定時で帰宅して晩ごはん食べながらクロ現見て寝る。
なんと健康的な日か。
早寝しすぎだろう。
でもとにかく眠たかった。
しばし平穏な日々。
おこなの、おこなの、おこ様なの。
怒るというか、ちょっと拗ねたくなったの。
でも拗ねるより楽しくしてたい方が強いから拗ねない。
封印されたおこは伝わらないけどそれでもいいや。
菱田さんのインスタレーションに惹かれてた同僚は今草間彌生展見に静岡行ってます。
静岡といえばSPACの演劇祭もそろそろですね、清水港での水上パフォーマンス「夢の道化師」が面白そうです。
あーだこーだでそんなこんなで、グループ展終了しました。
いやなんか。予想以上に面白かったね。
月曜は会場バラシ、菱田さんの作品のあったあたりから大量の孵化したての子カマキリが出現。
「どこから来たんだろうねえ~」
「明らかに菱田さんの作品に卵がついてたんだと思いますが」
「いや実はね、最終日に卵が孵るように計算してあったんだよ」
それもまたよし。
バラシ後は「ラスト・ピロピロ」(ハイジさん言)。
連日中華三昧でした。
ところで、ビールとマッコリを飲むと胃カメラ前の発泡剤飲んだみたく胃が張るんですが、もしかしてこれは体内で発酵が進んでるんでしょうか。一緒に飲まないほうがいい酒類なんでしょうか。
今回書いた文章は不思議と好評で、油絵の絵描きさんから文章のご依頼を頂きました。うん、次に繋がるのは嬉しい。
いや二つとも「とても納得のいく文が書けた」とも思ってましたし「なんて田岡さんのオブジェに合うんだろう」と自負もしてましたが、他人が理解できるかとか感動するかとかぜんぜん知ったこっちゃないという、ワガママな文章だったので。
わかるとかわからないとか、つたわるとかつたえるとか、不特定多数の受け手の見えない顔色を伺いながら書いてる時は結局「よくわかんない」って言われちゃうんですのに、
誰にもわかんなくていいから私の宝石箱を作る!ってつっぱしっちゃったら、案外その方が受けがいい、という不思議。
そういうもんですかい。
そういうもんか。
言い訳めいたものがなんにも浮かんでこないというのは、傍からもわかるもんなのかもしれないね。
ちょっとやそっとの文を書いたってぜったい揺らがないスキのない極小世界を田岡さんが作ってくるだろうと思ってたんで好き勝手書けました。
ジョゼフ・コーネルの作品に寄せたチャールズ・シミックの文章みたいな距離感で書ければいいな、と。
文章のレベル的にはそらピューリッツァー賞詩人に敵うわけはないんですけど、いやでも心意気的には。
ポケット・トポロジカは、右のポケットから左のポケットへの連続的位相変化を夢想して書いた、なんで「ポケット」なのかは、たぶん、シミックが紹介していたヴァスコ・ポーパの詩の一節が頭にあったから。
いま小さな箱のなかには
ミニチュアの全世界が入っている
簡単にポケットに入れられる
簡単に盗めるし簡単に失くせる
「小さな箱」 ヴァスコ・ポーパ
最後までどっちを合わせるか逡巡したもう一文もなんとか陽の目を見せたいような、合わせる対象がなくなったからもういいような。
やり残しや未練があるから次に繋がる。そういうもの。
◇
連日遅帰りだったため家帰ると猫の目が三角で耳がエアロです。
そんなねねむさんを「おこなの?おこなの?激おこなの~?」と調子っぱずれに歌いながらあやす連夜。
今週からは、静かです。
洗濯機3回目まわしまーす。
久しぶりにめっさいい天気の休日、朝から洗うよー。干すよー。
昨日のりちゃとん話してて「そういやおーしまにDM出してねーや」と思い出し(共通の友人が多いほど誰かが知らせてるだろーと思って連絡が漏れるパターン)、あわててメールする。
早く言ってくれればレミングのついでに行けたのに、と返信。ゴメン。そうか、今日レミング名古屋か。
「なおちゃんはレミング行かないの?」「行かないので松本さんによろしくー」
そういや松本真一さんと知り合ったのもレミング(高田恵篤演出)だったなーとか昔のこと思い出し。
あのときもチラシ描きました。美術は加藤ちかさんでした。
あっちの松本さんは今どうしてるのかな、すごく面白い役者さんだったけどな。
夕方、展覧会会場へ。
今日も同僚が来てくれて、作品案内を頼まれたとこで菱田さん登場、ご本人の作品はご本人に解説してもらうにしくはない、「菱田さん、あれは何?」「こっちは?」と友人と一緒になって気になってたところを訊きまくる。いっこいっこに来歴があって面白い。
展示ものも毎日、作者がいられればいいんだけどねえ。なかなかそうはいかない。
あ、大駱駝艦のKUBOプロモーションが久保じいのことか確認しそびれた、まあ十中八九久保じいだろうな。
今日は切り絵みたお客さんから「黒田硫黄を思い出した」と言われた、えっ、タッチはもちろん全然違うから、表情とかそういう部分?
