2010年11月15日月曜日

日曜日

今週の新刊案内欄。


『オスは生きてるムダなのか』池田清彦著、角川選書刊。


メスだけで単為生殖する生物はいてもオスだけで単為生殖する生物はいないことから「ではオスはムダなのか?」という視点で語る生物学入門、だそうな。


まあカマキリみたいな例もある、アンコウみたいな例もある。すべての男は消耗品であると書いたのは村上龍。


しかし予算審議と違って生物界じゃムダっていうのは淘汰の理由にならないようですよね、おかげさまでこんにちも生物界はバリエーション豊かでデコラティブというか、うぞむぞがわさわさしてます。その方がおもろい。人間界も。


 


なんかかんか考えたけど省略&飛躍。


 


男と女の間には暗くて深い河がある。Row & Row。とつぜん野坂昭如。


かなりいろんな人が歌ってるけどやっぱりお若い頃の野坂昭如の歌唱が一番胡散臭くて好きだな。「マリリン・モンロー ノーリターン」も。


男共漕ぎやがれ。Row & Row。


この世はもうじきお終いだ。Row & Row。


 



 


タマネギ安かったのでハヤシ作る。


ハヤシとカレーはいっぱい作っただけおかわりしてしまうのであんまり日を稼げないのであった。


 


久米宏の『新ニッポン人の食卓』視る、現代の主婦層が調理をしない原因をさらにその親の世代の生い立ちまでさかのぼって考察する2時間特番。


スタジオの論調は明らかに「今どきの主婦は旦那や子どもにレトルト食品食べさせてるんですよ、嘆かわしい」ってふうなんだけど、テレビ的には産業への目配せもあるんでしょう、冷食・コンビニ惣菜業界の商品開発のようすを取材したりしてそれはそれで肯定的に流してるんで、番組全体をみたときにすげー中途半端な感じだった。


便利な世の中になりましたねえって受け入れちゃうのか、こんな手抜き許せませんって糾弾するのかどっちかにしなよ。それかもっと淡々と進行するか。久米宏ってすごく確証バイアスかけにかかるよな。


ご家庭の味が断絶してるって話は面白かった。


子どもが親から料理習う時期なんて夕方から家にいられる中学高校のうちしかないと思うけど、そんな時期には親も家事手伝わせるより「勉強しなさい勉強」だし調理くらい家庭科で習ってるだろうって親は考えるし、なにより忙しい調理タイムに狭い台所でもたもたされると邪魔くさいし、教える機会マタハ教わる機会がないんだろう、うちがそんな感じだった。


母が勤めてたからご飯たくのは自分の担当だった、でも母からすすんで料理教えてきたことってたぶんそんなにない。こっちから「これってどうやって作るの」て訊くことはあったけど言葉で説明してもらうばっかで並んで台所に立つことは無かったんじゃないかなあ。


母の味と言うと一般には「肉じゃが」「味噌汁」などが挙がるそうですね。わたしが受け継いだ「母の味」は松前漬だな。母方のばあちゃん家から続く味。あとけんちん汁と。


あと家庭の味ってことで思い浮かべるのはさつまいもの天ぷらです。もう大皿に天高く積み上げられたいも天。おやつにもおかずにもなる。


いもの天ぷらなんてお店で食べるようなものでもないし、というより皿いっぱいのいも天なんて出す店ないし。自分は作らない。まさに母の味。