2019年4月1日月曜日

降る花や

ピエール瀧逮捕のニュースでふっと思い出したのは1986年、映画『コミック雑誌なんかいらない』のキネ旬の授賞式かなんかで滝田洋二郎監督が「1つの映画から2人も逮捕者が出ちゃいまして」とコメントして場を沸かしていたことで(ロス疑惑の三浦和義とフライデー襲撃のビートたけし)。
いや、『シン・ゴジラ』も1作2逮捕者の記録に並んだなと思ってさ(小出恵介とピエール瀧)。あ、小出恵介は書類送検からの不起訴だから逮捕はされてないのか。

1986年、逮捕容疑の凶悪さで言ったら淫行とかコカインとか目じゃ無いんだけど(殺人未遂と暴行でどっちも有罪)、特に作品封印とかなくテレビ放映してたし今も時々地上波放映やるなあ、ところが今やあれやあれはアレだよ。世論て奴はいつのまにそんなクリーンにおなりあそばした。芸術無罪とかいう言い分も傍ら痛いけんども、作品撤収とか封印とか社会的影響に鑑みじゃなくて要は臭いものに蓋ってことでしょう、めんどくせえ、俺知らねえ、関わりあいたくねえ、炎上しそうなものは遠ざけとけって。
本質の議論どころかそもそも議論するような事態に至ること自体が悪、みたいな風潮があるよな。
「忖度」とはよくも言った。
みなまで言うな、言わせるな、的な。
でもみんな価値観も美徳も違ってバラバラなのに最大公約数で忖度しようとするから「一番煩い奴に合わせとけ」ってなる。

中間管理職が勝手に上層部に忖度して指揮・連絡系統が乱れたせいで上が全く意図しないところで下っ端が苦労している話がTumblrで流れてきた、「それ日本企業の組織構造だと非常によくありがち」というコメントが付いてたけどよその風土だと違うのかな、
日頃は常々古い日本の組織体質を蛇蝎の如く嫌って語る人が「勝手に忖度して現場を乱す」パターンに陥っているのはどう見るべきかな、どうでもいいかな。

なんで人間、自分が悪し様に言ったこととおんなじ穴に落ちるんだろう。呪いか。
他人のことに不寛容な人ほどおんなじこと、罵ってたそのまんまのこと自分でやる。
打倒君主制って言ってた人はトップに立ちたがるし成金はみっともないって言ってた人はゴールドカード見せびらかすし薄ら禿になるくらいならスキンヘッドにするって言ってた人はバーコードにする、なんでよ。
言ってたこととやってることが違うじゃん。

1986年に話戻して、昔は緩かったから許されてただけだよって、なんでも時代のせいにしてればそりゃあ楽だわなby田辺茂一、当時だって叩かれたり荒れたり街宣車に囲まれたりFAX1ロール攻撃受けたりSNSみたいに可視化されてないだけで炎上してたのだ、ただ消費者から炎上っぷりが見えなかっただけだ、それに抗って立場を貫いた人たちがいたのだ。

降る花や昭和は遠くなりにけり
自らうすら忖度して利口ぶっていくより、わたし昭和でいい、わたしは昭和のままでいい。