ねねむさん擬人化
オカエリナサイマセ
ハチワレ富士額が涼しげな童顔44ちゃい
めんどくさい回路という迷路、とてもとてもバランスが悪いです、とてもとても。
日々の中で好きなことや好きなひとがただの逃げ場になっていくようで、逃げなきゃやっていけないようで、遠泳の息継ぎみたいな、息を継いで息を継いでなんとか泳ぎ続けていくんだけど、いつまで泳げばいいのよ、そして、いったい何度息継げばいいのよ、茫洋として岸の見えない辛気臭さに疲れてきて、もう息なんか継がない、ノーブレスで息尽きたとこで沈んでいい、逃げ場がなかったら生きてけないんならいっそ生きてけなくていい、という暴論に達し、気も荒みきったころ、友達と電話で話していてなにげに相手が「まあ五月病の時期よね」と言った言葉に、そうかいそうゆう季節かい、誰でもそうゆうもんなのかい、わたしも季節のせいにしてしまおう、と思い、季節なんだか疲れなんだか涙目で仕事して、休みの平日にゆっくり新聞読んでたらおーしまのエッセイが掲載されてた、おお地元文化人。
逃げ場がある、そのことを存分に享受してもよいだろうか、わたしは家や家族や仕事を流されたわけでもないし、死にたくないのに死んでしまった人でもない、3.11以降の日本人の意識は自ずとそれ以前とは違うのであるなどとヒョーロンカの人がのたもうてもそりゃ東日本じゃリアルかも知れないけどここにいたら今ひとつピンとこない、(個人的には阪神の震災の方が意識に地層が出来ていると思う)、つまり、逃げるだけの資格を持っているんだろうか、と後ろめたいような気分は若干残しつつ、でもやっぱり逃げることにする。逃亡、ではなくて逃避。虚構で結構です。
生きていますことはこんなにもうれしく、せつなく、めんどくさい。
許容できるめんどくささを残して剥ぎ落としていくと最後にのうのうとわたしが残る。そうゆうもんかい。そうゆうもんなのかい。
時実新子ははずむ日に猫を抱くと詠みなさったが、わたしはたいがい泣くとき猫をぎゅうぎゅう抱く、猫の横っ腹に顔うずめてふーふー言っていると猫がとても迷惑そうな顔で見る。今日は福島の避難地域に一時帰宅した住民の様子をニュースでやっていて、家に残してきたという23歳の猫が無事生きていたのを見てよかったねえよかったねえと涙ぐみながら猫を引き寄せて困惑された。あたしゃハンケチがわりかい。そういうことじゃないのよ、そうじゃないのよねねむさん。
中学校の校歌。を覚えていますかという問題。
ぜんぜん覚えてないわ。覚えてなさにびっくりするわ。
最後に校名が入ってることと、その校名の部分だけはなんとなくメロディを思い出せるけど、あとはさっぱりちんだ。
なんか途中で転調する複雑な曲だったような。
で、今どきの学校はホームページがあって校歌も載ってるので検索してみた。
いのちゅうHPは校歌メロディ付きだった。音のなるHPは嫌がられますぜ。有名な愛生会病院HP http://www.aiseikai.or.jp/ とか、ねえ。
それはともかく、転調する校歌は中学じゃなくて小学校(複数転校してるので3校目)のだということがわかりました。
それでもって、1校目の小学校校歌は山田耕筰作曲と聞いていたけど今調べてみたら違ってた、中田喜直という、「めだかの学校」「小さい秋見つけた」「夏の思い出」の作曲者だった。それはまた教科書でおなじみの歌ですこと。校歌制定は昭和37年。
作詞は巽聖歌という、『赤い鳥』で活躍して生涯多数の校歌を作詞した方だそうで、うん、今その小学校の校歌歌詞を見ると、校名だけ置きかえればもうどこの学校でもオールマイティに使えるような歌詞だった(地域色が詞にまったく織り込まれてない)、やはりプロとしてはこうゆうストックを大量に常備していたのであろう。
名古屋市立清水小学校校歌 http://www.shimizu-e.nagoya-c.ed.jp/syoukai/kousyou_kouka/kousyou_kouka.htm
