心配と不安はわたしの属性、そう書いてみたら自分で納得しちゃった。そのように開き直るかな。
かけるほうの「心配」はとりもなおさず「迷惑」であるので、心配させない方がいいのは重々承知なのだけど、まあ、どんなに「大丈夫!平気!」って言っても傍からは底が見えてるし。
心配するのも心配させるのもそうゆうものとして含みおいて。なるようになるさ。
「心配してんのに結局お前死なないんじゃん」とその昔言われた。そーよ。あたしは無駄心配大全よ。ざまあみろ。
低空低速飛行で誰よりも生き延びるのはたぶんアタシよ。
向き不向きでいえば、制作にわたし向いてない。
制作の仕事って幅広すぎるし。スタッフ交渉から、宣伝や票券、ケータリング、空調含めた客席整備、打ち上げ準備。
でわたしは感情的すぎるし内向的だし容量少ないし。連絡の見落とし多いし。すぐ視野狭くなるし。
でもそんなん今はじまったことじゃなくてわかってたことで。
なのになんで企画立案だけじゃなくて制作をやりたいのかな。
それもずっと前からでしょう。コンデンスとかそのくらい前。
きっかけは助成金申請かな。
同じころ、ももちゃんやハト坊とよく話すようになって「制作者の美学」を吹き込まれたのとか。
くだん・ヤジキタの立ち上げに制作補助で参加したのとか。
コンセプトシアターの制作も結局なんだかんだで手伝わされてるし。
向いてないけどここに至る流れはあるんだよなあ。
誰が制作やろうとお客さんには、いやもしかすると役者にも、関係ないことかもしんないけど。
たぶん良い制作ほど、意識されない。空気のようにあたりまえ。
ことさら「制作はなにやってるの?」「誰が制作?」って意識されるとしたら何か不具合があったとき。
空気のような制作者になりたいわあ。それもできれば窒素じゃなくて酸素がいいわあ。
むかんしん