2009年2月28日土曜日

まぎれる

どんなへおへおでもしおしおでも、好奇心が枯れない限り大丈夫、やっていける。


 


今気になってるのはフォーサーズ機かな、デジ一の。買わないけど。


何がフォーサーズって、撮像素子がフルサイズに対して3/4サイズなのね、そうゆう規格。オリンパスとコダックが企画開発した新ユニバーサルシステム。レンズ互換性の確保とか。


で、パナのLUMIX DMC-G1とゆうのが「マイクロフォーサーズ」というフォーサーズ発展系の規格で、ミラーレス構造(マイクロフォーサーズ機はフランジバックが短いため構造上ミラーを組み込めないらしい)。


ミラーレスならシャッター音も小さいのかなーと思って店頭でいらい倒してみた、全然そんなことない。音大きい。しかもまぬけな音。文字にすると「ぎぼっ」みたいな。


いまどきのこうゆう趣味性の高い中級機高級機なんかはシャッター音も設計してるって聞くけど、なんでこんな音にしちゃったのかしら。


あと、鏡を使ってないから一眼「レフレックス(反射)」ではない。メーカーでは「デジタル一眼」と称しているそうな。(フォーサーズ機のL10は「デジタル一眼レフ」と称している。)


一般的にはデジタル一眼レフのことを「デジタル一眼」「デジ一」と略称してるから、呼称的にちょっと混乱。まーどーでもいい細かい話でした。


 


シャッター切ったときのミラーアップの衝撃に「手応え」みたいなの感じるって人もきっといるんだろうなあ。趣味の世界はフェティシズムの世界。


 


こないだの舞台で使ったのはミノルタSR-1、1960年代発売、部品取り用のジャンク(ミラーはねあがらず)で確か700円くらいだった。ロッコール55mm/F1.8付。


ご家庭カメラのイメージだけどユージン・スミスが水俣取材の折に使用したのがミノルタSR(SRT101とSR-1s)だそうな。


そういえばこの人も片目を潰されたカメラマンだった(水俣シリーズでチッソ社の雇った暴力団員に襲撃され片目失明)。


ユージン・スミスといいユジェン(ユージン)・バフチャルといい、ファーストネームが「ユージン」のカメラマンは目に災難あるの法則。


 


ロモとかホルガとかプラボディのトイカメラ、持ってないけど、あーゆう廉価なシリーズで中版とか二眼とかフィッシュアイとかいろいろ出てておもしろいな。


トイカメラでティルト・シフトレンズ装着したの出ないかなー。目先の変わったオモチャレンズとして。シフトでフォトモ作成、逆ティルトで本城直季ごっこ、需要あると思う。


ティルトレンズがあれば誰でも本城直季になれるわけではないのは当然だけど、ミニチュア風撮影に憧れる撮影愛好家は少なくなく、そしてティルトレンズはめっちゃ高価。もともと建築関係とかカタログ撮影とかの業務用レンズだからかしら。


そこでそこそこしかお金のないカメラファンの方たちは、レンズをマウントに固定せず手で支えて角度つけて撮影するという「根性ティルト」とゆう荒業を編み出したらしい。すげー。バカ(悪口ではない)。


 


光と反射と角度とメカニズム。やっぱカメラっておもしろい。



2009年2月27日金曜日

感情の浪費

雨あがりやがったか


 


風つよく、ほのぬくく、花粉とか飛ぶのであろう飛んでいるのであろう。目と耳の奥がひじょうにかゆい。


突如思い立って週末上京しようかと思ったりもするけど、家から出ないのが正解かもしれん。


 


「季節はようく知っておるさ」とももちゃんは言ってたな。不調で春を知る。調子悪くてアタリマエ!