いい校歌だと思います。半年くらいしか通わなかったけどこの校歌は今でも歌える。「自主協力が大きな願い」って1年生にはよくわからなかった。
中学の校歌の作詞者はどんな経歴の人だったんだろうと調べたら、春日井在住の人で、今もカラオケ指導や絵手紙教室の講師をしてはるらしい、どうゆう縁で校歌の作詞依頼がいったんだろう。
校歌とか、市歌とかの話になると、いつも宗左近のことがぽっと頭に浮かびます。参照 http://zerodama.com/ura0/sugouta/sugo1.htm
現・市川市民で元・声楽部ののっちに高らかに歌いあげて頂きたい市川賛歌、「透明の芯の芯」。尖りはじめる少女の乳首の富士。
女子声楽部にこれを強要するのはちょっとしたセクハラか。作曲は三善晃、これまた大御所ですね。
宗左近、好きなんですけどね。早熟な中学時代に長編詩「両国橋」読んで印象が強烈に焼き付いて忘れられない。死の国と生の国、戦中の国と戦後の国、男の国と女の国、の、両国の橋。
これとイヴァ・ビトヴァの「ミルクの流れに沿って( Proudem Mleka )」のイメージが重なって、川岸、とか、此岸彼岸、渡れない向こう岸、ていう言葉、いやもちろん意味も含めて、よく使うしよく光景が頭に浮かぶ。
彼岸と此岸を幾重にも つづら折りに 畳み込んでミルフイーユみたいになってるんだけど絶対に混じり合わないっていう光景…なんだろうね、結界かね、グラデじゃないんだよね。 練り返すこともなくてね。 キッパリ分かれて対面している。そういう場所のイメージ。
ちなみに、「ガタピシ」は仏教用語、漢字で書くと「我他彼此」。物事が対立して決着しない様子、だそうな。
◇
「ハマジマさんてわかります?」
「ハマジマさん…納入の人ですかね?」
「ええっと、映像関係の仕事してる…」
「…あ、もしかして、40代くらいの人かな、あの、…………歯が…」
「そうそうそれです、前歯の無いハマジマさん」
そうよねえ、「歯無しの」って言えばそんな極端な特徴のある人ほぼ特定できるのに、なんでその一大特徴がとっさに出てこなかったかなあ。見慣れすぎてて忘れたか。人って慣れるものですね。
静岡の観光協会が宿泊割引キャンペーンやってるのね。
宿泊施設割引、プラス、料金の一部を義援金として被災地に送金。
詳細 http://fujinokuni-gogo.com/index.html 「ふじのくにゴーゴーキャンペーン」
今間違えて一旦「ぶじのくに」って打っちゃった。無事の国。それもまたよし。
SPACの演劇祭も始まるし、観劇帰りに温泉宿で一泊のぷらり小旅行もいいなあ。
気になる演目というと、ペニノのタニノクロウ氏のとか、舞台版「ヒロシマ・モナムール」とか。
その「ヒロシマ・モナムール」詳細ページ、「【おとな向け】刺激の強い表現がありますので、若年層の観劇はおすすめしません。」ていう注意の書き方がちょっといいなと思った。「入場お断り」とか「禁止」とかじゃなくて「おすすめしません」。「遊泳禁止」じゃなく"it's not safe to swim"って看板表示する国の感覚だな。
◇
こないだのマーサ・グラハム生誕記念のアニメーションロゴが綺麗だったので、久しぶりにgoogleのホリデーロゴのアーカイブページ見る。
ここんとこ、ときどき動的ロゴが出てきておもしろいね。パックマン30周年のときのとかね。
これもスクリプト使用の動的ロゴ、http://www.google.com/logos/verne.html ジュール・ヴェルヌ生誕183周年記念、右側のバーを操作して潜水・浮上できる仕掛け。海底二万里の世界へ。
しかし183周年ってまたキリの悪い周年を。
◇
ネイチャーテクニカラーのキノコシリーズのエリンギとかなめことかマッシュルームとか、普段なじみのあるドメスティックなキノコが欲しくてガチャるのに、なんかガンタケとかマツタケとかベニテングタケとかある意味王様級のゴージャスキノコが出てきちゃうよう。こんなウチの冷蔵庫にいないような子は望んでなかったよう。
