2009年10月27日火曜日

ショートカット80

「四日市とんてき」は「四日市ぜんそく」に似ている。


「四日市とんそく」ならなお似る。


四日市でとんてきが名物化しとるそうです。とんてきは好き。よく家でやる。簡単だし。豚好きだし。


とんてき。豚のステーキだからとんてき。豚のカツはとんかつ。豚まんはとんまんとは言わないな。豚汁はぶたじる・とんじる両方言うな。


 


夕刊に『魔女の宅急便』著者のインタビューが載ってた。角野栄子さん。


白髪のおばあさんなんだけどお嬢ちゃんみたいなかわいらしさで、あー、なんか素敵だなー、と思う。


一足飛びに80才くらいのおばあさんになりたい。


できればこうゆう楚々としたおばあさんがいいけど、くそばばでも可。


おばあさんになって老犬と老猫と一緒にぬくぬく暮らしたい。


そんで時々年下の(50才くらいの)彼氏とお酒飲んでやんちゃするの。


明日からさっそくそうゆう生活したい。


 


 好きなことばっかりしてると呆けるぞっていうけど、嫌な人と一緒だったり嫌な仕事したりで恒常的にイヤんなホルモンが出てると脳神経が破壊されて海馬が委縮するんだそうだ。


海馬は短期記憶を司ると言われている。


イヤんなことばっかあるならいっそ覚えとらんでよし!っていう防衛システムなのかもしらんなあ。


このイヤんなホルモンをコルチゾールという。


「嫌な人には会わない」「嫌なことはしない」「嫌なとこには行かない」という3ない運動は、コルチゾールの分泌を抑えるのに有効。あと眠る前になるべく楽しいことを思い浮かべるとか(コルチゾールは睡眠中に作られる)。


わがまま老人になって呆け知らずのかくしゃくとした余生を過ごすのだ。


 じゃま.jpg


はいお邪魔しますよ

2009年10月24日土曜日

第四週末

中日記事_天野天街萬華鏡.jpg


金曜日デートしませんか、のお誘い、「天野の個展って行ったよね?」「栗川と行ったけどまた行ってもいいすよ」というわけで二度目の天野天街展。


安野さんにごあいさつ、「あれから盛況ですか?」「今日はこれで7人目のお客さん…」…まあ…


今回の個展じたいあんまり周知されてないと思うなあ、わたしも横浜でおぐまんから教えてもらって初めて知ったし。


あ、あがたさん舞台あいさつとしずちゃん個展はお知らせ一斉メールしたけど天野さんの個展は書きはぐったわ、あはは。そんなものよね。


遅ればせで金曜の地元夕刊にそれなりの紹介記事が載ったから、これからお客さん増えるんじゃないのかしら。


先日も今回も、天野天街展に行っておきながらハト坊の写真ばっか見て「羽鳥の写真っていいよなあ」「いいですよね」ってそればっかり。


「天野はいいよな、こうやって他人が個展ひらいてくれて」、よく浜嶋さんもそのようなことを仰いますな。


「自分の映画撮りたくって一生懸命企画売り込んだり家抵当に入れて自主映画撮ったりしてる人がわんさかいるのにさー、天野さんなんか映画会社から撮ってくださいってすげえ有難い話がくるのに『書けなーい』ってそればっかでさあ、ちっとは自分で金策の苦労して作ってみろっつーの」はまじの場合こんな話を延々3時間くらい。


仕方ないすよ。まわりがお膳立てするのに書けない人、才能あるのに取り上げてもらえない人、才能もなく取り上げてももらえないけど自力でことを起こしちゃうバイタリティ豊富な人、みんな違ってみんないいってか。うまくいかんもんだ。


 


 でそのあと「大須に来たからには文子の顔見なきゃな!」ってご要望により大須亭へ。


はいデートのお相手は田岡さんでした。今「なぁんだ」って言ったひと前に出て。ああ悪かった下がって。


今週は加藤和彦追悼とかゆってサディスティック・ミカ・バンド久しぶりに聴いてた。「加藤和彦死んじゃったねえ、びっくりした」と言うと田岡さんは自殺ってことがショックだったそうで、「俺鬱ってどういうことかわかんないんだよな」てな話。