日々如実に安定を欠きゆく精神状態を自覚しつつ、おとなしく家でじっとしてるのがいいのか出歩いてなるべく人と会ったりよそに目を向けた方がいいのか、いつもよくわかんない。


精神だって身体だ。畢竟、物質に由来する。


動かさなければ退化するし鍛えれば進化するんじゃないだろうか。


根性論ではなくて。脳内物質放出の能力の問題。脳トレーニングでセロトニン分泌をコントロールできるようになればいいのだ。


 


去年はびっくりするほど軽くすんだな、花粉も春鬱も。相関関係があるかしら。


シフォン碧南があったりフレアのネタ書きためたりひとを口説いたりの頃で坂本木場ライヴもあって、下降する隙もなかったんだな。


予定を埋めて気を張っとくといいのかもしんない。


 


 


 


「祖母はレイバイで/母はマジナイ師だった/伯母はゲイシャで/叔母はケッカクで/もう一人の叔母はウマズメだった」


伊藤比呂美「テリトリー論」の一節。そうか最初に「女の子の家の歴史」とかって思いついたのはこの詩が頭のどっかにあったのかな。


 


先日、伊藤比呂美のエッセイ&詩集『ラヴソング』購入した、発行は3、4年前だけど収録されてるのは10年以上前にあちこちの雑誌に掲載された文章や訳詞。


本人の解説によると、三十代後半で家庭をぶちこわして国内外を転々と、ときには子連れでときにはひとりで移動していた時期に発表した作品たちだそうで。かつての自称「野良猫女房」、いつのまにか「グローバル野良猫女房」に。


そういえばその時期のって読んだことないな、それ以前の、熊本や時にはポーランドで育児してた頃のは読んでるけど、しばらく空白があって(わたしから見ると。育児雑誌で母親相談とかの連載はしてたようだった)久々に著作読んだら娘たちつれてカリフォルニアで初老の学者と生活してるとかで、そしてまた詩集や小説がコンスタントに上梓されるようになった。


ひとごとながらいそがしい人生だ。なんつうか、移動距離的に。


とゆうわけでこの本に収録されてるのはカリフォルニアに落ち着く以前のもので、いやあ、身の置きどころは心の置きどころ、なにかとても痛々しい。


本人も「あんまりつらくて、長い間、読みかえすこともできませんでした。」という。


意外なものを書いていたんだなあと思いました。昔のとも今のとも違う。あたりまえか。


ロックのラヴソングの訳詞で一章構成されてますが、それとは別に、当時の詩2篇と、あとビートルズの「ヘルプ!」をカエターノ・ヴェローソがカヴァーしたものに影響を受けて書いたという詩が2篇載ってて、なんだか、帰る部屋はあるけど落としどころのない日々のさんじゅうはっちゃいをひやひやとさせる。


題「助けてほしい、どーしたらいいのかわからない」という。


たいがいのことは「どーしたらいいのか」さえわかったらなんとかかんとかできるのよね。


そうして、助けようにも、「どーしたらいいのかわからない」ひとを助けるのは至難の業なのよね。


それはね。


わかってるんだけど。



2009年2月26日木曜日

water level

雨続きの二日目はかなり楽、花粉の季節となりました。


体のしんどいが如実に気持に反映する今日この頃。


今年は強めの抗アレルギー薬を服んでてそれでこんどは薬負けを起こしてまいんち不調とゆう。春終われ。


 


ほんと一年の中で調子いいのは秋だけだなあ。10月だけ。10月の国に住みたい。


 


あきらかに調子が悪いうちはなるべく考えないようにしたいのだけど時間は待ってくれないし。


なんか先も見えないし足もとも見えないし自分がわからないしとっかかるところがないのね。


なんにつけバランスとれてないのはわかるんだけど。


水平器が必要だ。


 


先のことをまともに考えたいなら自分の水平器が必要だ。


 


転居のため不達とかの末、本日ようやく「ライトフレア」記録DVDをイタダく。がんばちゃんステキ。


ライブラリにがんばレーベルが増えた。


で、怖くて、まともに再生できなかった。とめてとめてとばしてとばして見た。なんだこの感情。


先につながることでなきゃ詮ないし卒論や思い出作りにするつもりはないと理屈で考えてやってきたけど、なんだろう、「怖い」としか言いようがない。


落ち着こう。





2009年2月24日火曜日

まとめて

メロンパン


地方色豊かなメロンパン。


サンドパン


地方色豊かなサンドパン。彦根市だるまや製パン所製。


 


