2016年6月28日火曜日

知恵熱

ワイドショー、覚醒剤で捕まった芸能人の話題の中で。


「普通の人の100回分の量の覚醒剤ですからね、4gいうたら」とか言ってた。


普通の人違う。と思う。おそらく日本中のあちこちで一斉に視聴者が突っ込んだ瞬間である。


 



 


横浜の発熱の後、しばらく咳と鼻水と続き苦しく。


10日近く経ってやっと咳治まったと思ったところに突然の悪寒、2時間震えながら唸って、その後38.8℃まで発熱。


ずるずる病みで体力消費しているところにとどめの高熱である、確実に殺しにかかってる。つらい。


 


週末、旅の栞製作会議だったので「そんなに栞作りが楽しみだったんですか…」とか言われる。そーよ。知恵熱出すくらい楽しみだったのよ。


熱の後のダルボケで作業してていろいろ間違えた。


くやしいのでお子向け栞でリベンジ中。


 


お伊勢では熱出しませんように。ようにったら。


 



 


小熱はよく出すけど38℃超えってあんまり出さない。


『水街』あたりだったかな、観に行くつもりで楽しみにしていたら思っきりインフルエンザなって高熱出したの…あと沖縄旅行で着いた日の夜から熱出始めて翌日1日寝てた時、確かあの時も38℃超えだったな…それから覚えてるのだと弥次喜多静岡公演の時やっぱり観に行くつもりでホテルも予約してたのに当日突発熱出したっけ…


なんでほんとにそんな巡り合わせなの、やっぱりこれは知恵熱ってやつなの??


 


お伊勢なんかたのしみじゃないもん…ほんとだもん…


 



 


食欲がとんと湧かない日々、と言いつつ適当に食べているけど、なんか何食べるか何作るか思いつかなくてどよんとする、と、ふと「ご飯の上に生野菜と濃い目の味付けの肉をまぶして温泉卵で和えたかんじのもの」なら食べたい気がして、そういうメニューばかり。タコライスとかガパオとかカフェのランチプレートっぽいのとか。


消化に良いものとか刺激物じゃないものとか、もうそういうのはどうだっていいのです、うちカフェ飯ですようちカフェ飯。



2016年6月20日月曜日

アッチからコッチ

横浜ではなんだかなんでか麻吉ツアーの旅のしおり委員会に任命される。委員長はもちくん、ってプロの編集者じゃないすか。表紙担当は田岡さん。


よし、せっかくだから贅沢でくだらないことしましょう。


 


予定表作ってひとこと歴史メモ書いて雑学コーナー書いて、しおりのカット用に老舗練り物店のキャラクターをトレパクして。楽しみだなあ。今度はもうぜったい熱出したくないなあ。まだ横浜熱(身体的な)が完治しないけど、次は元気にお伊勢で食べ歩いたりただ歩いたりしたいなあ。


 


金曜、旅のしおり編集会議と田岡さんのお誕生会とゴーレムお疲れさま会をいっしょくたに。いっしょくたにしすぎです。皆多忙だとこうなる。しおりの話が終わらないうちに話題がゴーレムの反省会になるのです。面子かぶってるしね。


 


土曜、家で黙々とトレス作業。今使ってるノートPCのタッチパッドが今時流行りの?ボタン一体型ってやつで、触れる位置で右クリックか左クリックかをキカイが判断するんですが、これが異常に使いにくい、というか、作業しているうちにどうしても右手が少しずつ右に右に傾いでいって左クリックのつもりの右クリック連発、作業が進みゃしない。慣れの問題かなと長い目でみていたけどそろそろこりゃ慣れねえよと見切りをつけて、右クリック判定ゾーンをマスキングテープでバミった。以降快適。見た目は最悪。最初からボタン分けとけよ!


 


日曜、咳治まったので出かける。駅で迷子ごっこをしていた天野さんと合流、そこでまっちゃんの訃報を聞く。漠然と覚悟はしていたけどやっぱりショック。虚勢乙、もとい、巨星墜つ、という言葉が浮かんだ。


なんで現役でバリバリやっててまだまだやりたいネタがいっぱいの人が死んじゃうかなあ、と思うが、松本さんが引退・隠居する姿も想像できないので、いつ死んだって志半ばの人っているかもとも思う。


 


