あーだこーだでそんなこんなで、グループ展終了しました。
いやなんか。予想以上に面白かったね。
月曜は会場バラシ、菱田さんの作品のあったあたりから大量の孵化したての子カマキリが出現。
「どこから来たんだろうねえ~」
「明らかに菱田さんの作品に卵がついてたんだと思いますが」
「いや実はね、最終日に卵が孵るように計算してあったんだよ」
それもまたよし。
バラシ後は「ラスト・ピロピロ」(ハイジさん言)。
連日中華三昧でした。
ところで、ビールとマッコリを飲むと胃カメラ前の発泡剤飲んだみたく胃が張るんですが、もしかしてこれは体内で発酵が進んでるんでしょうか。一緒に飲まないほうがいい酒類なんでしょうか。
今回書いた文章は不思議と好評で、油絵の絵描きさんから文章のご依頼を頂きました。うん、次に繋がるのは嬉しい。
いや二つとも「とても納得のいく文が書けた」とも思ってましたし「なんて田岡さんのオブジェに合うんだろう」と自負もしてましたが、他人が理解できるかとか感動するかとかぜんぜん知ったこっちゃないという、ワガママな文章だったので。
わかるとかわからないとか、つたわるとかつたえるとか、不特定多数の受け手の見えない顔色を伺いながら書いてる時は結局「よくわかんない」って言われちゃうんですのに、
誰にもわかんなくていいから私の宝石箱を作る!ってつっぱしっちゃったら、案外その方が受けがいい、という不思議。
そういうもんですかい。
そういうもんか。
言い訳めいたものがなんにも浮かんでこないというのは、傍からもわかるもんなのかもしれないね。
ちょっとやそっとの文を書いたってぜったい揺らがないスキのない極小世界を田岡さんが作ってくるだろうと思ってたんで好き勝手書けました。
ジョゼフ・コーネルの作品に寄せたチャールズ・シミックの文章みたいな距離感で書ければいいな、と。
文章のレベル的にはそらピューリッツァー賞詩人に敵うわけはないんですけど、いやでも心意気的には。
ポケット・トポロジカは、右のポケットから左のポケットへの連続的位相変化を夢想して書いた、なんで「ポケット」なのかは、たぶん、シミックが紹介していたヴァスコ・ポーパの詩の一節が頭にあったから。
いま小さな箱のなかには
ミニチュアの全世界が入っている
簡単にポケットに入れられる
簡単に盗めるし簡単に失くせる
「小さな箱」 ヴァスコ・ポーパ
最後までどっちを合わせるか逡巡したもう一文もなんとか陽の目を見せたいような、合わせる対象がなくなったからもういいような。
やり残しや未練があるから次に繋がる。そういうもの。
◇
連日遅帰りだったため家帰ると猫の目が三角で耳がエアロです。
そんなねねむさんを「おこなの?おこなの?激おこなの~?」と調子っぱずれに歌いながらあやす連夜。
今週からは、静かです。