ひこにゃん登場


ひこにゃん登場。


 


ひこにゃん・斬


ひこにゃん・斬。


 


ひこけつ


ひこけつ。


 


彦根犬


せっかくの散歩なのに飼い主が立ち話ばっかりで歩けませんのや、と通りすがりの旅人に訴えてきた彦根犬。


 


ひこ酒


自分用土産。中身は料理酒として使用予定。


 


 


作業ナイフ


作業用ナイフ購入。


 


切り絵2009.2.23


切り絵製作。


 


  空を切る腕(かいな)の刹那踊る人  林ももこ


 


 


 


 


ぐあい わるい


はやく あいたい



やぶれる

 


 


しんけんに話をしようとしてるのに


つられて笑ってしんけんもチャラで


それでもいいか。


くやしくても笑ってそれでいいか。


笑うと負けよ


たのしい負けよ。


負けてうれしい笑うと負けよ。


 


 



2009年2月13日金曜日

もう寝ちゃった?

幾度目かの「今度こそほんとにおやすみなさい」の1分後に「…ねえ、まだ起きてる?」って語りかける子どもでした。いまだに全然変わっていません。


もう終わったことなのに話し続けてしまいます。


 


いいや、目が覚めちゃったからもうすこし喋っていよう。


 


早川司寿乃(しーちゃん)から観劇の翌日電話きた。


「カシワさんが原作に"フレア"って名前をつけたときの気持ちっていうのはどうなったの?」


すんっげー捉えづらくかつ答えがたい質問をしなさることだ。


終演後にも原作について訊かれていた。


細かいことだけどわたしは自分では原案と言っている(チラシ表記も)。


「フレア」はまとまった一つの作品じゃない、断片のアツマリだと思う。それで「原案」と呼ぶ。




わたしの世界を芝居で表現したかったわけじゃなく、虎馬鯨の新作が見たかったのがはじめで、いろいろもろもろ経て、虎馬鯨×天野天街の次回作が観たいというところに落ち着く。


"フレア"って名前をつけたときの気持ちは、試薬入れるほどのものじゃないのかな。のかなって、推量。


シンプルで単純で赤にも青にも変化するものを投下した感じ。作品にタイトルをつけるって感じじゃなかったと思う。最初はいくつかの断片を書き散らすつもりだったので、ファイル名は「フレア1」になっている。サンプル試験管みたいに。


そうゆう気持ちが「どうなった」って言えば、化学変化を目の当たりにしておもろがってる、とかそんなんよ。


 


Fの音がいいなあ、と思った。なんとなく。なんとなくだけどFは女子っぽい。フローラ。フィメール。フリル。ふわふわ。ふる。ふえる。ふるえる。


Fの音がいいなとだけ思っているときに、天野さんと仮タイトルの話をしてて、ぽん、と口から「フレア、とか」と出てきた。それでフレアになった。


女の子の服飾の優雅な布地と、太陽の閃光、レンズの中のキラめく光片、全部が多重露光になっててぴったりだなと思った。


でもこれはむき出しの3音だ。虎馬鯨に何か足してくださいと言った。「ライトフレア」になった。軽く明るく、二重画像の輪郭がよりクッキリした。ドキドキした。


 


名前をつけることは魔法をかけることだとCWニコルのおっさんが書いてたそうだ。そう思う。


 


人物の名前はだいたい原案のまま使われた。


名前をつけるのはむずかしい。


名前に意味がこもるから。


フレアと付けたのと一緒で、後から後からもっともらしい理由が湧いてくる。


名前だけでもう「ネタ」や「イメージ」なのです。たとえばこんな。


 


一子・二三子は単純に数、女1とか女2とかの記号とおんなじ発想。だったのだけど、


海南島の神話に出てくる島で最初のきょうだいの名字が「ワン(王)」と「フー(巫)」で、それになぞらえてワン=ONE=かずちゃん、フー=ふーちゃん、とか、


『老子』に出てくる世界のはじまり「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」であるとか、いろいろ頭の中で意味づけたな。


 


