2013年2月7日木曜日

ねぐせエクセラ

美術製作中の舞台班に誘われて寺ちゃんの主演映画観に行く。題材はオウムの逃亡犯とその隠匿班。


元ネタになった事件を知らないとなんだかわからない話だし、元ネタを知っていれば、現実の方が劇的だなあと思う、そんな映画でした。えー。


わたしは糞リアリズムにこだわる方ではないけど、なんかこう、リアリティというか、いきづいている感触は少しばかりあったほうがいいなあと思う、それが無いんだよなあ。


17年も犯人をかくまって嘘の社会生活をしていた…とか、17年間部屋の中にずっと潜んで暮らしていた…ということが、二人の対話で繰り返し言及されるんだけど、セリフ説明でしかない感じなのね。うーん、17年の隠匿にリアリティがないとヒモと共依存の痴話喧嘩にしか見えない…


あと、序盤のほうの女の人の動きの流れがなんか気になって。家帰ってきて、台所で野菜洗って、その途中で顔洗いに行って、野菜洗い再開して、また中断してプラごみ集めて外へゴミ出しに行く…それ生活の流れとしておかしくないすか、それとも野菜洗いをもったいぶることに何か深い意味があるんですか。こーゆーめっちゃ細かいことがひっかかってしまった。


 


どうもなあ。


 



 


かっちゃんで大丸店主がお店閉店したすぐ後に亡くなったという話聞く。


大丸世代に大衝撃。


お年だったし、「体悪くしたから営業時間を短くする」という理由で開店時間がどんどん遅くなってとうとう深夜3時開店の幻の店化したという話だったし、まあ、そんなこともあるかもしれん、が、なんて伝説的な締めくくりなんだ。


 


橘が取り壊しになり、大丸が閉店し、ご店主もいなくなり…なんだか昭和がほんとに終わりますね。


 



 


ピンカー『言語を生みだす本能』読む。ピンカーとか、チョムスキーとか、言語学者は変な名前。