「自由が丘まで出かけるついでがあったので顔見にきました」
川崎と自由が丘って近いのん?下北沢はついでなのん?自転車マンの距離感覚わかんねー。
東京動員、1000軽く突破。
金曜夜と日曜夜にもう少し客足が伸びたら、1200いけたな。惜しい。
夜、打ち上げ。
*
翌日、ハマジと落ち合って荷物持ちしがてら中野・新宿であれこれ物色。
プノンペン・モデルのCD買ったり。古本探したり。
映像プロ機材屋でムービーカメラ見てまわってカタログ揃えたり。
高くなるほど、確かに、欲しい機能が備わっているものなのね。
DVからDVCAMになったり、撮像素子サイズが3/1から2/1になったり、電子アイリスからメカニカルアイリスになったり、レンズ交換式になったり、ファインダー性能がぐんとよくなったり、ほー、で、そーしてくと最終的に100万超えるのかい。
プロの未来人さんの撮影隊。
夜、ごりん家訪問して、一週間の労をねぎらうつもりがエンゲル係数上げて、泊ってった。恩に恩を重ねています。
役者さんたちは今日から東京入り、即稽古。
いやー大変だ。
わたしは明日の午後ゆっくり行く。搬入、荷解き、まかせちゃった。
次は呑むよ。ソレデコソ柏。
*
八月の句。
一瞬を見逃すまいと舞台向く
おしろいも龍角散もおまじない
開演前落ち着いているタオルかな
ラムネびん胸のつかえもあけすけに
まるくても腑に落ちないかラムネ玉
夏に病んで影の黒さを見ています
陽炎や生きいそごうとする鼓動
灼けのこる時計のあとの生白さ
ひとっこひとりいない路地裏独り占め
終戦日ハマジのプロジェクターの空
足の重さわたしはいきたくないのかな
東京へ夏が苦手なひとに逢いに
ももこの句。
微熱ありゆらめくわれに夏布団
I am crying in a storm〜♪
いみもなく昭和歌謡な柏でございました。
役者の入りより早い小屋入りとか、もう無理っす。
30分遅れますの連絡して小屋から3分のとこにある年代物珈琲店で20分間ダラダラ。1932年創業。
珈琲店でミックスジュース飲んでました。関西のミックスジュースは旨いねえ。
そのミックスジュースタイムをカットすればちゃんと定時入りできるのがわかってるのに、おもいっきり足が逃避。
出社拒否になって朝から公園でお弁当食べてしまうサラリーマンに近いかもしんない。
だいたい二都市目で本番二日目で9時入りってなんなんだ。
とかなんとか。
ハイジさんが素敵なタバコロード(人によってはトイレロード)を作ってくれる。これで中受付の最大の懸案はクリア。
ロッパ(川合君風略語、ヨーロッパ企画さんのこと)の制作さんが毎日お手伝いに来てくれる。制作専任が3人いるそうで。
そのうち全日入ってくれる井神さんと話す。確かに外受付がおすすめだけど、この時期の外受付は死にます、ヨーロッパでアートコンプレックス使うときはこの季節だけは絶対避けてました、とのこと。…ああ、なるほどねー。そーいうことねー。そーよねー。
そんな井神さんに外(一階)でのお客様対応をお願いする鬼畜柏である。ひでえ。すみませんホントすみません。
終演後も稽古あるため「ご一緒にビールでねぎらい」とかもなし。すみませんホントすみません。
雨が降っても暑い。
汗っかきのデブに一日中抱きしめられてるみたいな暑さ。逃げ場がない。僕は死んでも君を離さないよ、いいだろう?
不快指数の高い夏。
7時開演でも関西のお客さんは普通に遅れて来ます、と井神さん。
「30分以上遅れて当日券買ってかはるお客さんとかいてはりますよ」
初日、50分以上遅れて来たお客さんがいてはりやがった。しかもペア。
「全体で1時間10分ほどですので、あと20分ないくらいですけど…」
「あ、いいですいいです」
こっちがいくないよ。
しかし未着0は偉い。名古屋は連日普通に未着10超えとかだった。
名古屋が特殊なの?王者舘のお客さんが特殊なの?
王者舘名古屋公演が特殊だからか。
とにかく暑い。
名古屋に帰りたいって言ってめそめそする。
突然、東京公演の電話予約が立て続けに入りだす。
なんだ?なんか紹介記事の載った雑誌の発売日とか?シアターガイドとか?
