2018年6月15日金曜日

夜の漁、または芋掘り

不眠症とかいうわけではなくただの夜っ張りで寝不足になったりする、原因の1つは寝床でウィキペディアを際限なく読み続けたり次から次へグーグル検索することだったりする。
YouTubeの「関連動画」も際限なくてやばい、ただ最近通信環境に制限があるので動画サイトをあんまり見なくなって、代わりにってわけでもないけどウィキの関連項目とかリンクとかポチポチ押してるといつの間にかすごく時間経っててしかも思わぬものを調べていたりする。もともと子供の頃から広辞苑や百科事典を読み物のように読むのが好きだったので根底は変わっていない、三つ子の魂百まで。見知らぬ国々や見知らぬ人々や見知らぬ花々や見知らぬ事々について知るのはとても面白い。集合知ウィキペディアなので項目によっては出典が不明確だったり記述がぐちゃぐちゃだったり内容がえらいこと偏っていたりもする、それも含めて読み物的に面白い。(interestingでamusingなことであるよ)。

セミドキュメンタリ猫漫画『俺、つしま』見た。アイパッチの獣医さんに「多羅尾伴内?」と思い、そういや多羅尾伴内って他にどんな変装してたっけなと画像検索、ついでにウィキペディアで千恵蔵はんの項目を読む。晩年は名古屋にゆかりがあったそうで、錦三に蕎麦屋(も入ったビル)を持っていたと知る。他にも不動産業を手広くやってたそうで、バブル崩壊前に亡くなってよござんしたねと思う。千恵蔵はんを真似してどえらい目に遭った後輩が少なくなさそうだわ。

昔、わしわしが20代前半だったから四半世紀くらい前、中区に伯母さんが住んでるという知り合いが「この辺りの年配の人は、矢場町の『やぶ』より呉服通りをちょっと入ったとこのお蕎麦屋さんの方がごひいきみたいよ」と言ってた。呉服通りをちょっと入ったとこのお蕎麦屋さんってどこだろうって思ったまま25年、そうかそれが千恵蔵はんの蕎麦屋「百寿庵」だったのか。
食べログ見ると「店舗情報の確認が取れない」となってるのでもしかしたらもう廃業してるのかもしんない、千恵蔵はんが亡くなって35年、所縁の人ももうかなりのお年だろう。まだあるならニシン蕎麦でも食べ行きたい。

で、「千恵蔵 不動産」で検索したところ、小牧にもドライブインレストランを経営していた旨の記事を見つける。その名も「レストラン千恵蔵」。
http://blog.livedoor.jp/cangee-memo/archives/9590511.html  ライブドアブログ「スクラップブック」小牧インター入口 小牧ハイランド「レストラン 千恵蔵」 1970年

これまたなんだか気になるブログに行き当たったぞと見ていく、昭和の名古屋のガイドブックやタウン誌の記事をスクラップブックのように載せてある。レストラン千恵蔵は古すぎてわかんないけど、池下の屋台「當り屋」とかおなじみ今池「オープンハウス」とか、お店も懐かしくまたそれ以上に紹介記事のノリに時代を感じて懐かしいっていうか恥ずかしいっていうか、面白い。ネットで街のことを調べると最新の情報やすごく古い歴史は出てくるけどちょうどこのくらい、思い出せるようなでも記憶が怪しいような微妙な古さのことはあんまり出てこない、このあたりの空白の期間のこともこれからこうやってじわじわアーカイブされていくんですかね、そんな奇特な趣味人はそんなに多くないかもだけど人はとにかくいっぱいいた時代だから母数は多いんだもんな。
中経ビル地下の「レストランわか」って荒畑の居酒屋のお婆ちゃんがどんぐり荘に居候しながら昼夜バイトしてたって言ってたお店かなー、とか、名古屋駅笹島交差点すぐに「トルコ大名 (本丸 二の丸)」って凄えな名古屋!ネーミングセンスも合わせて凄かったな名古屋!と呆れたり、営業時間「早朝まで」の記載に「そうか、風営法改正前だ」って感心したりした。風俗街は「不夜城」って呼ばれてましたよね。


…と、いう感じで、先日は『俺、つしま』をきっかけに名古屋昭和アーカイブスなところまで、興味の糸を引っぱると果てしない大漁が待っています。そしてまた眠れない。