愛知芸文小ホールで観劇。
独自の様式に沿った演技、「動く絵画」と形容される舞台、劇団も俳優陣もベテランである。
いつも、音響が気になる。
せっかく動きも台詞まわしも或る様式に則っているのだし、ムード音楽みたいのを使わずに生音、舞台上の音…足拍子とか…だけでリズムを作った方がいい感じになる気がする。
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地下のミュージアムショップでやなぎみわ『Fairy Tale 老少女奇譚』購入。
砂女、テント、寓話、カメラ・オブスキュラ、昔語、フォークロア、少女ー老女の系譜、翁童論…
自分が興味をひかれるものがみごとに揃っていて、ページを繰るたび「ああ、そうくるか!」とドキドキする。
「ひとつ家」は欧州、じゃなくて、「奥州安達が原ひとつ家」から採ったモチーフかな、
「奥州安達が原ひとつ家」」は安達が原に侘び住まいする老女が、臨月近い旅の妊婦を石の枕に寝かせて頭上に石を落として殺害する場面が有名で、浮世絵の絵師も何人か描いている、
大蘇芳年の描いたのは(殺害前の光景であるが)あんまり猟奇的だというので政府から発禁処分を受けている。
やなぎみわの写真ではコトが済んだ後、手をかけたのが実の娘とわかって老女が嘆く場面を取り上げているようだ。
だけど、頭を砕くには大きすぎる石に取りすがって泣く老女の姿は、その石の丸さ、大きさ、老女の幼さ(実際には少女が面をつけて演じている)、体躯の小ささから、まるで臨月の胎に嬰児が取りすがっているようにも見える。
老女と幼女。娘殺しと母殺し。中間層の削除。生まれいづることへの拒否・拒絶。成熟ではなく老成したい願望。
ものの本によると、沖縄の女性シャーマンの霊力は祖母から孫娘に遺伝するものと信じられているそうだ。
この作品集の世界はそうゆう世界だ。SUNA-ONNAの物語もおばあさんと孫娘の間で連綿と受け継がれるお話。
マルケス「エレンディラ」のおばあさんも若いころは絶世の美女で売れっ子の娼婦であったらしき記述がちらっと出てくるもんね。輪廻はめぐる陸蒸気。
累ヶ淵、じゃないけれど、るいるいとかさなっていく女の血と霊力。
おかあさんは大きい、おかあさんのおかあさんはもっと大きい、かと思えば、いいえ小さい。おばあさんはわたしとおなじくらい小さい。