夜、オシャレでおいしいもの食べて帰って作業再開。先の予定が立たない日々の中で旅の予定を立てている。


これをやる!って予定を立ててしまえば状況なんかはついてくるのだ、と言えなくもないが。ナニヲシマショウカネ。



追憶でもなく

自分が子どもだった頃おじさんおばさんだった人たちがフト気づくとおじいさんおばあさんになっています、好きだった俳優さんとかね。


年をとるというのはそういうことですね、自分だけじゃなく周りも同じだけ階段上がるんやもんね。アタリマエだけど。


 


いつだったか、まあハタチはとっくに越えた頃、松本さんに「こないだカシワにそっくりの女子高生が制服で維新派の手伝いに来てて、女子高生だったのは10年も前なのにあんたが来たと思った、わしもアホやな」てな意味のことを言われた、少年ノ玉の稽古・本番に毎日制服着て行ってたのでその時の続きと錯覚したらしい。そういうもんか。そういうもんだな。記憶の中の他人って年取らないんだよ、ちゃんとその後も会ってるのに。カメの結婚式の二次会でやった余興が松本さんのハートにずっきゅんで帰り熱烈な求愛ダンス(ダチョウの舞みたいな)を躍ってくれたこともよい思い出。


 


出会った頃の松本さんは40才そこそこだったのでわたしもその後何回会っても40代の松本さんと比較して「あっ年とってる」と思ったっけ、何年経っても何回会っても記憶のサムネイルが更新されない。


 


たぶんこの先もそうだな。



2016年6月19日日曜日

土くれに息吹を

横浜2日目、朝は地震で目が覚める。


旅先の地震はイヤですね。天野さんたちは熊本の大地震に居合わせちゃってたけど、わしわしあんなん速攻名古屋帰るよ、旅先の地震はイヤなのよ。


 


風邪っぴきさんなので朝は中華街で中華粥としゃれこみましょう、と、もちくんセレクトのお粥屋さんで遅い朝ごはん、というか昼ごはん。


あとから知ったことだけど実はそのお粥屋さんはもちくんが学生の頃から一度行ってみたかったお粥屋さんだったそうで、ほう、念願かなっていい巡り合わせでしたのね。


のち、その「念願のお粥」をじっちゃんが「悲願のお粥」と言い換えたことから原マスミ氏の琴線に触れ、飲みの場でもちくん「悲願のお粥の人」と言われ続ける。


 


それはまだ先の出来事として、お昼食べてお土産買って劇場入ってカラ舞台撮って前売り券引き換えて楽日観賞、前から2列目の席で観たので人形がよく見えて良かった、人形芝居は近くで見るに限りますな。


 


人形遣いに操られる人形に、劇作家に操られる役者。じゃあワタシラを操作しているのは、なんだろう。


泥人形に神様が息を吹き込んで出来上がったのが人間アダムだというし、中国の民話にも女神が泥から人間を作った話があった、それなら創造主の命令は何でそしてワタシラは暴走してはいないのかしら。


 


終演後、打ち上げまで間があったのでわしわしは自由が丘へお茶っ葉を買いに行く。


とりあえず、当面のお茶は入手できたよ!


 


打ち上げではなんだか井村さんの話ばかりしてた気がします、さしあたって共通の話題が井村さんだからね。一糸さんの方が年がお若いのが意外でした、一糸さんから黒テント時代の井村さんの噂話を聞く。約半世紀前だな。


 


夜半、いちおう、悲願の(でもないけど)野毛に繰り出す、途中からすごい豪雨。


そしてその雨の中、朝方近く、もちくん号で名古屋への帰途につく。


さて、お車に縁のない生活をしていますので雨の高速道路とか何十年ぶりかで体験したけど、なぜ高速道路は屋根を付けないのか、あるいは雨の時は通行止めにしないのか、シロートには不思議に思えるくらい雨の高速道路って怖いのね。水しぶきで前見えなくて。なんでみんなあれで無事に運転できるの?勘なの?運なの?心眼なの?


運転者の日常はわしわしの非日常、なんか凄いんだなみんな。



2016年6月14日火曜日

横浜観劇紀行

電車内の広告を見ていたら、劇団四季の宣伝文句に「仕事帰りにライオンキング!」というのがありました。


平日、アフターファイブには演劇観賞としゃれこみますか。


そんなチャラい観劇姿勢は許さないとばかりに月から金までは連続昼公演(木曜のみ夜公演も有り)という謎スケジュールのゴーレムに週末行ってきた、書いた通りで発熱しながらの頭がポー状態で土曜観劇、頭がポー。ちょっと湯気出た。


 


 