心の風邪だとか言い出すのもいるし脳の傷ともいいますけど(病態の表現としては脳の傷の方が正確)、どういうことなんだろうねわかりません。


自殺だって自然死だ、と我思う。「初老期鬱(という病状がある)」って男の更年期障害だよな。自然淘汰システムの発動なのか…


 


偶然、オイスターズ帰りのありちゃんと仕事帰りのペコも合流して、先々週に引き続き田岡さん両手足に花状態、エロバー行って、うち泊まり。


何故かねねむさんにキャーって警戒されるようになってしまったおいちゃんちょっと寂しい。


 


 土曜、柏、家族がお誕生会やってくれるのでおでかけ。ぜいたくなもん食べてくる。


ひつまぶし会席的なものいただき、帰途で鈴木志郎康全集買い、帰ってくると試験の合格通知が来ていた、とりあえずなんとか数か月延命できそうな塩梅だわ。



2009年10月22日木曜日

けものみち

ちょっと前写真


新聞屋犬.jpg


久しぶりに会った新聞屋のわんこ。なつこい。なつこすぎてまともな写真が撮れない。


はじめて知り合ったのが24才のときだから、推定年齢…ええと…


おじいちゃん犬なのに今も愛想が抜群にいい。べろんべろんに舐めまわす直前の一枚。


 


冬猫.jpg


カーペットすきー。


電気カーペットすきー。


あっそう。


おふとんでぬくぬくも捨てがたい季節ぞ。



2009年10月20日火曜日

第三週末

もやっと参上、もやっと解決。快傑モヤット登場。


ヤだそんなん。


 



そろそろバタバタっと忙しくなって、久々に週末がポカンっと空いて、と思ったら栗ちゃんから「明日用事で名古屋行くから一緒にランチ食べて遊ばない?」とメール、ちょうど大須で天野天街萬華鏡展が開催するとこだったので「もし東京で見てないんだったらそれ行こうか?」「行きたい!」てな感じで観音さん集合、おされランチ、それからプシュケ。身内ばかりが集まる展覧会であった。


天野天街万華鏡002a.jpg


 


ごはん屋さんやギャラリーでのんびりしながら、「今どきの若い子」のコミュニケーション能力とか読解力とか、そんな話を聞く。栗ちゃんは表現の現場で飯食ってる人なので読者の読解力低下はとても切実な問題。大変らしい。


日本人向けの「日本語検定」が必要かもしんないね。どの程度の文章が読みとれてどの程度の文章化ができるかの目安として。条件付きの構文の後半部分しか読みとれてないとか、単語にしか反応してないとか、そんな人多くなったもんね。


しかしネットもメールも文章なのに国語力がないってすげーよ。じれったさにやり切れなくなったりしないのかなあ。ゆとり教育実施で一番授業時間減らされたのが国語なんだけど、その結果が今の形で出てるならお気の毒な話だ。


栗ちゃんの分析によると、自分の気持ちを言語化するのが苦手、判断理由を尋ねられて「なんとなく」と答える、情報だけは大量にあるので何かを選び取っただけで「表現した」「創作した」気になる、とゆうのが今の十代の特徴なんだそうで… そりゃまた独裁者の出現にうってつけなメンタリティだこと。国家の策略か。


十代に限ったことでもないかもしらんけど。もうなんかこの頃「なんとなく」で生きてるし。言語化するのめどいし。他者と討論とか意見のすり合わせとか逃げ出したいほどだし。それでも情報だけは容赦なく大量に更新されてくし。自分に不都合がなければ社会統制も独裁もありかもしんない、くらいの無気力さ。もうどうでもいいや。


 


あー何か書こうとすると暗くなる、やだやだねー。


 



 


週明け、おーしまとのりぴーから同時にしずちゃんの個展のお知らせ届く。


 


 早川司寿乃原画展


 11/1~18、栄・ラシックの旭屋書店にて


 


これまでに描いた文庫本の表紙の原画展とのこと。さらに、 


 