あと多次元おっぱいの建築の先生(お名前失念)が短文をいたくお気に召してくださいまして、恐縮。哲学と詩学繋がりでしょうか、ベンヤミンを薦められる。
どうも傾向としてね、2つの文のかたっぽは女性受けが良くて、もいっぽは男性好みっぽい。へー。
BREEのカバンは男性からよく褒められてヴィヴィアンのカバンは女性からよくイイネ言われる、あれ以来の、ハッキリした男女の指向差だなーって。
人からあーだこーだ直接感想聞けるのって面白いね。
いや、弱ってる時にはそういうのキツいんだけど、とりあえず今は面白いな。
久野さんと喋ってて、何年か前のハポン劇場の鮎ちゃんの、ニワトリでおしりにボリュームのあるコケティッシュな衣裳が久野さんの作と知る。
あれ似合ってたなー。いまだに鮎ちゃん見るとあのイメージが浮かぶもんなー。
久野さんとご一緒したのははじめてだけど実はちょっと意表をつく方面でご縁があって30年近く前にお会いしている、という、不思議なめぐり合わせだった。
その30年前のご縁がなかったら、わたし七ツに芝居とか観に行かなかったかもしんないし王者舘とも関わってなかったかもしんない。そう思うと、すごいな。
どうしたってどっかで遇ってたかもしんないしそりゃもしもの話なんかわかんないすけどね。
出品作。
今回の新作だけだと寂しいかなーと、わりと最近切り直しした未発表の絵と、あと、かなり昔に松本真一さんの芝居のチラシに使った原画を、賑やかしに添えた。
まっ黙ってれば新作にみえるだろーしばれんばれん、と、別に新作しか出しちゃいけないしばりはないけど、そういう気分でいたら、初日見に来はったお客さんに
「あの絵、なんか昔どこかのチラシで見たような気がするんですけど…」と指摘されてソッコーばれる。
名古屋小劇場界、狭い世界とは言えよく覚えていてくれたなとも思う、ありがたいようなズルがバレた小学生の気分のような。
家で資料みたら松本さんの芝居、2002年7月ですと。ひー10年ひとむかし。ホントよくも覚えててくれたなあ。
芝居のチラシに使った絵の中では、今回展示中の松本さんに描いたやつと、あと双身の芝居に描いたのが当時のお気に入り、ただ土屋さんの方はとんと原画を返却してくれないまま10年過ぎてしまった。
当時嬉しかったのは、久保じいがよく「おみゃーさんの絵、ええな~」と言ってくれたこと、うん、「おみゃーさんのももた(腿)、ええな~」とも言ってましたけど。
二日目、絵のタイトル貼る。「この絵はどっかで見たことあるかも」ってモヤモヤする人がないようにあらかじめキャプション付けとこってことで。
今日はぱうぜの夕方マスターやのりちゃんが日の高いうちに来てくれました。平日の昼間の貴重なお客さん。
大島の映画化で走り回ってるとかで、あいかわらずああ忙しい忙しい。
大島といえば、今回田岡さんのミニチュアオブジェに添える短文書きを仰せつかった時、思い出したのは昔フランク・K・ミヤザキで大島と田岡さんがコラボした作品展、あの時は全体でゆるくお話世界ができあがっていて、そして私は順路を間違えてお話を逆走していったのだった。若かりし頃の、失敗。おほほほ。
過去の自分の失敗を癒すために、じゃないけど、今回の文章はひと繋がりの話とかではないのでどっちから読んでもらっても結構です。
ひと繋がりではないけど同じことの言い換え…みたいな、やっぱり、ゆるい繋がり。
今日、女性の方に「この文章、すごく好きです、すごくいい」と気に入ってもらえて、照れくさくもニヨニヨした。嬉しいすね。
遅がけに同僚がチャリで来場、菱田さんのインスタレーションがずいぶんお気に召したらしかった。
「なんかこうゆう一個一個のパーツが懐かしい感じがします、実家にあったみたいな感じ」
「そうだね、こうゆうの昔はテレビの上にちょこんと飾ってあったよね…って、あれ、髙橋君ってもしかしてご両親が結構ご年配?」
「そうなんですよ、親がどっちも40過ぎてからの子なんで今両親60ちょっとですね」