今日は夜7時頃、売上集計中にチケット電話着信。 出たら開口一番「上演中にすみません、明日のチケットの予約お願いします」と。
わかってるならこの時間帯は外して~。
宿に直帰してうつらうつらする夜11時、予約の電話。京都の人は夜っ張りなのかしら…とか思ってたら、次は0時過ぎに予約電話。えええええ。
「すみません、遅くにすみません!」わかってるなら堪忍してえ~。
あれかなー、プロの興行みたいにコンピュータの自動応答だと思ってるのかなあー。宅急便の再配達承り電話みたいな。ご希望の日を4桁でダイヤルしてください、みたいな。
普段だったら起きてる時間帯だけどもう全然体力なくて、夜遊びもせず倒れこむように意識喪失の日々。しんどい。
金ちゃん飯田からトンボ帰り。信州高原の桃とトウモロコシお土産に。
「このトウモロコシものすごく美味しいから全員に行き渡るようにしてね。もっと買って来たかったけど重くてこれが限界だったの」
わたし金ちゃんのこういうとこ好きよ。
芝居作ってくときのやり方とか考え方とか食い違うことがあるけど、そんでも人としてキライにはなれない。それは金ちゃんが人を大事にする人だからだと思う。そいや金ちゃんが嫌う人って、思い遣りに欠ける人、他人を大事にしない人だな。
人を大事にするのって、結構、厳しいことなのかしれないな。
わたし八方美人で優柔不断だから厳しさには遠いなあ。
「叱る」ことができなくて「当たる」とかになっちゃう。どうもね。
明日はちゃんと早めに行って桃剥こう。
愛知芸文小ホールで観劇。
独自の様式に沿った演技、「動く絵画」と形容される舞台、劇団も俳優陣もベテランである。
いつも、音響が気になる。
せっかく動きも台詞まわしも或る様式に則っているのだし、ムード音楽みたいのを使わずに生音、舞台上の音…足拍子とか…だけでリズムを作った方がいい感じになる気がする。
*
地下のミュージアムショップでやなぎみわ『Fairy Tale 老少女奇譚』購入。
砂女、テント、寓話、カメラ・オブスキュラ、昔語、フォークロア、少女ー老女の系譜、翁童論…
自分が興味をひかれるものがみごとに揃っていて、ページを繰るたび「ああ、そうくるか!」とドキドキする。
「ひとつ家」は欧州、じゃなくて、「奥州安達が原ひとつ家」から採ったモチーフかな、
「奥州安達が原ひとつ家」」は安達が原に侘び住まいする老女が、臨月近い旅の妊婦を石の枕に寝かせて頭上に石を落として殺害する場面が有名で、浮世絵の絵師も何人か描いている、
大蘇芳年の描いたのは(殺害前の光景であるが)あんまり猟奇的だというので政府から発禁処分を受けている。
やなぎみわの写真ではコトが済んだ後、手をかけたのが実の娘とわかって老女が嘆く場面を取り上げているようだ。
だけど、頭を砕くには大きすぎる石に取りすがって泣く老女の姿は、その石の丸さ、大きさ、老女の幼さ(実際には少女が面をつけて演じている)、体躯の小ささから、まるで臨月の胎に嬰児が取りすがっているようにも見える。
老女と幼女。娘殺しと母殺し。中間層の削除。生まれいづることへの拒否・拒絶。成熟ではなく老成したい願望。
ものの本によると、沖縄の女性シャーマンの霊力は祖母から孫娘に遺伝するものと信じられているそうだ。
この作品集の世界はそうゆう世界だ。SUNA-ONNAの物語もおばあさんと孫娘の間で連綿と受け継がれるお話。
マルケス「エレンディラ」のおばあさんも若いころは絶世の美女で売れっ子の娼婦であったらしき記述がちらっと出てくるもんね。輪廻はめぐる陸蒸気。
累ヶ淵、じゃないけれど、るいるいとかさなっていく女の血と霊力。
おかあさんは大きい、おかあさんのおかあさんはもっと大きい、かと思えば、いいえ小さい。おばあさんはわたしとおなじくらい小さい。
容れものがない両手で受ける、指先からこぼれ落ちるダークネス、そりゃ暗い、しんどい春の佳境