おかあさんじゃない方が零子なのは、モノガタリ語る人だから稗田阿礼(ヒエダノアレ・古事記の語り部)にあやかってレイコにした。


おかあさんの初子は原初の初、エジプトの神殿の碑文にある「彼女は生まれることなくして生む」という一文からきたイメージ。


初ははじめてのハツだけどウブでもある、そしてウブは産むに通じる。


 


乙彦は古事記・日本書紀に出てくる楽器の神様の名前をもじった。


この神様には笛の製造にまつわる土俗神話が各地にあるそうな。


古事記では天界から地上を視察に行って帰らなかったために殺される。


ちなみに「彦」には「姫」が対になるはずなのでどこかにオトヒメがいるはずだけどこれは書きはぐった。


 


アゲハ・クレハは上端・暮端。ようは東と西。


クレハという名前は呉服とも書く。機織りの女神でクレハトリとアヤハトリという姉妹がいたそうで、それにもひっかけた。布地とか衣服とか羽織物とかにまつわるイメージ。


 


十郎は「曾我兄弟」の曾我十郎祐成から取った。


曾我十郎は能「夜討曾我」で仇打ちに行った先で討ち死にするのだが、それを闇の中でたいまつ掲げた弟五郎時致が捜す場面がとてつも良いので、闇に消えて光に映らない死者のイメージで名前をいただいた。


 


戸越ヒロと仁科磯子、はヒトゴロシとシニソコナイのアナグラム。


未成年の重大犯罪者が少年院から出てくるとき、その将来を慮って法務官が新しい姓名をつけることがある。


その法務官が風刺だかの利いた人で「あっお前ヒトゴロシだからトゴシヒロな」って名付けてたらやだろうなあ、とか思いついて命名。刑を終えても犯罪者は犯罪者。


「ヒロ」は海の水深を測る単位「尋(ひろ)」にもかけた。尋と磯子。二人して海っぱたの名前なのです。


シニソコナイは死に損なっていつっまででも生き続ける、八百比丘尼のイメージ。


八百比丘尼は若狭の浜辺をうろついていたというから、やっぱり海っぱたから離れられない。


 


ヨタはヨタ者のヨタ、琉球で占いにハマッてる人をユタ買いという、ユタ買いのヨタ。


 


フレアに出てくる名前と由来はこんなとこ。


「ライトフレア」っていうお芝居になるにあたって変えたりバラしたり新しい名前が作られたり属性がシャッフルされたり。トランプみたいに。


 


