ホテルに帰ってチラシ束をパラパラしつつ、「寺ちゃんの出ている笹塚の芝居」のチラシを探すが見当たらず。
うーん、情報がなさすぎるぞ。せめてタイトルとか劇場とか。
わからないということは縁がなかったということかなーということにして、就寝。
翌、晴。
ゆっくり朝シャワーして昼近くに出立。駅前でランチ食べて神田行って余裕があれば父の墓参り(新小岩)へ行こうというゆるいプラン。
笹塚駅前でタイ料理風のランチバイキング。
お会計時、お店のお姉さんがフレンドリーな人で話しかけてくる。
「今日はお仕事ですか?それともお休み?」
「お休みです」
「お近くなんですか」
「そこのホテルに泊まってます、名古屋からお芝居観に来てるんです」
「お芝居ですかー。そういえばすぐそこにも笹塚ファクトリーっていう劇場があってやってる人たちがよく夜飲みに来てくれるんですよ」
「あ、今たぶんそこで知り合いがやってるらしいです」
「ホントですかー?役者さんとお知り合いなんですかー?」
とまあそんな会話をして、「そうか、笹塚ファクトリーって聞いたことあるな」と思う、ここでようやく具体的な情報ゲット。
iPhoneで検索したらほんと駅前、ランチ食べたビルの隣の隣の建物の地下にある劇場だった、笹塚に何回も泊まってて気が付かなかったな。
まあそこまで近いんなら、と、劇場を覗くと、演目はガジラの『Happy Days~幸せな日々~』、あっあれか、十年くらい前に流山児で観たわ、確かに重い話だ、でも鐘下辰男の演出でもう一回観るのもいいかもしんない、と思う、時間もちょうど開演30分前とかそんなん。
「当日券あります?」「はい!ございます」、そんないろいろと御縁と奇遇がありまして客席へたどり着く。
鐘下辰男と寺十吾。あ、どっちもうりんこの演出に呼ばれた人だ。
児童劇の演出に鐘下辰男。うりんこさんってなかなか凄いと思うの。
流山児で演ったときは確か加藤ちかさんが美術だったんだよなーと、なぜかそこをよく覚えていた。
あんまり美術家が記憶に残るってことないのに、この時は、たいそう再現性の高い日本家屋のセットで、家と血の話だからそういう美術になるのはよくわかるんだけど、家の中でもその特に高い部分と低い部分、大黒柱と井戸に焦点を絞ってもう少し象徴的に見せたらいいのになあ、とかって見終わった後しばらく美術に脳内ダメ出しをしてたのでよく覚えてるんだな。
そしたら今回、ほんとに柱と井戸だけのシンプルで無駄を省いたエコな美術だった。
脚本もだいぶ書きなおしてあるらしくって、もうとっても救いがたいイヤな話なんだけど、初演の思わせぶりなわりにあんまり機能してない役どころとかもやもやしたとこは無くなって、骨太にイヤな話。怒鳴るし叫ぶし殴るし全裸だったり半裸だったりするし性と暴力と狂気と閉塞ってやつですかい。
ケレン味たっぷりのエンターテイメントに仕立てるより、この生臭いストレートさが正解な気がするなあ。
と、思いながら観ている自分に驚きもする。だって鐘下辰男の演出とか10年前の自分ならもう逃げ出したいくらい苦手の部類だったはずですもん。
流山児でやったときは別の人の演出だった、ということしかこの時点では覚えてませんでしたが、家帰って昔の日記調べたらケラさんの演出だった。
そうだ、作・鐘下辰男、演出・ケラリーノ・サンドロヴィッチって異色の組み合わせってんで当時の演劇界では評判になったんだった。
日記に挟んで当パン保存してあった。物持ちがいいというかなんというか。2000年2月、本多劇場。塩野谷さんは唯一両方に出てる役者。役どころは違うけど。
登場人物が多いだけあってムラとかイエの閉鎖性とかしがらみくささとかは初演の方がよう出てたと思いますけどね、土地とか血縁とかの抜けられなさって要は人間関係ですもんね。
川端康成の『掌の小説』の中に「屋上の金魚」という1編がありますな、今回の観てあれを思いだした。狂った老母が口から金魚はみ出させながら死んで、それでやっと主人公が若さを取り戻して外の世界に出ていくってやつ。
終演後、じっちゃんにちょっと挨拶して、
「珍しいじっちゃんを見せてもらいまして」
「あー、くだんじゃ絶対やらないような演技だからね」
「でも私が天野さんの演出のじっちゃんしか知らないだけで、こっちが普段のじっちゃんなの?」
「いや、一番地なのはツマヅキだねやっぱり」
そうか。ツマヅキまだ一度も観てないんだよなー。観てみたいな。