つかれた、しんどいと言いながらあと2週間もすれば4月、月が変わればもしかして気も変わるんじゃなかろかに期待してかわしながらゆく、おうちに帰りたくないよう病発病中、夜の夜中いつまでもチャリでコンビニまわったりしてる春休みの中学生みたいな
つかれた、何度シミュレーションしてもケンカ腰になる、いかん、それは間違っている正しい反応ではない、虚勢を張るから勢いケンカ腰になるんだ、どうしたらいいのかわからない
わからんことばかりでしょんぼりしている、済んだことは済まないこと
あーもこーも、「信頼感がない」という言葉で総括され得る気がする、その後ずっと頭についてまわっている、女の人はこわい、寸鉄人を刺す、本質を言い当ててしまう、本名を知られると魔力を失う悪魔の名前を言い当てるのも小娘だった民話の中の
モクレンの花とか咲いてた、枝が膨らんでるとは思ってた、いつのまにか準備してた
息切らして踏み台昇降運動、汗かくには外はまだ寒い、医者の冗談に息切らしながら笑う、恢復すると決めている、ただ今は疲れるばかり、が断じて恢復する。
総じて、どうにも疲れる、疲れた、笑ったりもしてた。
公演準備中はやっぱり「やるべきことリスト」ってものすごく必要で。
ケータイのカレンダー機能やリマインダー機能も少し使ったけど、あたしやっぱり紙ベースが一番しっくりきた。試行錯誤する間もなかったってこともあるけど。
普段キーホルダーは使わないから、かばんの金具のとこに伸縮リール(100均製)つないで、それに無印の単語帳(150円くらい)つけて。ペンはかばんに常備して。
無印の単語帳ってのがちょっと変わってて使いやすかった。
透明プラカバーが5cm×5cm、中の用紙は4.5cm×4.5cmの正方形。CFメモリーくらいの大きさかしら。
色別のインデックスが3つプリセットされてる。
あたしの使い方だと、透明カバーのすぐ下(パッと見て文字が読める)のメモが「今日中にやること」、青インデックスは「週末までにやること」、赤は「土日に片付けること」、黄色は「忘れないでね」くらいの緊急度で…
用が済んだものは捨てていく。あたしの場合はびんぼくさく裏返して裏面も利用。
単語帳なので緊急度が変更になったときにリング外して入れ替えられるのがよかったな。
テクノロジカルなツールは身の回りにいっぱいあれども、ここに行きつく。
*
「迷光」は光学用語。stray light の訳語。レンズフレアの別名。
死んだ父さんと母さんが出てくるわけ。「フレア」には「ゴースト」がつきものだから。
*
いつも涼しい顔してたいしいつも平気な人になりたいし、水のようにさーらさら淡い交わりで満足する君子様になりたいけど、理想は遠い、遠いわ。
毛布が手放せないライナスのよーに執着する。いつも諦められない。勢いあまって極端な衝動に走る。バカじゃん。
傍から見たら、どうでもよい、ほんのささいなことで泣いて、ほんのつまらないことで一日うかれて、まあ、賑やかなバカっぷりで、賑やかなバカっぷりを日々自らしたためて、そのようにして続いていく。そのようにしてでも続いて・生きて・いたいと思うようになった。
好きは好き、嫌いは嫌い。嫌いも好き。好きは大好き。
今年の夏の公演には出演しないこと、今年は王者舘辞めないこと、そのふたつ決めたら少し気楽になった。
こんな「あたりまえ」の結論も簡単に出せないくらいひよひよのぐらぐらなんすね。と今わかる。
「どの石の上にのぼつてみても、まだ私の腹は冷めたい。」
そんな一節が三好達治の詩にあったなあ。春です。蜥蜴の心情を詠んだ詩だったと思う。変温動物だから春先はまだ腹が冷たいんだな。理屈だ。
あたたかくなったのにまだわたしの手もつめたい。変温か。
生活にせよ舞台にせよ、みな次へ次へ動き出しているというに、あたしまだ動けずにいる。
もとより精力的にごいごい進むタイプではない。復調へのメンテ中だし。でも焦る。
次はどこ行きたいの。何したいの。誰とやりたいの。見えんね。
エンゲキなんかキライです。じゃあ何やりたい?