ふーちゃんのふーは巫(ふ)にかかっている。


「巫」の字形がガクブチ舞台の真ん中開きの幕(カーテン)を左右から女の子が引こうとしてるシルエットみたい、というすっごいたあいない象形ダジャレが頭にあって。


自分の描いたイメージなんかどうだっていいですよ、と言いながら、今回の美術の白いカーテンに感動し、それを左右に引くゆきこさんとペコちゃんにまた感動したんだった。



2009年2月12日木曜日

油甘物と快楽

ロイズ。デパ地下の特設売場が人だかりする時期になりもうした。


例のチョコレートコーティングのポテトチップスは以前なんかの芝居やってるとき誰かの差し入れで食べた。金谷ミヤちゃんだったかな。


なぜかそんなにハマらなかった。


ポテトチップス+チョコレートってすんごいカロリー高そうだなーとか、そんなこと考えてた。


脂質と糖分の組み合わせが一番太るそうで。


でもこってり系のおいしいものは脂と甘みで決まる。


グルメリポートが「口の中でとろけるー」「あまーい」ばかりになるのもむべないことである。リポーターの語彙が貧弱なせいばかりでもない。


どこかの研究所で「おいしいものは高カロリーである」という定説を実証しているのを新聞で読んだ。


脂質と糖分で舌が満足した後、カロリーとして吸収されるときに脳の報酬系回路のスイッチが入るんだそうである。


舌が満足して脳が満足する。一粒で二度おいしいってわけ。脳の満足が、満足度の深さやリピート行動につながる。


味覚の刺激だけでカロリー吸収につながらない場合は報酬系回路は作動しないらしい。


砂糖は麻薬だと誰かが言ったけど、ある意味ほんとだ。


大昔、脂質や糖分はそうそうまとめてに口にできるもんじゃなかったはずだ。狩猟民族が狩りに成功したとき。くだものだのハチミツだのが手に入ったとき。


たまの高カロリー食はこんなにもおいしいと脳が烙印を押すことで、次の仕事(狩り)への意欲が湧くように、そのような回路を神様が仕組んだのかしら。


報酬系が作動する刺激行動には、摂食のほかには性交や音楽、麻薬なんかがあるそうで。


食事とセックスは個の生存と種の繁栄がかかっているからわかるとして、麻薬も神経系に直接作用するからわかるとして、音楽がそんな本能レベルの快楽に結びついてるのは面白いと思った。


NO MUSIC,NO LIFEってか。「ってか」って付けちゃうけどさ。


 


ああそっか、じゃあ、ライヴ行ってメシ食ってエロいこといたしましょう、とゆうデートコースは報酬系神経回路的にたいへん正しいんだなあ。さらに薬物キメてれば完璧だ。


完璧な快楽の追求。


 



2009年2月5日木曜日

白ネギを煮る

発熱中。


公演終わるまで病気しないのは偉いが、終わったとたん発病するのは、気抜きすぎ。


さすがに一日は休めず午前休、午後から出社。


帰りに体温計買う。この4年体温計のない暮らしをしてたのね。


熱っぽくっても平熱のときもあるし、高熱なのにぴんしゃんしてるときもあるし、病院行けば計ってくれるし、別にいいやって買ってなかった。


どうゆう心境の変化でしょう、電子体温計購入は。


新しい体温計で熱計るのなんとなく楽しい。


 


4年か。


そーか。


 


 わらう柴系


名も知らぬ犬わらう冬


 


「終わらないで」は女の常。


はい終わりましたよ。未練も執着も洗い流すとよいのですよ。


ゆるい見通しで5月にはあれもこれも完全復調の予定。


5月は好きな季節だからちょうどいい。


 


思い入れが強すぎて視野が狭くなってもつれてすっころぶ、いつもそうだね。


もっと冷静になれたらいいのにね。


未来の先から振り返るようにして自分を見られればいいのにね。


上から目線、ならぬ、先から目線。


 


「これはずっとずっと先の鏡が映したずっとずっと昔のお話。今、ここのお話です。」



2009年2月4日水曜日

おしゃべりとか止まらないとか

今日は。


さあいよいよ領収書計算、ああでも鼻水が止まらないしなあ、とりあえずお礼メールまだの人にメール送りたいわ、と送信。


ほしてさっそくユウゴさんから折り返しで電話、もちろんくっちゃべる。


この二人の組み合わせって、リアルで会ってるときより電話の方がとりとめなくよく喋るかもしんない。


いや、でも、公演後一週間、喋りたい時期か。わたしが。


 


人恋しいんだよね。そうゆうことなのよね。


毎日毎日繰り返したあれがもう繰り返さないのだということ、腑に落ちるまで少し間があるのよね。


職場にいて半分上の空なのは、風邪のせいだけじゃなくて。


 


誰にもまだちゃんと感想言ってないなあ。


いつもにまして「ちゃんと」は言えないけど、こんなとこがステキだった、こんなふうに見えたって。


1時間18分のコンパクトな舞台、それでも花ひらくには充分だったこと。


 


足踏みミシンって「わくかせ輪」にちょっと似てる。能「黒塚」でおばあさんが昔話しながら糸を紡ぐ装置。


わくかせ輪は永遠に廻る因果の象徴なんだけど、それでいうとミシンはどうゆうシンボルになるだろう。



2009年2月2日月曜日

絶対零度の空

ツイラクするヒコーキと目を潰されるカメラマン、は、ピロスマニアの「ハリスの旋風」(作詞・あがた森魚)からいただいたイメージ。

 

   激しくも右手に傾き落ちてく

   巻取られたフィルムが宙返りながら

   果かなくも左手にも揺れ落ちながら

   僕も君も時の彼方へ消えかかる

 