 しずちゃんの文庫も出ます。


 「いつも通りの日々」ポプラピュアフル文庫より。


 むかし、コミック・ファンタジーに連載していたやつを


 選んでまとめたもの。描き下しもちょっとあるそうな。


 


 


とのこと。


もう11月になるのか。一年は早い。



2009年10月19日月曜日

変形

身辺整理、細かいところで時々ストップ、再開、どこまでやったかわかんなくなってキーッ、そして続行。


 


特殊サイズのチラシは保管するときおろろってする。


シモジマでB4ファイルが特価になってた。ありがたい。


 


サカナチ.jpg


花園カノンソロダンス『サカナチ』チラシ、B4タテ半分サイズ。田岡画伯。


こんなに文字情報少ないのに「ずうどん」って。珍しい誤植。


 



 


維新派『ろじ式』はにしすがも創造舎で観るのがオススメとのこと、ハシヤン&岩村君情報。


東京か…


忙しくなったりモノイリになったりの時期だけど維新派は観ておきたい。


あのへんとかそのへんの方々はもうチケット押さえて予定組んであるそうで。


どうすっかな日帰りできるかなあ精華も捨てがたいなあ。


 


チケット4500円って聞いて「安い!」と思う、それは維新派だから。


 


2月の「松本雄吉初の外部演出」ってやつもすごく気になる。



2009年10月13日火曜日

秋はお祭りの季節。


高牟神社


たった一言「余興沢山」の四文字がなんかイイわ。


 


物部神社


さらにシンプル。


 


物部神社2


その物部神社お祭り。台風前日。


ここのお祭りは宮司さんと氏子さんが集まって祈祷するだけのシンプルなもの、余興はナシ。


 


犬


道端のなつこい犬に「なでれなでれ突撃」されてすっころぶ。


 


犬2


懲りずに同じ目に遭う。


 


dufi猫


猫にガン見される。


 


まるい猫


あなたの丸さが怖い。



2009年10月11日日曜日

第二週末

100円玉つかみどりの箱に手ぇ突っ込んで大量にゲットしてるけど抜けない、みたいな、


抜けないことにはとりあえずその100円玉はお前のもんじゃねえし。


とにかく、手を放せ。それが最善で最短の解決策だ。手を放せ。


執着と解脱のわかりやすい説明例。


 


*


 


秋晴れ。自転車で東部丘陵地帯を駆けまわる。忙しい。


 


夜半、呼び出しかかって急遽呑みに出る。家の目と鼻の先の呑み屋街へ。


着いたら既にハイジ撃沈してた。


田岡のおいちゃんも電話の時点でかなりやばかった。


 


RIMG0442.jpg


やばかった。


これ撮った記憶がない柏も意外とやばかった。


 


猫.jpg


お口直しの猫


 


*


 


絲山秋子『逃亡くそたわけ』読む。


その夜さっそくどっかの施設から脱走する夢を見る。


こうゆう話だと知らずに読んで、気分すぎてマズイ。


 


*


 


  自分の感受性くらい


  自分で守れ


  ばかものよ


 


   「自分の感受性くらい」 茨木のり子


 



2009年10月9日金曜日

IAMNOWHERE

旧約聖書が書かれた古代ギリシア語の記述法は句点もなくスペース空けもなくだらだらと続くものだったので、英文に例えれば"GODISNOWHERE"を"GOD IS NOW HERE"(神はここにいる)と読むか"GOD IS NOWHERE"(神はどこにもいない)と読むかは、まったく読み手の解釈次第だ…という話がアーサー・ビナードの本に出てきた。


いい例文だと感心する、シンプルで完全に意味が真逆だ。


天野さんなら、"IAMNOWHERE"(アタシハイナイ/ココニイルヨ)かな、と思う。


 


*


 


怒っているときは自分の正しさを疑わない。強気になれる。だから自分を守るために腹を立てる。


それが虚勢なのはうすうす自覚できる。正しい怒りではない。逆ギレに近い。とても勢いまかせにできない。


虚勢の内側にあるのはなんだろうなと考える。


 