つまり親と菱田さんとが同世代なんだな。それで菱田さんの作品がご実家の気配に近いんだな。そんな考察もしたりする作品。
夜半、久しぶりにハマジと電話で長話、例のミクの新作オペラ観てきたらしいっすよ、それはなにより。
はじまりましたー。
ハイジさん完成間に合いましたー。
来ると聞いていた人じゃない人が来てくれてびっくりしたり。
初日乾杯。
舞台音響は今やマウスクリックで本番オペレーションしてるよ、という話から、さあ、近未来の舞台美術ってどんなだ、という話題。
「進化したのはインパクト(ドライバ)だけだよ」とハイジさん。
「ガワだけ作って映像を投映するとか…」
「それは舞台美術とはちょっと違う方向になるよね」
プロジェクションなんとかというやつですな。
「舞台ほど大きいのはまだ無理だろうけど、3Dプリンタの実用化で小道具界は変わるんじゃないですか」
「ああ、3Dプリンタ!あれはすごいね!」
で、しばし、みちさん田岡さんたちと3Dプリンタの話題。
あれはやっぱり皆さん気になってるんだなー。
3Dプリンタが普及したらフィギュア屋さん(ボークスとかですか)、無くなるんじゃないかって田岡さん仰るんだけど、どうだろうね、それはそれで、カスタマイズ可能な3Dデータ販売とか、別の形で生き残る気もするし。
むしろ、ホビー方面より、小さい美術製作会社の小道具職人さんとかはクビ切られそうかも、みちさんも言ってたけどプリンタ導入して人件費削減ってありそうな流れ。
夜中、いつものメンバでかっちゃん寄ったら、偶然、ハイジの周囲の楽しい仲間たち大集合(下僕、同窓生、旦那)という珍しい事態になる。
「ちょっと聞いてよ、ハイジさんここじゃこんななのよ」と相互チクリ合い、いえ、情報交換の場になりました。
コータローさんも下僕的な関係なのかと予想してたら、あにはからんや、達者におひいさまのおいたを躱していなす王様だった。ああ、なるほど、いいバランスなんだな。
エミー賞授賞式の時のハイジさんらしいエピソードなどを聞いて大笑いする。
◇◇
金曜は柏がお店番です。
とりあえずBGM用のCDを適当に持ってきてと頼まれて、好きなの持ってきて聴いてます。
久しぶりにぼけーっとできるじかんですね。
リクエストによりパスカルズのライブ版、その他はコンポステラ、山田晋吾とマキノリョータ、星の棲家、ケンイケダ、スーベニール、加藤千晶、あがたさんの少年歳時記、等々、適度に鳴らしております。
展示作品も参加型インスタレーションから絵画、衣裳までバラエティに富んでおります。
さあいらさいませ。
最近…というか既にここ数年ほど?、田岡さんが「仕込みの時期に連絡が取れない困った人」になっています。
原因はハマジ的なことではなくて通信端末的な問題で。
なんでああも見事に仕込み直前を狙って携帯電話が車に轢かれたり、紛失したり、あれこれするんでしょう。
なにかの呪いならはやく解いてください。
数的な思い違いからシンメにしそこねた絵もシンメ委員会会長の田岡さんがうまいことごまかし、じゃなかった、適度に良い感じに配置してくれました。
ちまちま作業してて最後に全体を見たら揃わなかった、この悪夢とスリルを「毎回俺たち(舞台美術班)はやってるんだよ」と…
ええ毎度毎度感心したり感心しすぎて呆れたりしてます、パネルの全体を一度も見ないまま小屋入りとか凄すぎます、それも好きこのんでやってるわけじゃなく叩き場が狭いから展開させられないだけですけど。
ハイジさんが夏休み最終日の小学生になって最後の追い込み中です。
明日は初日です。
同僚が見に来てくれるそうです。
なんとか仕込みにこぎつけました、まあ、いろいろ。
仕込み初日終えてとりあえずひと段落したはずが、すごい切羽詰まった悪夢みて悲鳴あげて目覚める夜明けでした。
そいや私今まで絵の発表の場が印刷系ばっかで原画複数展示ってはじめてかもしんない、ええ、額装問題ひとつとっても想定外が出てきて大変です。
