病院の待合の壁にごりっぱな書が飾ってある。
堂々とした勢いで、おそらく草書の「累」の一文字がしたためてあるのだけど、その黒さその掠れそしてそのフォルム、ものすごくウナギである。めちゃ脂の乗ったやつ。
書を見て土用を思う夏であった。
現物見んと何のことかわからんやろな。
そいや病院の前の道にいつも立ってる警備の警官、大臣でも住んでるんかなーと思ってた、正解わかった、中国総領事館があるんでその警備だげな。ああそれであのものものしさか。納得の夏である。
久しぶりに手にした爪楊枝がこういうふうだった。
今時の爪楊枝ってこうなの?
ギザギザのついてる側が逆じゃないの?
片側つるんつるんでいいの?
エラーなのかワザとなのかちょっと悩む一品であった。
そもそもこのギザギザって何のためなんだったっけ?
◇
でかくてごつい胃カメラで検査疲れ…
「ガンも炎症も潰瘍も見当たらないですねー」でした。
「よかった!」と同時に「だから胃じゃないようなって言ったじゃん!」と「じゃあ痛いのはどこなのよ」と…
現代医学は凄くてしょぼい。略してすぼいです。しょぼくて凄いのはもちろんしょごいです。
原因がわからないと、やっぱりプレ更年期の不定愁訴とかヒステリー(身体表現性障害)とかなんじゃなかろうか、と、思えてくるこの頃で。
◇
1年ほど前。
たまにランチに通ってたお店で一番ちゃきちゃき切り盛りしていたお姉さんが、「今日で辞めるんです」「もう飲食と全然違うことやるの」と常連さんに話していた。
このお姉さんが中心っぽかったのに、オーナーじゃなくて雇われだったんだなー、ていうかいなくなって大丈夫なんかなー、と思っていたらそれ以来ランチ営業を止めてしまった。
やっぱ代わりの人がいなかったんだな、まあどっちかっていうと夜営業のお店だしな、と思った。
こないだ。
通りかかったらランチ営業再開していた。1年ぶりだなーと思って入店したら、あのお姉さんが切り盛りしていた。あら。
目が合ってあちらも「あら」という顔で、いつもありがとうございますー、と挨拶される、1年ぶりだけどね。
やっぱあれかな、オーナーに「君がいないとダメなんだ!」とか言って復帰懇願されたのかな、このお姉さんいるとお店全体に安定感というか安心感がすごいあるもんな、と思う。
しかしそれは本人は希望していなかったかもしれない才能、と思うとなんか複雑。
メール送受信、復旧しました。
でも12日夜に送ってもらったはずのメールがいくつか未着なんだな。消えたか。電脳の海の藻屑か。
◇
扇風機がにわかに大活躍。
DCモーター式の特徴もういっこ、すごく静か。
静かすぎて電源切るの忘れて出かけそうなくらい。
モーター音は静かだけど、立体首振りにすると首がキシキシいいます。首振りの音が聞こえるくらい全体の音が小さいとも言える。首にグリス塗ろうかな。
◇
ザハ案。
とアナウンサーが言うのをぼーっと聞いてると、「ザハーン」って聞こえます。なんか響きがシャザーン。アナウンサーだから発音はちゃんとしてるんだと思うけど、こっちの耳が聞き取れない。
もうほとんど非難する声しか聞こえてきません新国立競技場、あとは「誰を非難するか」くらいの違いで。
識者がざっくり解説してるのを聞く限り、コンペ方式のデメリットだけを選りすぐって煮しめたような話ですな。
あの絵空事みたいなハッタリの効いたデザインを現実に完成させたら、日本の高い技術力を内外にアピールするええシンボルになるかもしらんとは思う、思うけど、そういう積極的な推しを表立ってする人が誰もいないのに「今さらやり直せないから…」という超ネガティブな理由で事が進む歯痒さ。開戦前夜ってきっとこんな感じ。
もうやることに決まってたから…とか、俺は気が進まないんだけどみんなが決めたから…とか、仕方がないじゃん…とか、そういう姿勢で事に当たるのが常々ものすごくキライで、もしかすると私は民主主義ってキライなのかもしんない、と思う。
とりあえず、多数決がわりとキライなので、やっぱり民主主義キライなのかもしんない。
◇
ブレンディの新商品、ソルティ微糖コーヒー。塩入り。
塩コーヒーっていうと藤子不二雄の短編思い出す、「定年退食」だったっけな。それは筒井康隆の短編の方だったかな、ちょっとごっちゃになってる。
どっちも人口爆発で食糧難の暗い未来社会が舞台だった。そうだつい4、50年くらい前は、このまま人口が増え続けたらまずいヤバイって言われてたのだ。
ところで最近、少子化問題に関して「都市部の出生率が低いのは世界の統計でわかってたことなのに、若者の脱農を食い止めなかった半世紀前の失策の結果が今になって顕になったのだ」という説を読みました。
しかしそれがその時代の政策だったのかもしんないよな、増殖無限大&人口大爆発が世界中の懸案の時代に、中国やインドのような一人っ子政策や強制断種といった強権的手段ではなく、農村部の都市化による出生数減少で人口を抑制するというスマートな政策がもくろみ通り進んだのが現在なのかもしれんのだ、ただ上の人が死ななくなったの(高齢化)が計算外だっただけで。
半世紀前の社会の問題や不安を思い出せないように、半世紀後の社会の問題や不安に思い至れません。
とりあえず、いつの時代も「このままではヤバイ」って言われてるんだなあ。
栃木のau通信センターで火事、メール障害発生中。
「約4千万件の全契約中、796万件に影響、13日午前時点で159万件が未復旧」