*


 


チャリ走行中。


車道のほぼ中央に子猫の轢死体を見つけてしまう。人通りは少ない。車通りは多い。


カーブのうえに坂道を登りきった極端に視界の悪い場所で、坂をあがってきた車やバイクが一台一台慌ててハンドルを切って死骸を避けている。


そのままにしておくのもしのびなくて、近くに売店があったので紙箱をもらって死骸を回収した。


今ここで車に轢かれたら「死ぬほど猫好き」「死んでも猫好き」の栄誉を賜ってしまう。焦る。


幸い、比較的きれいな状態だったが素手では触れなかった。


目の焦点ずらして「ごめん!無理!」と声あげながらチリトリの要領で手早く箱に収める。


なんで死んでるってだけでこんな触れなくなっちゃうんだろう。怖いのと気の毒なのと吐き気で涙ぐんだ。


その様子を歩道から見ていた売店のおばちゃん達が「じゃ、これもあげるから」と言って紐を差し出した。


「自転車の荷台に載せてもってけ」と。


おばちゃんらの厚意に謝して(反語的用法)、涙目で猫の死骸を搭載して職安へ向かった。


とんだ誕生日プレゼントだ。


 


GODISNOWHERE


 


*


 


夜中、胃が痛くって寒くって気が晴れないで死んでた子猫思い出して、なんの脈略もなく、ああ、見捨てられるのが怖いんだ、と思い至る。


嫌いな人に見捨てられたって屁でもない。


大事なものみたいに扱って「一緒にいよう、そばにいてほしい」って言った同じ人が冷たく「まだそこにいるのかよ」って言う、その怖さ、


面白いことやろう、何かがやれそうだねって言った人が「なんだ結局使えないじゃん」って言い放つ怖さ。


経験上きっとまたそうなるという怖さに身構える。


いつでも威嚇体勢に入れる。防衛の攻撃。


まだ破綻してないうちから重々に用心深い。キレられてないうちから逆ギレの準備ができている。


虚勢の正体。


 


*


 


また、いろんなことが突然動きだした。


こんな巡り合わせでことが進むのもある意味面白い。


ココニイルもドコニモイナイも、ただの視差で決定的な違いはない気さえする。


 


今ここにいる。



2009年10月5日月曜日

第一週末

金曜。


出先から一旦帰宅、スーツ脱ぎ捨て着替えてひまわりホールへダッシュ。


10分遅刻で満席だったが入れてもらえた。吉戸君ありがとう。


終演後出演者へのあいさつもそこそこに次の場所へ。なんかレジャーに忙しい週末。


 


土曜。


二日酔いでかったるい。が新横浜へ。


JR新横浜駅の「駅北口」がわからず構内をうろうろ。


会場着、受付周りにいた関係者一人一人にいちいち驚かれる。


何がそんなに意外?特に疑問はないでしょ?


終演後出演者へのあいさつもそこそこに駅へ戻って時刻表の確認と今夜の宿の手配。


当日予約で超おねうちの宿を至近に確保、チェックイン。


ベッドに腰掛けてひといきついたとたん崩れるように眠気に襲われる。9時そこそこだったけどさからわずに就寝。


 


日曜。


近場を観光。


三省堂でアーサー・ビナードの『日々の非常口』購入。日本語で詩作してるアメリカ出身の詩人、文筆家。自転車に跨るとき金玉の位置をいかにすべきかという些細な重大問題を詠った詩『左右の安全』で山本健吉文学賞受賞。


『日々の非常口』はエッセイ集。タリーズで読む。面白い。一章あたりが短いので電車の中とか病院の待合室で読むのに最適。


夕方、劇場へ。今日のチケットはイムコウに予約頼んであった。


 20091003-2.jpg


十五夜であった。


 


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劇場そばに鉄塔もあった 。


 


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ショートおかっぱーズとヒゲ眼鏡君


やっと出演者と話す日曜。イケリョウを男泣きに泣かす。


 


 


 