もういっそ額装も台紙もなしで切った絵をそのまま壁面パネルにペーパーボンドで貼り付けていけばよかったか。
文章のほうも最終候補の最後の1つが絞れず、田岡さんと「これが確定ならもう一文はこっちの方が」「作品の雰囲気的にはこっちなんだよ」「あ…そうかもしれない」とここにきてひどく逡巡、まあ、迷うのは「どれを選ぶか」ってことだけで文章的にはもういっさい迷いがないのでいいっちゃいいんだけど。
夜中の製作作業が続いたのでもーれつにだるいぜ。
一つ切り絵を仕上げるたびになんかぜいぜい息を切らしている自分に気づくんだぜ。
無意識に息詰めて作業してるんだよね。ふとももとか変なとこが筋肉痛になるしね。なんだろうね。
で、設場ではじめて全部の絵をいちどきに並べて見たらシンメにしたはずの絵の数が合ってなくって「あれーっ!?」ってなったりね。
ふう。
◇
ねとらぼ情報。
愛生会のHPが閉鎖されるらしいです。
というか、「まだあのままの姿であったのか…!」ということが衝撃な気もします、ネットはじめたばっかの頃に見て呆れたり驚いたり笑ったりしたもんだった。Web界のデコトラ。
グループ展前の最後の休日。
ハイジさんがなまずから帰ってきたんでみやげ話聞きつつ飲んだりグループ展の打ち合わせ(つうかお互いの作業進捗の探りあいだな)をしませんか、なお誘い。
う~ん作業もしたいし遅がけにぱうぜあたりで参加します、の返事をしたら、
「横浜のチラシと文子と美味しい魚」をちらつかされ、「それでも後参加にしますか?」と…
なんてひきょうな!
…と思った。
結局チラシと文子と魚にまんまと釣られて出かけるわしわしであった。
田岡さんのオブジェに添える文章、いくつか出して好きなの選んでもらう。ほとんどおなじことを切り口を変えて書いてるだけだけどそういう書きものも面白い。
とどめにすこし学を衒ったのを書いたら、意外にそれが田岡さん好みだったり。
インテリげんちゃんの作品展。
そいやあがたさんの歌に「ノヴァリスの青い花」ってあるなあ、ライブでは聴いたことないからマニアしか知らない歌かもしんない。
切り絵は額装が要る。
ほんとは額も自作できたらいいんだけど、そういうスキルはないので市販のやっすいポスターパネルを購入。
ダイソーで300円額を発見するがあまりにやぶい(名古屋弁)のでやめた。
で、なんとかかんとか今度こそ失敗なく描き上げ、いや切り上げて額装していて、裏蓋の染みがいつの間にか切ってた自分の血の染みだと気づいて青ざめる。
慌てて傷口探してティッシュでぐるぐる巻きにして、額ひっくり返して絵の側は汚してないのを確認して深い安堵の溜息をついた。
ナイフじゃなくて額のアクリルの角かなんかで指切ったらしい。心臓に悪いわ。
まあそんなこんなで開催が近づいてますよ。
絵はいまひとつ自信ないけど文章の方はちったあいいのが書けたんじゃないかと思ってますよ、オブジェとの組み合わせでどうなるかが楽しみ。
◇
ああ、
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar190713 こういう意識が
http://miyajima.ne.jp/index.php?UID=1326798736 こういう意識につながるわけか。
笑われてるのは自分かもしれない、と思うことも、大事よね。
フェザー製のメスはほんとに優秀だ。
集中力を欠いてくるとほんの一瞬で切っちゃいけないところを切るから、もはやこれまで、の見切りは早めにつけて作業ナイフをボールペンに持ち換えてコラボの文章を書く。
切り絵は切ると取り返しがつかない。
と、いうことは、文は「取り返しがつく」と思っているということか。
文章、言葉こそ、いっそ取り返しがつかないのでやんすけどねえ。
パイロットのジーノックというゲルインキボールペンが使いやすくて会社で愛用している。
書き心地がすごくいいのに家の周りの文房具屋さんではあまり見かけないのでハンズとか行ったら予備の替芯いっぱい購入してくる。
