2011年5月21日土曜日

フラフープ、フラダンス、フラワパウダ

中学校の校歌。を覚えていますかという問題。


ぜんぜん覚えてないわ。覚えてなさにびっくりするわ。


最後に校名が入ってることと、その校名の部分だけはなんとなくメロディを思い出せるけど、あとはさっぱりちんだ。


なんか途中で転調する複雑な曲だったような。


で、今どきの学校はホームページがあって校歌も載ってるので検索してみた。


いのちゅうHPは校歌メロディ付きだった。音のなるHPは嫌がられますぜ。有名な愛生会病院HP http://www.aiseikai.or.jp/ とか、ねえ。


それはともかく、転調する校歌は中学じゃなくて小学校(複数転校してるので3校目)のだということがわかりました。


それでもって、1校目の小学校校歌は山田耕筰作曲と聞いていたけど今調べてみたら違ってた、中田喜直という、「めだかの学校」「小さい秋見つけた」「夏の思い出」の作曲者だった。それはまた教科書でおなじみの歌ですこと。校歌制定は昭和37年。


作詞は巽聖歌という、『赤い鳥』で活躍して生涯多数の校歌を作詞した方だそうで、うん、今その小学校の校歌歌詞を見ると、校名だけ置きかえればもうどこの学校でもオールマイティに使えるような歌詞だった(地域色が詞にまったく織り込まれてない)、やはりプロとしてはこうゆうストックを大量に常備していたのであろう。


名古屋市立清水小学校校歌 http://www.shimizu-e.nagoya-c.ed.jp/syoukai/kousyou_kouka/kousyou_kouka.htm


いい校歌だと思います。半年くらいしか通わなかったけどこの校歌は今でも歌える。「自主協力が大きな願い」って1年生にはよくわからなかった。


 


中学の校歌の作詞者はどんな経歴の人だったんだろうと調べたら、春日井在住の人で、今もカラオケ指導や絵手紙教室の講師をしてはるらしい、どうゆう縁で校歌の作詞依頼がいったんだろう。


 


校歌とか、市歌とかの話になると、いつも宗左近のことがぽっと頭に浮かびます。参照 http://zerodama.com/ura0/sugouta/sugo1.htm


現・市川市民で元・声楽部ののっちに高らかに歌いあげて頂きたい市川賛歌、「透明の芯の芯」。尖りはじめる少女の乳首の富士。


女子声楽部にこれを強要するのはちょっとしたセクハラか。作曲は三善晃、これまた大御所ですね。


 


宗左近、好きなんですけどね。早熟な中学時代に長編詩「両国橋」読んで印象が強烈に焼き付いて忘れられない。死の国と生の国、戦中の国と戦後の国、男の国と女の国、の、両国の橋。


これとイヴァ・ビトヴァの「ミルクの流れに沿って( Proudem Mleka )」のイメージが重なって、川岸、とか、此岸彼岸、渡れない向こう岸、ていう言葉、いやもちろん意味も含めて、よく使うしよく光景が頭に浮かぶ。


彼岸と此岸を幾重にも つづら折りに 畳み込んでミルフイーユみたいになってるんだけど絶対に混じり合わないっていう光景…なんだろうね、結界かね、グラデじゃないんだよね。 練り返すこともなくてね。 キッパリ分かれて対面している。そういう場所のイメージ。


 


ちなみに、「ガタピシ」は仏教用語、漢字で書くと「我他彼此」。物事が対立して決着しない様子、だそうな。


 



 


「ハマジマさんてわかります?」


「ハマジマさん…納入の人ですかね?」


「ええっと、映像関係の仕事してる…」


「…あ、もしかして、40代くらいの人かな、あの、…………歯が…」


「そうそうそれです、前歯の無いハマジマさん」


そうよねえ、「歯無しの」って言えばそんな極端な特徴のある人ほぼ特定できるのに、なんでその一大特徴がとっさに出てこなかったかなあ。見慣れすぎてて忘れたか。人って慣れるものですね。