2010年11月23日火曜日

はい、珍しくガツガツしてますよ。


いつも通りぽえーっとした顔してますのであんまり野心や野望があるようには見えんようですが、そら仕様なので仕方がない。


目標があるので目的に適うことなら形振りかまいませんのよ。多少のえげつなさだって「努力」のうちだ。


自分の中でGOサインが出てるのでたいそう気分がよい。


 



 


11月の台風のせいかしら、キャベツが高いわ。しかも巻きが春キャベツ並に緩いわ。


この頃は白菜が安いので白菜よく食べる。常のキャベツポジションを奪取。


和風によし洋風によし、鍋によし炒めてよし蒸してよし。


 


個人食料品店でエゴマの葉を見切り大安売りしてた。1袋10枚入りのエゴマの葉が7袋まとめて28円。なに28円って。


もちろん買う。晩ごはんのメニューを急遽お豆腐チゲに変更。


2袋は残して残り5袋分50枚をチゲに投入。残した1袋は醤油漬けに、もう1袋は明日エゴマチャーハンにする予定。


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エゴマ大盤振舞い。


エゴマも大葉もネギもパセリもセロリも香菜も、香味野菜はなんでも好きだ。


見切り品だから傷んでるのかなーと思いきや、なんのなんのピンピンの新鮮野菜。仕入れすぎたんか?


エゴマの葉は鉄とカルシウムが豊富だそうです。


お天気が良かったらもう一束(70葉)買うてエゴマ好きの文子さんに届けるのであるが、雨なので、独り楽しむとする。


自宅でこんなゴマチゲ三昧できるなんて贅沢な。28円だけど。


旨うございました。あたたまりました。冬はええね。


もうしばらくで貧乏返上できるから、ほしたらまた絶品チゲの店でマッコリのみましょう。ね。


 



 


敬語は難しい。ああゆうのは理屈より耳で覚えるもんなんだと思う、外国語と一緒。


以前、ビジネスマナーの講習で


  お客様がお土産を「くれました」


の「くれました」の部分を敬語(尊敬語)にしなさいって問題が出た。


講師の先生が仰るに、この問題なぜか20代の人は全滅なんだってさ。答えられないんだって。へー。


正解は「くださいました」。


くださる、くだされもの、確かに遣わない言葉になってるのかもしんないね。「いただく」はよく聞くけど、こっちだと主語が自分になるな。


 


しかし敬語が不得手なのは現代のワカモノに限ったことじゃないですよね。


太宰治の『斜陽』の冒頭部分にお母さま自身が「お母さまがいま何をなさっているか、あててごらん」とかや言いなさる描写がありまして、自分の行為に対して「なさってる」と尊敬語を遣っている、この自敬表現はどうしたもんかと。


なにぶんにも華族の出で浮世離れしたお母さまですのんで、自分に「なさってる」とか言っちゃう設定なのかもしんない。単に作家のうっかりかもしんない。


あがたさんの「乙女の儚夢」の中の、あれは何の曲だっけ、「学校で一番好きな先生は、オオスミと申す女の先生なの」という語りが入る、うん、「申す」は謙譲語ですので「オオスミと仰る」だろうってツッコミたくなるんだけど、女学生が慣れない敬語でたどたどしく綴った初々しい文章という設定なのかもしんないなーって一応ウラを読む。


 


 


あとね、マナー講習・その他の研修でよく耳にしてそのたんびに気になること。


「お客様のお話はよくききましょう。この『きく』は『聞く』ではなく『聴く』です」とかなんとか、わざわざ板書して強調なさるのね。


しかしお言葉ですが、孔子『大学』に曰く、「心焉に在らざれぱ、視れども見えず、 聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず」、つまり「聴く」というのは心がここになくてもできる身体面の動作で、「聞く」というのは心の作用が必要だと。


そういうことでいうなら、聴くだけではイカンでしょう、お客さんの話はよく聴きかつよく聞かないと。


というかわざわざ漢字に直す必要はないんじゃないかと、日本語には「きく」という偉い言葉があって深い意味を含んでいる、それをわざわざ通り一遍の知識で漢字に直すとこっちですとか言い出すから間違った知識が拡大再生産される。これ今までに3名くらいのマナー講師から聞かされてるんすよ、毎回板書付きで。


こちらもオトナなのでその場で「お言葉ですが」と瑣末なことを言い立てやしませんが、間違った知識で諭されるのはあんまり気分のいいもんじゃありません。これって普段遣いじゃない字のほうが丁寧に感じるって類の錯覚だよなー。


 


そろそろ物言わざるは腹脹るるとかで臨界なので書いちゃいましたよ。言葉は貨幣と一緒、良貨を駆逐する悪貨もまたありと思うているが。