2015年11月17日火曜日

レトロテクノロジ

こないだ、ピスコで、どうしたキッカケだかPUFFYとPerfume三昧であった。Pつながりか。


 


中田ヤスタカ聴くと、ちょっと昔の人(昭和後期あたり)が思い描いた未来とか、ちょっとイナカの人が思い描いた都会とか、そーいう感じがする。


たとえば人を乗せた透明のキューブがLEDキラキラ光らせながら上下移動するだけで「わあ、未来っぽい」って思っちゃうのよ、それがただのクリスマスイルミされたデパートのエレベーターであっても。わしわしちょっとイナカでちょっと昭和な人なもんだから。で、中田ヤスタカの曲聴くとおんなじ感じで「わあ、未来っぽい」って思うわけ。


そういや、もう20年くらい前かしら、久屋大通公園の光の広場のレーザー光線見た水谷雄司が「名古屋は未来だ!」って言ってたの。


当時名古屋はレーザー光線看板わりとありましたよね、今池の日本高速通信(のちのIDO、現KDDI)のビルも5本くらい緑のレーザー光線射出してた。でも当時東京では見かけなかったらしい。もしかすると名古屋以外は条例とかで光線看板に制限があったのかもしれないと思う。


 


人工的な光に都会とか未来を感じるのは、ちょっとした本能かもしんないな、有機生命体の歴史の中で人工光はまだ新参テクノロジー。


 


過去から見る未来には趣がありますが未来から見る過去を想像するのもまた趣深い。


ナボコフの短編にはよく、未来の人が想う過去としての現在、という視点の描写が出てくる。「ロシアに届かなかった手紙」や「ベルリン案内」や。


描かれる未来からの視線はやさしい。




 軌道馬車は消滅し、やがて路面電車も消滅するだろう。そして、この時代を描き出したいと望む、二〇二〇年代の誰か奇矯なベルリンの作家は、技術史博物館にでもでかけていって、古風に湾曲する座席のついた、黄色い、不恰好な、百年前の路面電車を捜し出し、昔の服装の博物館では、ぴかぴか光るボタンのついた、車掌用の黒い制服を掘りあてることだろう。それから帰宅して、過ぎし時代のベルリンの街路についての記述をまとめあげるだろう。あらゆるもの、あらゆる些事が、貴重で意味深いものとなるだろう。車掌のカバン、窓の上にかかる広告、われらのひ孫たちがおそらくは思い描くであろう、あの独特のガタガタ揺れる動き—あらゆるものが、その古さのせいで高貴なものとされ、正当化されるだろう。


 そこには、文学創造のおもむきがあるのだと思う。それは、ありふれた事物を、未来の思いやりのこもった鏡に写し出されるときのように描くこと。身のまわりの事物のなかに、はるか離れた後代の者たちだけが識別し、鑑賞する、あの匂いたつ優しさを見出すことなのだ。



 ナボコフ 「ベルリン案内」第二章 路面電車