2019年4月26日金曜日

れーわすげーわ

ちょっと作業に目処が立ったというか目鼻がついた感じだよ。
ふー
結局徹夜しないとまとまりのいいとこまで進まないんだな。

大島の新刊が出てあちこちで著者インタビューみたいなの載ってた、その記事で『妹背山婦女庭訓』15年ぶりの通し狂言上演があるのを知った。
通し狂言なんてそんなみる機会ないから見てみたい、が、ちょうど東京にいるんですけど見事に日程丸被りでやんの。

国立劇場の妹背山婦女庭訓特設ページに大島の顔写真とか特別対談とか載ってて、そんでかたや新国立劇場は天野天街で、なんかすごい笑えるっていうかなんっていうか。令和元年すげー幕開け。
昭和の頃にタイムスリップした人が「あんたたち次の次の元号になったら2人揃って国立の劇場の看板飾るよ」って言っても本人たちがまず信じなさそう。

新元号の審議会だかなんだかのあれ、有識者メンバーの中に林真理子入ってるの見て「あ、身近なメンツの中で新元号審議会に一番近いのは大島か?」と思った、直木賞かすった女流作家、いっそ大島には新元号審議より考案の方をやらせてみたい、鶏の脚が4本あるって言い張ったあのセンスでひとつ。

カイゲンあったら飲みたいシュッポ、

改元記念のテレビ番組とかあるんだろうな、出先なんで視聴も録画も難しいかも、なんかめぼしいのあったら撮っといてください。

2019年4月23日火曜日

アトミックのおぼん

ミシンの糸巻きをふと上から見たら
原子力な感じだった。

2019年4月20日土曜日

4月下旬

自分の身体は自分のものでしょうか
それとも自分自身でしょうか

と、朝焼け見ながらどうでもいいこと考え始める4月、なんか急に暑くなった。

切って捨てることもできないし確かに自分自身なんだろうよとも思い、それにしちゃ自分の考えるとおりに動いてくれないじゃないですかと嘆息する、いや自分自身が自分の思い通りであったことがあるろうか、泣きたくないのに泣いたり平静でいたいのに腹立ったり、精神だって自分の思い通りにはならないのです。

精神だって身体である


寝不足は、環境が変わったからとか忙しいからとかだけじゃなくて、超小心者なので寝過ごしたかと思って明け方に飛び起きるから。なんかくやしい。

2019年4月19日金曜日

もふもふ

本日の癒し。
忘れた買い物をしにひょっと宿舎を出て、宵闇にコロちゃんと出会う。会えたねー。
ご近所のおばあちゃんや犬猫や空き缶や草木に無意識に話しかけるおばちゃんなので、「あなたがコロちゃんですかー」と声をかけるとコロちゃんはニャアーンとかなんとか言いながら近寄ってきてすりすり、団子尻尾をぴこぴこ動かしながら右に左に体をすりつけるのでこっちも遠慮なくなでなでさせてもらった。おばあちゃんの話とおり全身真っ黒な黒猫ちゃんであった。
遺伝的に黒猫は甘えん坊っていうね。そうかもしんないな。

東京物件を検索すると、「猫付きシェアハウス」とか「猫が飼えるシェアハウス」とかあって東京すげーって思う。昭和はアパート全体で飼ってるような状態の猫なんかふつーにいたけどね、家々で別の名前で呼ばれてたりしてね。外飼いの時代だったから。

猫は天下の回りものだったよね。

2019年4月18日木曜日

眠い

なんだこの眠気は

部屋に帰ってきちゃPC画面を見つめながら寝落ちし、稽古行っちゃ本読み中に猛烈な眠気に襲われる。なんでしょうね。
そこそこ寝てるつもりでも熟睡はできてないのかもしんないですね。

PC持って来なきゃもう「え?予定外の作業?パソコン持ってきてないからできません」でいろいろ回避できるのではないかと悪い考えも浮かびましたけど、やっぱり、まあ、そういうのは無理ですね。「PC持ってきてたらできたのに!」って余計ストレスになりそう。
というかむしろHDDも紙資料も「ひょっとして要るような事態になるかも」と思ったすべてのブツを持ってくるべきでした。クロネコヤマトのプチ引越便レベルで。

右肩が変だなと思って四十肩もどき上がりだったことを思い出した、喉元過ぎたので忘れてた。9月の末に発病して1月末まで痛かった、動きに制限はかからなかったのでいわゆる四十肩じゃなくて肩周囲炎とか腱板損傷とかそんなん、めんどくさいので人には四十肩ですと説明してたやつ。再発するとヤなのでちょっと右肩にチカラがかかることは避ける。年をとると「いかに怪我をしないか」になる。大事よ。

壁紙がファンシーで
稽古帰りに購入した置き時計がよく似合うこと。

あーのこーの言っても恵まれてると思いますよ。あーのこーのは言いたいの。

というわけで今日の作業も終わってないけど猛烈に眠いのでふとんに入って寝ることにします。
デスクで寝落ちすると腰と首にくるんだよ。




2019年4月15日月曜日

あれこれ

デジタル社会のせいでしょうか「金曜までにあれとこれください」とか簡単に言われることが増えてきた気がします、というか立て続けにあっておつらい。
アナログ資料を引っ張り出して仕分けてデータ化するのも一苦労なんですよ、というか一応名古屋のアレなんで物理的資料のほとんどは名古屋周辺に在るんですよ、泣く。あと1日早く言ってくれたらなんの問題もなかったのに。
言うても無いものは無いし無理なものは無理なので、右から左へ注文を流す、無茶振りスパイラル。
今日は大量スキャンしに新宿のキンコーズへ。

