最終日は、書いたとおりマチソワ2ステ観て帰名。
マチネ後、カトチとお喋り、久々の名古屋ライブの予定とか聞く。
イム爺とカトチとで、自分らの近況とか昔のメンバーの近況とか。やっぱクラス会ぽくなるね。
カトチに限らず古いメンバーと会って、「もう知ってる人が全然いない」と言われますと、頭の中でぐるぐる、あれ、この人とあの人は参加時期が重なってなかったっけ?あの人とは面識ないんだっけ?辞めてたけど顔は出してたから知り合いなんだっけ?って過去の人の出入りの記録が一気にかけ巡ります、ここ10年くらいはそれほど入れ替わりが激しいわけでもないと思いますがどうでしょう、☆さんは10年目になるそうですよ。
ソワレ終わったら駅へダッシュの予定なので、滞在中お世話になった人たちに開演前においとまのご挨拶、その折、伊東さん「ライトフレアの再演はもうナシで決定ですか」「まだ具体的には全然進められない状況ですが態勢整ったら再開するつもりでいます」「ああ、それを聞いて…、じゃあその心積もりでいます」、…リベンジの龍と呼んでいいですか。
芝居をやるのやらないのって、肝心なのはバランスとタイミングだって昔横井君が言ってました、なる程と思いました。バランスは自分で作っていけるんだけど、タイミングは、たとえば見計らったようなタイミングで家族が倒れたりとか職場が異動になったりとか、自助努力じゃどーにもならん外からやってくることがいっぱい、まあぶっちゃけ、自分が動くとハプニングが降ってわくので怖くて動けないわけです、バランスは、ほぼ整ったんですけどね。
そして最初とは目的が違うので静かに静かに駒を進めればいいんですけどね。ぼちぼち。
◇
人は変わる。
ということを思った。今回の東京。
昔あんなにイヤだった鐘下演出、怒鳴ったり叫んだり暴力的だったり狂気だったり、を、まあイヤなんだけど、生理的嫌悪感を感じるほどではなくなってる自分、に気づき、
その夜カサネ観て、怒鳴ってるし叫んでるし十分暴力的だし、鐘下辰男が「狂気」ということで処理している不条理部分を天野天街は「夢」や「メタフィクション」で処理してる、って違いでそんな違わないんじゃあ、と、思った。
自分も変わるし。他者も変わるし。
あたりまえか。生きているということは違うところへ行くことです。場所も時間も。思いも。
◇
夜中、自宅着。
ねねむさんのお帰りなさーい突撃と頭ぐりぐり。
その様子を写メで金ちゃんに送る。
すぐにハマジから着信、「かまってかまってー」「え?」「ねねむさんの心の声を代弁してみました」
ああ、そういえば、ねねむさんの「かまってかまってー」とハマジの「かまってかまってー」は似ている、かもしれない、頭ごんごんしてくる感じとか。
えー。