出先で偶然ガチャガチャを見かけたら一回挑戦する、というやり方なので、欲しい物に当たるかどうかは完全に運です、1000円くらい崩して連続でやれば一つ二つお好みのんが出てくるんだろうけどそういう大人買い的なやり方を潔しとせず、ええオミクジと一緒で大吉が出るまで引き続けるなんて邪道なのです、偶然の出会いの中に運命があるとの信念で、いや信念じゃないけど、そんなふうにガチャガチャやってるので手に入れたいものが効率よく入手できない。
効率、ってもの以外の価値というものもあるんじゃないかなあ、と、そうじゃないとやりきれない言い訳も込みで、思う。
非効率的人生を送ってきました。
◇
毎年6月は胃腸がぐずついて、胃カメラ飲まされたり、虫垂炎やったり、おおごとじゃない程度に病んでいる。
今年は前倒しきたかなあ、気圧の影響とかかなあ、台風来てたし。
どんぐり飲み込んだみたいに胸がつかえる。
食がたのしくないとあらゆるモチベーションが下がってよくない。おいしいもん食べたい。
今書いたのうっかり消しちゃった、日記。
書きなおす気力ないわね。
別のこと書くわね。
連休明け、予想通り忙しく、12時間労働続く、吐き気がひどい。
暖かくなる時期、ここ数年この季節になると消化器が不安定、偶然か、なんか原因があるのか、なんだろね。
新しいテレビ来た。
意外にも住んでる集合住宅は地デジ対策していた。
新しいテレビは、外付けHDDに録画できるやつ、便利。
地デジに対応してると、わざわざ地デ鹿が「あなたのテレビは地デジに対応しています」って言ってくるのね、CMで。そうですけどなにかって感じね。
名古屋市では来年春にマラソンフェスティバルというのを開催するそうな、うちマラソンコース沿線なんで市の職員か実行委員の人が説明に来はった。
マラソンフェスティバル。
コミックフェスティバルはコミフェス。ワンダーフェスティバルはワンフェス。マラソンフェスティバルはマラフェスかなやっぱり。
名古屋駅キオスクで。
名古屋土産に、新幹線ペーパークラフトボックス入りのういろう売ってた。
それも700系ドクターイエローのペーパークラフト。
ドクターウイローってか。ういろう好きの鉄ちゃんに如何。
昨夜、急に強い腰痛に見舞われる、そんでまた、吐き気、涙目、熱出る前兆かな、どうも、日和見な身体で、よくない。
じょしゅー じょしゅーと人馬は進む
徐州いよいか住みよいか~♪
相変わらず鼻歌が異常に古いワシワシです。
昭和なたたずまいがもう記念物的な中華料理屋、「徐州」のアサリ老酒蒸しがたいそう美味うござんした。
近くには中華料理屋「ハルピン」もあります、日本本州分くらい離れた二つの中華都市がここではご町内に。
先週は、連休も仕事、土日も仕事、通勤電車が空いているのはまあ楽だったけどなんか疲れた、3勤1休4勤の週はしんどい。9日が4勤目で、その後1休、それから、そのつぎの週末は土日休みだったかな、変則的。
明日行けばお休み、が、連休明けの本格稼働開始日って感じできっと忙しいんだろうな…やだやだ…
姉からベトナム土産と上海土産とシンガポール土産いただく、クルーズ船であのへんぐるっとまわったそうな、船旅が好きなセレブ姉で。
乗換もなく部屋でごろごろして船内映画館やカジノぷらぷらしてればいろんな国に着くから楽で好き、らしい、まあ、確かにでかい荷物持って空港やら電車やらホテルやら行脚しなくていいからラクだろうけどそんな理由かい。
連休終わってふと気づいた、あ、ねねむさん誕生日だったわ。4月末あたり。27日か8か9あたり。
人間だと44歳くらいだそうで。あらあたし猫だと6歳だわ。猫ざかりだわね。
みゅーさんは立派に成人、ハタチになり遊ばして、寝たきりにもならずお元気だそうで、うん、さすがは智恵子に拾われ水谷さんに育てられ田岡家に渡った猫、タダモンじゃねえ。
