えっなんですか『 カトラ・トゥラーナ & 原マスミ 《弦楽バージョン》 復活ライブ!』って、えっ。いいなあ。
…いいなあ。
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伝記もの2つ。
1.
『評伝ナンシー関 心に一人のナンシーを』横田増生・著、読了。
読み終わった後になんか無性に『東京ガールズブラボー』(岡崎京子)読み直したくなった、80年代サブカル上京娘物語、ざっくりまとめるなってですか、時代の空気とか東京の特別感とかいろいろと思い起こすことがありましてね。
なんだろうな、今でも東京行けばこっちで見られないライブが見られてこっちで見られない芝居が見られて手に入りづらいお茶や本やCDが見つかって道端で芸能人とすれ違ったりできるんだのに、なんかやっぱり、「東京」の特別な感じって昔より(30年くらい前より)ずっと薄れてきてるような気がする、自分が年取ったせいもあるのかもしんない、行こうと思えば余裕で日帰りで行って帰ってこられるわけだし。
そんなふうにナンシー関のことより当時の東京に思いはせる読後でございました。というか当時自分がイメージしていた東京なんで、そもそもそんな都市ではなかったですよって言われるのかもしんない。
2.
『氷の花火 山口小夜子』松本貴子・監督、観賞。
綺麗だったよなあ、綺麗っていうか、端麗だよなあ今見ても。
めっちゃ山口小夜子ファンだったわけではないんですが見れば見入っちゃう美しさでしたよね、美の力っていうよりか魔力みたいなね、とりあえず、描いたもん。わしわし高校生の頃だったかしら。
その山口小夜子のモデルデビューからの経歴を、各界の人のインタビューをつないで辿る1時間半、ああこの頃の資生堂が一番好きだわ。
結城座の人形デザインとかもされたんですね。山口さんの方が人形らしいじゃないですか。
表現者のセルフコントロール力って凄いな…とか思う。
亡くなったのが確か王者舘の夏の公演の頃だったのよね、で、東京公演の時に天野さんがお客さんから「山口小夜子さんのお別れの会に行ってからこちらに来たけど、小夜子さんと王者舘はファンの傾向が重なってると思う」と言われたとか言ってたなあ、お客さんだったか評論家さんだったか、あがたさんだったかもしんない。
一つの美意識で作り込まれた世界、という点で通じるかもしんない、人工的な美というか、ナチュラルではないですよね、天野さんの芝居も山口小夜子も。嫌いな言葉だけど俗にいう「世界観」ってやつですか、設定とディテールがしっかりしてるんですよ。あちらの場合「山口小夜子」という設定を貫徹する、という。だもんでファン層がかぶってても不思議はないかなと。
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ナンシー関と山口小夜子。受信者の側と発信者の側から「見え方、見せ方」について表現し続けた2人の女性と言えますかしら。まとめるようなことでもないけど。
あとまあその、消しゴム彫って周囲を面白がらせているうちに仕事になってたとか、ドレメでモデル業を勧められて2年後にはパリコレデビューとか、なんというかこう、時代…みたいものは一瞬感じつつも、「何でも時代のせいにしてりゃあ、そりゃあ楽だわな」という田辺茂一(紀伊國屋書店創業者)の言葉を肝に銘じておくことにする。
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ぱいぱいでか美ですよ。
もしこの先ぱいぱいでか美が演技派女優とかになったとしてもですね、それを機に本名に改名とかしてほしくないです、だって芸能界から「ぱいぱいでか美」の名が消えるってものすごい喪失じゃないですか、この際ぱいぱいでか美本人のおっぱいが大きいかどうかは問題ではないのです、名前は呪力なのです、ぱいぱいでか美頑張れ。