こんなにいいペンなんだからもっとあっちこっち、コンビニとかでも売ってたらいいな。
きゃああああーっ
かなり最後の仕上げの方で、間違えた。
どうしよう。
紙がね。
昔どっかで買った紙がわりと扱い易かったんだけど、探しても同じ物がなくて、紙の名前も覚えてなくて、どーこで買ったんだったかなーとしばらく考えてて、何日目かによーやっと思い出した、7年くらいまえに新宿の世界堂で買ったんだった。
そうすか。
7年前の世界堂すか。
…
四の五の言わずに手を動かそう。
◇
ショーン・タンの短編に、世界中の人々の恥ずかしい黒歴史ノートが風に舞って一箇所にあつまって雨と一緒に空から降ってくるって話がありました(一部意訳)。
そんな感じのことを書きたいような別に似てはないような。
考え中。
◇
「だって、私たち、もう死んでるんですもの」か…
NOSAKAな夜でした。
うちの炊飯器の内ぶたは外せない仕様。
使用後は毎回濡れふきんでぬぐうしかない。
何年も使っているとパッキンのほそい襞や繋ぎ目に汚れが溜まっていってる気がしてならない。
んで、ネジ外せば洗えるかなーと昨晩とうとうドライバ持ち出してみたが。
ネジ外しても内ぶたの裏にがっちり配線がしてあってとにかく外しちゃいけない、洗えない仕様になってることがわかった。
いやー。
炊飯器の内ぶたが洗えないの嫌ー。
今どきの炊飯器は内ぶた外せないのがデファクトスタンダードなのかいと職場で同僚に訊いてまわる。
結果、「ええっ内ぶた外せないの?汚れたらどーすんの?」派多数、「以前使ってたのが内ぶた外せなくてタオルで毎回拭いてたけど外せないのがイヤで捨てた」1名、やっぱヤダよね。
近所の家電屋で炊飯器価格調査中。
あと副産的に、一人暮らしの方々の「おいしいごはん」へのこだわりに感心したり驚いたり。少量炊きの炊飯器は不味いから鍋使ってガスで炊いたほうが美味しいとか、電子レンジ炊飯が意外とイケるとか。
わたしごはん好きだけどあんまこだわりないんよね。基本的に「不味い」って思わないしなあ。世の大半はおいしいものとフツーにおいしいものとフツーなものとすごく美味しいものでできています。
◇
ほう。
リアルペインティングアニメーション。
◇
映画版『変態仮面』の評判がいいですねえ。
本気でくだらないことをやることへの共感賛同の声があちらこちらから。
5月の花は白い。
ヒトツバタゴこんもり咲きました、毎年飽きもせずやっぱり好き。
◇
愚痴や、不満がとんと消えてなくなるってことはないのですが、ぶちぶち言いながらも最善の、恵まれた環境にいると自覚しています。
申し訳なかったり有り難かったり。
でも恐縮したり萎縮したりするよりは、のうのうと「ラッキー」って言って笑っていたほうがいいのだな。
そういうものなんだな。
世の慶事、努力した末に掴むコングラッチュレイションもあれば、棚からぼたもち的なラッキーやハッピーもあり、はたまた才能と偶発の出会う幸運・セレンディピティってのもある。
幸運とめぐりあうのも大事だけど幸運に気づくのも大事。受容体は機能しているか。
仕事をしていると、「相手をもっと疑え」と同僚に言われることがときどき、頻度で言うと一日一回くらい、あるのだけど、でまあ確かに取引先や他部署の言葉を信用して裏切られることも多いのだけど、そんでもあんまり、深くは勘ぐらない。
見知らぬ(でも趣味の合う)人のTumblrにリブログされた記事の中に「だまされ上手になりなさい」という言葉が出てきて、ああ、それはいいな、「疑い上手」になるより「だまされ上手」になるほうが自分に向いているな、と思った。
ただのだまされやすい人ではなくて「上手」でなくてはなりませんよ。被害意識も持たず欺瞞やスリカエでもなく。そりゃ難しい。
◇
引っ越したあい、部屋の中の散らかりが尋常じゃなあい。
片づけなされってか。うん。
細かい切り絵作業をしてからお風呂はいると、小ちゃい紙の切れはしがふわふわ湯船に浮きます。