週末の行動だけアリバイ調書的に書いた。



2009年10月2日金曜日

仮チラシとか

昨日に引き続き、昔の仮チラシ。


本チラシの原画をコピーして使ったり、文字情報だけでまとめたり、仮チラ用にイラスト用意したり、仮チラシもいろいろ。


面白いね。 


 


御姉妹.jpg


『御姉妹』仮チラシ、イラストはZUN。


 


スーベニール.jpg


石田佳代子ファッションショー『スーベニール』仮チラシ(本チラシはポストカード)


かよちゃんの「佳代子」の字がなんでか媒体によってまちまちだった記憶がある。 


ルッコラの会1.jpg


ルッコラの会『極楽鳥には足がない』文字情報のみのチラシ。これの本チラシを見てない。あったはずだとは思う。


 


ルッコラの会2.jpg


当パン表紙。


天野さんの外部演出で、傑作の誉れ高いが諸事情で再演が難しい演目はいくつかあるけど(『夜叉ケ池』とか)、


これも平日一回だけ(しかも多治見)で終わらせるのがもったいないほど面白かった。


田楽座の人たちの演奏による生田楽が入ったり。 


ルッコラの会3.jpg


 


ルッコラの会4.jpg


 



児童対象劇で客席にはこどもがたくさん来てて、天野さんの手品めいた仕掛けにたいそう沸いていたけど


「わけがわからん」とて上つ方のお気に召さなかったらしいという噂であった。


 


仮チラシではないけど


ぼんぼり1.jpg


『春のぼんぼり』チラシ。これバリエーションが多くて結局ぜんぶで何種類あったのか知らない。 


ぼんぼり2.jpg


チラシ・バリアント。


当日の進行表も出てきた…モノモチいいなあ。


こうゆうものの常として、第一回がいちばん混沌としてて面白かったかな。


どこをどう間違ったか大真面目な詩吟の会の発表とかエコロジーを語る小学生とか出てきて。


面白いっていうか、つまり、うぞむぞ。玉石混交というかノルかソルかというか。


 


 


これはチラシじゃないけど。


銀玉.jpg


名芸大の大学祭に呼ばれたときのパンフ。


実行委員が過去の公演チラシから切り貼りして作ってくれた。


田岡さんが文字原稿書いたら「酒井久美子」が「漂井久美子」に、「早川司寿乃」が「早川司寿B」に誤植された次第。


この直後、今度は『少年の玉』本チラシで「天野天街」が「大野天街」、「劇場主」が「劇場王」、「オブジェ」が「大ブジュ」に誤植されたという。


誤植ネタに事欠かない秋でした。田岡さんがしばらく「俺の字ってそんなに汚いかなあ…」と気にかけていた。


この出来事が翌年『御姉妹』のカメの決めセリフ「誤植です」に繋がった、のかもしんない。


(名前が「柏ナヲミ」になっている。すうどんが「ナヲミ」にしたがっていた。でも私はこの頃なんでか「ヲ」がイヤだった。今見ると、別にナヲミでもいーんじゃないの、と思う。)


 


*


 


今日は『空気人形』観てきた。レディースデイを待ってたら、そうか、1日と重なったか。映画の日だ。


目的はペ・ドゥナです。


ペ・ドゥナの挙動のそこはかとない不自然さってなんなんでしょう。はまり役だと思います。


キグーにも田中君が同じ回観てて、終演後栄まで一緒に歩きながら「僕もペ・ドゥナ狙いなんですよ」「あのいろんなことがギリギリな感じがハラハラしていいんですよね」など。


そうね、いろんなことがギリギリで妙にリアルな感じがします。言葉や所作のたどたどしさも。ぴちぴちにお若くはないことも。きれいだけど爆乳ではないおっぱいも。


「かわいい」の原義は古語の「かはゆし」、つまり「面映ゆい、恥ずかしい、黙って見ているのがしのびない、気の毒だ、ふびんだ、いたいけな様子が愛らしい」という意味ですが、ああまったく、いみじうかはゆし、と思う。


 


あ、南極料理人はDVDで観ます(田中君がメイキングを撮ってる。ライトフレアと被ってた極寒地での撮影というのがそれだった)。