東京生活はなんとかかんとか、ぼちぼち。
新線に乗ったつもりで新宿まで出ちゃって人混みに泣くとか、やらかしそうなことは早めに一通りやったよ。はしかみたいなもんだから早めにやっとくに限るのよ。
簡易デスクをPC机にしたりミシン台にしたり食卓にしたり使いまわして、きっとそのうちコーヒーを生地かキーボードにこぼして頭抱える、たぶん。
斜め向かいの家のおばあちゃんと世間話してコロちゃんという飼い猫の話聞いたり、角曲がったとこにある銭湯行って電気湯でビリビリしたり、生活か。
生活をしにきたんじゃなくて芝居をしにきてるんだよねえ。
いや生活も自ずと付いてくるんだけどさ。

そういや北斗のチラシって1988年の時点でかなりレアだった、たまたま以前天野さんから貰ってたのが手元にあったんだけど当時どうしても原本じゃなきゃイヤだって言い張る編集者に貸し出したら返却してもらえなかった思い出、以来原本絶対貸さない。今はデータで済むから気が楽だな。

上京日の関東は雪が降るほど寒くって今週は5月初旬の陽気とか言ってる。たしかに先週凍えるようだった部屋の中がちょっと暑い。
これで体調を崩すなというのもなかなか無理ゲーっすよ。

キャラクター物のプリントシャツをまったく持っていないので版権物禁止令が出てもまったく何にも困らないと気づいた、そいや空自の部隊マークって航空祭でいろんなお店がグッズ販売してるけど版権どうなってるんだろうか。


すばらしい麦茶。

2019年4月1日月曜日

降る花や

ピエール瀧逮捕のニュースでふっと思い出したのは1986年、映画『コミック雑誌なんかいらない』のキネ旬の授賞式かなんかで滝田洋二郎監督が「1つの映画から2人も逮捕者が出ちゃいまして」とコメントして場を沸かしていたことで(ロス疑惑の三浦和義とフライデー襲撃のビートたけし)。
いや、『シン・ゴジラ』も1作2逮捕者の記録に並んだなと思ってさ(小出恵介とピエール瀧)。あ、小出恵介は書類送検からの不起訴だから逮捕はされてないのか。

1986年、逮捕容疑の凶悪さで言ったら淫行とかコカインとか目じゃ無いんだけど(殺人未遂と暴行でどっちも有罪)、特に作品封印とかなくテレビ放映してたし今も時々地上波放映やるなあ、ところが今やあれやあれはアレだよ。世論て奴はいつのまにそんなクリーンにおなりあそばした。芸術無罪とかいう言い分も傍ら痛いけんども、作品撤収とか封印とか社会的影響に鑑みじゃなくて要は臭いものに蓋ってことでしょう、めんどくせえ、俺知らねえ、関わりあいたくねえ、炎上しそうなものは遠ざけとけって。
本質の議論どころかそもそも議論するような事態に至ること自体が悪、みたいな風潮があるよな。
「忖度」とはよくも言った。
みなまで言うな、言わせるな、的な。
でもみんな価値観も美徳も違ってバラバラなのに最大公約数で忖度しようとするから「一番煩い奴に合わせとけ」ってなる。

中間管理職が勝手に上層部に忖度して指揮・連絡系統が乱れたせいで上が全く意図しないところで下っ端が苦労している話がTumblrで流れてきた、「それ日本企業の組織構造だと非常によくありがち」というコメントが付いてたけどよその風土だと違うのかな、
日頃は常々古い日本の組織体質を蛇蝎の如く嫌って語る人が「勝手に忖度して現場を乱す」パターンに陥っているのはどう見るべきかな、どうでもいいかな。

なんで人間、自分が悪し様に言ったこととおんなじ穴に落ちるんだろう。呪いか。
他人のことに不寛容な人ほどおんなじこと、罵ってたそのまんまのこと自分でやる。
打倒君主制って言ってた人はトップに立ちたがるし成金はみっともないって言ってた人はゴールドカード見せびらかすし薄ら禿になるくらいならスキンヘッドにするって言ってた人はバーコードにする、なんでよ。
言ってたこととやってることが違うじゃん。

1986年に話戻して、昔は緩かったから許されてただけだよって、なんでも時代のせいにしてればそりゃあ楽だわなby田辺茂一、当時だって叩かれたり荒れたり街宣車に囲まれたりFAX1ロール攻撃受けたりSNSみたいに可視化されてないだけで炎上してたのだ、ただ消費者から炎上っぷりが見えなかっただけだ、それに抗って立場を貫いた人たちがいたのだ。

降る花や昭和は遠くなりにけり
自らうすら忖度して利口ぶっていくより、わたし昭和でいい、わたしは昭和のままでいい。