   大空には何も見えない誰もいない

   ああプロペラと ただMECHANISM

   エンジンの音以外僕も誰もいない

   ああプロペラと ただMECHANISM

 

のち、港千尋の著作の中で、盲目のカメラマン、ユジェン・バフチャルのことを知り「光の触手」と題された一連の作品を見る。

光の触手、サーチライト。それも「あなたはそこにいるのか?」の問いかけだ。

そのコタエ。Response。Spiegelreflex(鏡の反射)。

盲人が手にした暗箱(カメラ・オブスキュラ)の中のライトレコード。

または機体残骸にまぎれたブラックボックスの中のフライトレコード。

そこにいるの?光の問いかけの答えはログに残る。空気にも光にも触れないシェルターの中で「今」ではないところへゆく。

そうしてすべての肖像写真はいずれ遺影となる。ココにいたよ。

 

 

 

そんな妄想。



tale tile

ライトフレア本番。


「最低でも3回は観てやる」の言葉通り、3回生で舞台を観ました。


初日に客止めしながら通路で立ち見、土曜日夜に客席から観劇(下手より、後ろから3列目)、楽日客席から観劇(上手、最後列)。


小屋入りしてから稽古はまったく見てないので、ラストの方は初日本番が初見。


あ、これ好きだ、と思ったよ。客観的ではないだろうけど。メタメタフィクションはそんな好きなわけじゃないけど。虎馬鯨の本の後半5分の1くらいが千切られてるけど。


そんでも好きだなあと思っちゃった。もう不可抗力です。舞台各所から出たり入ったりする人たちがいとしくってしょうがないんだから。


最後の転換の「抜け感」もね。灰色から青。ハッとする。海の底、か、天の底。僕も誰もいない零度の青。ミシンのシルエットさえ愛おしい。


演出ってすごいなって思っちゃった。稽古でずっと見てた踊りなのに、こうゆう展開とこうゆう曲で、解釈が全然違っちゃった。


 


個々の登場人物が並列つなぎになってるから「シフォン」よりさらにひとりひとりがハッキリ見える舞台だったと思う。



2009年2月1日日曜日

整頓する

心配と不安はわたしの属性、そう書いてみたら自分で納得しちゃった。そのように開き直るかな。


かけるほうの「心配」はとりもなおさず「迷惑」であるので、心配させない方がいいのは重々承知なのだけど、まあ、どんなに「大丈夫!平気!」って言っても傍からは底が見えてるし。


心配するのも心配させるのもそうゆうものとして含みおいて。なるようになるさ。


「心配してんのに結局お前死なないんじゃん」とその昔言われた。そーよ。あたしは無駄心配大全よ。ざまあみろ。


低空低速飛行で誰よりも生き延びるのはたぶんアタシよ。




向き不向きでいえば、制作にわたし向いてない。


制作の仕事って幅広すぎるし。スタッフ交渉から、宣伝や票券、ケータリング、空調含めた客席整備、打ち上げ準備。


でわたしは感情的すぎるし内向的だし容量少ないし。連絡の見落とし多いし。すぐ視野狭くなるし。


でもそんなん今はじまったことじゃなくてわかってたことで。


なのになんで企画立案だけじゃなくて制作をやりたいのかな。


それもずっと前からでしょう。コンデンスとかそのくらい前。


きっかけは助成金申請かな。


同じころ、ももちゃんやハト坊とよく話すようになって「制作者の美学」を吹き込まれたのとか。


くだん・ヤジキタの立ち上げに制作補助で参加したのとか。


コンセプトシアターの制作も結局なんだかんだで手伝わされてるし。


向いてないけどここに至る流れはあるんだよなあ。


誰が制作やろうとお客さんには、いやもしかすると役者にも、関係ないことかもしんないけど。


たぶん良い制作ほど、意識されない。空気のようにあたりまえ。


ことさら「制作はなにやってるの?」「誰が制作?」って意識されるとしたら何か不具合があったとき。


空気のような制作者になりたいわあ。それもできれば窒素じゃなくて酸素がいいわあ。


 


 


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むかんしん