という報道記事を読んで、ああそんなもんなんだ、未復旧は約4%か、じゃあ確率的に私のメールは大丈夫じゃね?と無根拠に思ってたら、あかん、4千万中の159万にどんぴしゃですわ。
14日0時時点で未復旧です。連絡はgmail宛か電話でお願いします。
ねえその4%に中る運で、サマージャンボ当たってよ。
裁判員候補とか内閣府世論調査とかもーからん抽選にばっかりひっかかってないでさあ。
実家の者たちは香港行ってました。
トリプル台風の真っ最中、一個目の台風が香港上陸した翌日に二つ目の台風を乗り越えて行き、三つ目の台風の接近直前に帰国して来ました。
ちょっと日程ズレてたら出国できなかったり帰国できなかったりホテルの部屋で缶詰だったりしたろうに、いや実際そんな旅行者をテレビでインタビューしてたけど、うちのはみごとなタイミングで台風一過の香港観光を満喫して悠々帰ってきてた。
超晴れ女がおるな。
腹が痛くて腹が立つ今日この頃、次は胃カメラ&ピロリ検査です。
場所的に胃じゃないよーな気がしてしょーがないんだけどなあ、潰瘍の薬ぜんぜん効かないし…あ、愚痴です。
現代医学って凄い!と思うこともあれば、現代医学ってしょぼい!と思うこともあります。
ネットで聞き及んだ話では、大動脈解離を伴わない腹腔動脈単独の解離は症例的に稀で発見・診断も難しいらしいので、その見落としがちなもんをよく見つけたなあ、さすが大学病院様だなあ、と感心する一方で、ゴールデンウィーク明けから通いはじめて早2ヶ月、未だに痛む臓器さえ特定できてないのはどないなこっちゃいと思う、現代医学って凄いのか凄くないのか、どっちもか。
もし今さら「がんです」って言われたら「がーん」って言ってやろうと思っていますが、「上皮内新生物です」とか言われたらがーんって言うタイミングを逃しそうでイヤです。ていうかまあがんはイヤです、主に金銭負担的に。
病気愚痴はさておき。
Amazonで探し物をしていて偶然、こうゆうものを見つけました。
年鑑日本のイラストレーション'88、あ、これ田岡さんが入選してる時期のだ。
大型本です。
定価12000円。まあ一般の人が購入するような性質の本じゃないですからね。広告屋さんとかデザイン屋さんとか、学校とか。
ちなみに今回マーケットプレイスで250円でした。
載ってますね。
イラストレーターさんでしたね。
80年代ってこうだったな!と懐かしく見ました、そうそう、マガジンハウスの雑誌はだいだいこの辺の人のイラストが使われてて、角川文庫の装幀はこの辺の人達で、とか思い出しつつ。
お腹が痛いと夢らしい夢を見る。
もう一人お姉さんがいる夢とか。
生き別れとかじゃなくて今までもフツーに会ってたのに、このお姉さんとあの(現実の)お姉さんを足して「私にはお姉さんが二人いる」という認識を持っていなかった、ということに夢の中で気がついて、あれ、なんで40年以上「お姉さんは一人」だと思い込んでたんだろう?って首をひねった。
夢の中の認識。
Google、AIが見た『夢』を公開…という話題。
ニューラルネットワークで画像認識をパターン化。
Googleが公開したサイト「Deep Neural Net Dreams」で作成可能。
パレイドリア現象のシミュレーターだと思えばだいたい合ってるのかな。
夢らしいといえば夢らしい画像、な気もするし、こうじゃないような、とも思うような。
夢の中の認識って被写界深度が超浅い感じなのよね、私の場合。意識したものだけハッキリ見えててあとはもや〜んと、ぼけてるわけでもないんだけどもや〜んと。今自分がどこにいて誰と暮らしてる設定なのかもハッキリわかってないのに、二人目のお姉ちゃんのことだけはパキパキに認識してるまだら認識、まだら視界。
夢の中だけじゃないか、気がいったとこだけよく見えてあとはアウトオブ眼中、ってよくある。
こないだはコンビニの看板に気を取られて目の前に立ってた田岡さんにまったく気がつかなくって呆れられたし、眼鏡を探して部屋中うろうろした挙句何度も見たはずのテーブルの上にあったりする、なぜ認識できないんだろう。
エラーが増えるのは、老化かなあ。
猫撫でる夢を見る。故猫が出ると毎回「ああ、夢か」と思う、「夢だけど撫でておこう」と思う。
夢の自覚がある夢は、自在にコントロールできるようになるそうですよと聞く、でも毎回思うことは、「とりあえず撫でておこう」。
善光寺…ということになっている大きなお寺の参道を、匍匐前進でお詣りに向かう夢を見た。
なんでもそれが正式なお詣りの作法で心願が叶うとかいうことになっていた。
その匍匐前進にも正しいやり方があって、自衛隊式で言うところの第五匍匐と第四匍匐を足したくらいの、突っ伏して胸とおへそを地面から離さず、腕で体を引き寄せながら腰から下を左右に振ることで推進するというしんどい匍匐、進みだして10mも行かないうちに後悔する、荷物を持ってくれてるまゆみちゃんが「5時で山門が閉まるからあと1時間だよ」「明日の朝になっちゃうかもね」と時計を見て言う、焦って進むと急な運動で腹筋が引き攣る…
と、まあ疲れる夢で、夢から覚めてもしばらくお腹が引き攣り痛かった、いやお腹が痛いからこんな夢を見るのか?
夢の話をして「チベットの五体投地みたいですね」と指摘される、ああ、リアルにそういうことをしている巡礼者もいるのだった、叶いたい心願は、なんだったろう。