昔はみゅーさんと杏さんが仲良く並んで寝ているのをよく目にしたもんで、そのころ背丈もそんなに変わらなかったというのに、今や人間の娘さんの方は大学生ですもんね。
五月に入ったというのにからりとした五月晴れをまだ見てない。
職場近くのすがきやで冷やしラーメン食べる、夏っぽいな。
何着ていいかわからない季節、わからんわからんって言ってるうちに夏になる。
気がついたらアチェが閉店してて(また移転したのかも)、金融公庫時代から通ってたカフェが閉店して、今池ピアゴが閉店した。
身の回りが閉店盛りですよ。
ぱたんと閉じてオシマイ、さびしい初夏ですね。
忙しい日々にほんのわずか小休止、子供の日はお休み。ふー。
「子供の日」いうてもあんまり身近に子供いないな。
シューマンの「子供の情景」第一曲、「見知らぬ国と人々について」。
いまだに見知らぬものばかり。
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渋谷駅の岡本太郎壁画「明日の神話」にイタズラ(という言い方でいいのか、とりあえず他に言いようがないが)の話は感心しちゃった。
これね。 http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY201105020282.html
いや芸術の社会的使命とかよりも、まずは主に「手早さ」の部分に感心したんだけどね。
どう考えたって人通りが絶えるわけない場所だし(夜中はシャッターが降りている)足元エスカレーターだし、それを目撃者もなく2mのベニヤを通りすがりになにげに正確な位置に貼りつけてくってどんな職人技かと。
描かれた絵もちゃんとサイズも色味もタッチも綺麗に元絵に合わせてあるし、ほんとに職人さんというか本職の人がやったのかもしれないね。
そんで常日頃から壁画の右下の欠けてるっぽい部分が気になってたのかもしれない。
◇
イムコウは東松照明展観て東京帰ったそうな、あ、先越された。
絵、観にいきたいなあ。例えばキリコの絵、「通りの神秘と憂愁」、別に原画でなくてもいい、大きい複製画とかでいい。
◇
明日はつかのまのGW、丸亀製麺にうどん食べに行く約束です。
なんだい5月になればもやもやも晴れると思ったのにまだもやもやだ。
たかが気分じゃないかこんなもん。
たかが精神、たかが物質、それしきのことだとわかっているのに自力じゃどうにもなりません。
はあ。
連休は出勤です、今は、それが良いのか悪く作用するのかもよくわからん、熱で休んだ分を取り戻せるのは有難い、家でぼうっとしてるより仕事してた方が精神衛生に良いような、しかし病欠以外でリフレッシュのための休暇がにさんち欲しいような。
出口なし。か。
眼界の彩度の低さ。
そのグレースケール世界の中でも。
時間のミルフィーユ、堆積した記憶のいち層の中の古い幸福感、は、古びもせずに変わらず煌々しく、
そうかその人はそこに繋がる手がかりなんだなと思う。
パートカラーの一区画の。逃避かもしれない。
除外された一部分は。禁猟区みたいなんかもしれない。ここでは誰も撃たない。
会うと自動的に嬉しい、嬉しいと思うことが嬉しい。
今嬉しいのか昔嬉しかった記憶の再生なのか。I record
わたしが幸福じゃなくなってもわたしの幸福感は残り続けるのだなと思う。
◇
ヤジキタ復活公演、盛況だったそうでなにより。初演から9年?
初演は夏、思い出すのはマツミの「ジュテーム!」、熱闘甲子園から駆けつけてきたはまじ(はまじ不在の幕開けだった!)、互楽亭の岡持ち、しりあがりさんに貰ったサイン、夜毎ももちゃんと数えた小銭。蝉しぐれの中ホットコーヒー飲んで室外機の熱風で暖を取った異常な夏。
あれからみな順当に齢を重ね、あるいは齢を止め、立派になった人あり、芝居から遠ざかった人あり、相変わらずの人あり、いろいろに。