感じることや思うことはできるけど、考えることができない。でも決めなきゃいけない。
そんなときにはコインを投げる。10円玉3枚あればいいのです。理屈は後からついてこい。
とどまる。前進もしない。辞めもしない。ここに落ち着く。どうやら今はそれがよいようです。コインのお告げ。
久しぶりに夢見た。夢なら簡単。
あ、しまったローソンで「伊賀まんじゅう」売ってたのに買うの忘れてた…
おひなさまであった。晩は蛤吸いにした。
こどもの頃は「菱餅」に憧れました。色と形とおひなさまの日限定というところがハートを掴んだのでしょう。餅風情が。
雪も降ったようで、通勤路には桜も(ヒガンザクラとかかな、早咲きの品種の)咲き始めて、季節のクロスフェード。
お米が切れて、半年ぶりくらいに玄米にした。ずっと「胚芽精米」とか「七分づき」とか微妙に真っ白じゃないお米食べてた。
玄米や全粒粉は花粉症やら鬱脳やらによいと聞くので、春はくろっぽいもの食べる機会を増やしてるな。気休めかもだけど。
フィルムの写真できてる旨を聞いたのでハト坊に連絡。
「今日見に行っていい?」「駄目」「都合悪いん?」「めちゃくちゃ忙しくてその上めちゃくちゃ機嫌悪い」あははは、そりゃ駄目だ。
「めちゃくちゃ機嫌悪い」って言えるあたり、ハト坊も大人になったなーってしみじみ思っちゃう。昔だったらぶあいそにぶんむくれてそんで八つ当たりだったもんね。
日を改めて写真見せてもらう約束する。
先週天野さんが「俺山崎に悪いことやっちゃって…」と言うので、何したんか訊いたら、「山崎の目の前で、ハトリの写真すごく良い良いってずっと言ってた…」
ああ…。
のりちゃんには悪いけど、写真の意味っていうか解釈が違うからねえ…「記録」と「作品」みたいな…
で、のりちゃんがどうのっていうんじゃなくて、やっぱり、やっぱりハト坊の写真っていいって思ったよ。画面の緊張感かなあ。冴えてて。古文書みたいに粛然としている。
フィルム写真、楽しみ。
*
去年ひこにゃんストラップもらったから黒幕さんにひこにゃんグッズお返し。
川崎在住でイムコウんちにほど近いあたりにお住まいなんだけど、スズナリへはチャリで来る。
ほんで「シモキタなら近いすよ」とかってさらっと言う。そうだっけ?と一瞬思うが、井村家へ向かう電車の中で「近くねえーっ」と確認する。筋金入りのチャリダーめ。
チャリに乗ったひこにゃん見たいなあ。
チャリつながり。来月からうちの前の道路が駐輪禁止になる。ものすごく困る。
*
名タイ編集部刊行の『名古屋情熱時代』をチラ見するつもりで本屋入店、
よしながふみ『大奥』最新刊買うてもうた。男大奥完成。五代将軍綱吉登場まで。
*
はるはうむ。春は倦む、春は膿む、春は生む。
だいじょうぶ?
(お前が言うな)(武装して無関心で)
どんなへおへおでもしおしおでも、好奇心が枯れない限り大丈夫、やっていける。
今気になってるのはフォーサーズ機かな、デジ一の。買わないけど。
何がフォーサーズって、撮像素子がフルサイズに対して3/4サイズなのね、そうゆう規格。オリンパスとコダックが企画開発した新ユニバーサルシステム。レンズ互換性の確保とか。
で、パナのLUMIX DMC-G1とゆうのが「マイクロフォーサーズ」というフォーサーズ発展系の規格で、ミラーレス構造(マイクロフォーサーズ機はフランジバックが短いため構造上ミラーを組み込めないらしい)。
ミラーレスならシャッター音も小さいのかなーと思って店頭でいらい倒してみた、全然そんなことない。音大きい。しかもまぬけな音。文字にすると「ぎぼっ」みたいな。
いまどきのこうゆう趣味性の高い中級機高級機なんかはシャッター音も設計してるって聞くけど、なんでこんな音にしちゃったのかしら。
あと、鏡を使ってないから一眼「レフレックス(反射)」ではない。メーカーでは「デジタル一眼」と称しているそうな。(フォーサーズ機のL10は「デジタル一眼レフ」と称している。)
一般的にはデジタル一眼レフのことを「デジタル一眼」「デジ一」と略称してるから、呼称的にちょっと混乱。まーどーでもいい細かい話でした。
シャッター切ったときのミラーアップの衝撃に「手応え」みたいなの感じるって人もきっといるんだろうなあ。趣味の世界はフェティシズムの世界。
こないだの舞台で使ったのはミノルタSR-1、1960年代発売、部品取り用のジャンク(ミラーはねあがらず)で確か700円くらいだった。ロッコール55mm/F1.8付。
ご家庭カメラのイメージだけどユージン・スミスが水俣取材の折に使用したのがミノルタSR(SRT101とSR-1s)だそうな。