操り人形を操る人形を操る人形を操る人形も操られておる。


スガキヤの冷やし中華を食べる人を見てる人を見てる人を見てる人を見てる人を見てる。


傀儡の充足律、この世界はなぜ「無い」のではなく「有る」のかと問うたのはライプニッツでした、有はどこまでも有で完全なる無にならない。居ないあなたが居たのです。


 


KAATには初めて訪れました、中華街が近くて同發の坂本4daysを思い出します、あれもこんな時期だったような。


 


夜は中華街。医食同源、チャイニーズパワーフードで熱も治るといいのです、治すのです。



2016年6月12日日曜日

病人搬送

7度6分の半端熱を出したままもちくん号で横浜へ。


こんな移動ははじめてです。


お車は完全に寝て行けて楽だなあ。



2016年6月10日金曜日

のど病み

遠足とか旅行とか。


前々から準備して楽しみにしていると当日熱を出します。


ゴーレムとかぜんぜん楽しみじゃねぇし!横浜とか野毛とか別に行きたくねぇし!とか言っておいたのに、木曜夜から猛烈喉痛…あっこれ静岡弥次喜多の時の症状とおんなじ(喉痛の後に高熱出した)…


なんだろうねえこの、なんだろうねえ。


とりあえず熱出る前に耳鼻咽喉科で吸引と抗生物質処方してもらう、わしわしの場合は内科より耳鼻咽喉科がてきめんに効く。


土曜日は横浜紀行ですよ、お車で女子旅ですよ、さあ、とっとと全快しますヨーニ。



2016年6月4日土曜日

あやつりあやつられ

ん、ブラタモリお伊勢さんかい。


次週予告、麻吉行くっぽいね、早く予約取って正解でしたね。


なにごとも早め早めに臨まなきゃね、…


 


明日ゴーレム初日、ナントカナッテマスヨウニ。



2016年6月3日金曜日

よるのよなかの

検索を始めたら芋づる式に情報が繋がって思いもよらないところへ着くことがありますね。


 


子供の頃、夜寝る前になると急に「死」が怖くなったり、ふとんから手足がはみ出してるとそこから悪い何者かに連れて行かれそうな気がしたり(耳なし芳一的なイメージかしら)、夜は何かと不安で仕方なかったものです。本能的な、誰にも覚えのある幼少体験なのかなとも思う。


誰だったかのエッセイにもそんな、夜中になると自分や世界の誰かが死ぬことが心配になって堪らなくて、寝ている両親を起こして訴えたけどまともにとりあってもらえなかった…というエピソードがあったなあと思い出す。


調べると、それは松井友という人の『わたしの絵本体験』の中の一節であった。


で、その松井友というのはどういう人かと検索して、児童文学者で福武書店児童部門の初代編集長、という肩書を知り、更にそのお父さんの松井直も児童文学者・編集者であると知る。


この松井直という人は(つまり幼少の松井友の夜中の切なる訴えをじゃけんにあしらったお父さんだな)、福音館書店で「こどものとも」を手掛けた編集長で、


「当時無名だったいわさきちひろ・初山滋・田島征三・安野光雅・堀内誠一・長新太などの才能を発掘した。子供の絵と大人の絵が截然と区別されていた時代だったにも拘らず、児童書に秋野不矩・朝倉摂・佐藤忠良・丸木俊・堀文子といった当代一流の画家たちを起用したのも松居の見識による」


とのこと、福音館の安野光雅の絵本で育ったわしわしはこのお父さんの慧眼の恩恵を受けてきたわけで、へー、この人のセンスかあ。


その松井直の項目から更に児童文学者の寺村輝夫の項目へ移動して読み進み、代表作『ぼくは王さま』の挿絵画家は当初は山中春雄だったのが画家の死去により和田誠に交代したことなど知る、山中春雄という名前は初見なのだけど死因に(殺人被害)とカッコ書きされていて、えっなんだそれ、と検索して、どこかの企業のホームページ内の会長さんのエッセイに行きあたる。


芸術方面に明るい会長さんのようで、お好きな画家や詩人、芸能について種々考察されている。ちょっと前のお金もち、会社のエライ人というのはこんな趣味・教養人が多かったっけな。


ところでこの会長さんの会社は何の会社なんだろうと概要とお取り扱い商品を見ると、見覚えのある鰹の絵、もちくんオススメのだしの素を作っている会社であった。


あれかあ!ここかあ!


 


と、WikipediaとGoogle検索でどこを目標ともなく蔓を伝っていって、思いもよらず探していた食材のオンラインショップにたどり着いた真夜中でした。