そういえばこの人も片目を潰されたカメラマンだった(水俣シリーズでチッソ社の雇った暴力団員に襲撃され片目失明)。
ユージン・スミスといいユジェン(ユージン)・バフチャルといい、ファーストネームが「ユージン」のカメラマンは目に災難あるの法則。
ロモとかホルガとかプラボディのトイカメラ、持ってないけど、あーゆう廉価なシリーズで中版とか二眼とかフィッシュアイとかいろいろ出てておもしろいな。
トイカメラでティルト・シフトレンズ装着したの出ないかなー。目先の変わったオモチャレンズとして。シフトでフォトモ作成、逆ティルトで本城直季ごっこ、需要あると思う。
ティルトレンズがあれば誰でも本城直季になれるわけではないのは当然だけど、ミニチュア風撮影に憧れる撮影愛好家は少なくなく、そしてティルトレンズはめっちゃ高価。もともと建築関係とかカタログ撮影とかの業務用レンズだからかしら。
そこでそこそこしかお金のないカメラファンの方たちは、レンズをマウントに固定せず手で支えて角度つけて撮影するという「根性ティルト」とゆう荒業を編み出したらしい。すげー。バカ(悪口ではない)。
光と反射と角度とメカニズム。やっぱカメラっておもしろい。
雨あがりやがったか
風つよく、ほのぬくく、花粉とか飛ぶのであろう飛んでいるのであろう。目と耳の奥がひじょうにかゆい。
突如思い立って週末上京しようかと思ったりもするけど、家から出ないのが正解かもしれん。
「季節はようく知っておるさ」とももちゃんは言ってたな。不調で春を知る。調子悪くてアタリマエ!
日々如実に安定を欠きゆく精神状態を自覚しつつ、おとなしく家でじっとしてるのがいいのか出歩いてなるべく人と会ったりよそに目を向けた方がいいのか、いつもよくわかんない。
精神だって身体だ。畢竟、物質に由来する。
動かさなければ退化するし鍛えれば進化するんじゃないだろうか。
根性論ではなくて。脳内物質放出の能力の問題。脳トレーニングでセロトニン分泌をコントロールできるようになればいいのだ。
去年はびっくりするほど軽くすんだな、花粉も春鬱も。相関関係があるかしら。
シフォン碧南があったりフレアのネタ書きためたりひとを口説いたりの頃で坂本木場ライヴもあって、下降する隙もなかったんだな。
予定を埋めて気を張っとくといいのかもしんない。
「祖母はレイバイで/母はマジナイ師だった/伯母はゲイシャで/叔母はケッカクで/もう一人の叔母はウマズメだった」
伊藤比呂美「テリトリー論」の一節。そうか最初に「女の子の家の歴史」とかって思いついたのはこの詩が頭のどっかにあったのかな。
先日、伊藤比呂美のエッセイ&詩集『ラヴソング』購入した、発行は3、4年前だけど収録されてるのは10年以上前にあちこちの雑誌に掲載された文章や訳詞。
本人の解説によると、三十代後半で家庭をぶちこわして国内外を転々と、ときには子連れでときにはひとりで移動していた時期に発表した作品たちだそうで。かつての自称「野良猫女房」、いつのまにか「グローバル野良猫女房」に。
そういえばその時期のって読んだことないな、それ以前の、熊本や時にはポーランドで育児してた頃のは読んでるけど、しばらく空白があって(わたしから見ると。育児雑誌で母親相談とかの連載はしてたようだった)久々に著作読んだら娘たちつれてカリフォルニアで初老の学者と生活してるとかで、そしてまた詩集や小説がコンスタントに上梓されるようになった。
ひとごとながらいそがしい人生だ。なんつうか、移動距離的に。
とゆうわけでこの本に収録されてるのはカリフォルニアに落ち着く以前のもので、いやあ、身の置きどころは心の置きどころ、なにかとても痛々しい。
本人も「あんまりつらくて、長い間、読みかえすこともできませんでした。」という。
意外なものを書いていたんだなあと思いました。昔のとも今のとも違う。あたりまえか。
ロックのラヴソングの訳詞で一章構成されてますが、それとは別に、当時の詩2篇と、あとビートルズの「ヘルプ!」をカエターノ・ヴェローソがカヴァーしたものに影響を受けて書いたという詩が2篇載ってて、なんだか、帰る部屋はあるけど落としどころのない日々のさんじゅうはっちゃいをひやひやとさせる。
題「助けてほしい、どーしたらいいのかわからない」という。
たいがいのことは「どーしたらいいのか」さえわかったらなんとかかんとかできるのよね。
そうして、助けようにも、「どーしたらいいのかわからない」ひとを助けるのは至難の業なのよね。
それはね。
わかってるんだけど。