2014年4月21日月曜日

たはむれタムレ

ノーフューチャー、ノープラン、そしてノーマネーの三重苦でうなうなしてますよ。


ノーウーマンとノークライを足せば五重苦ですね。違いますよ。


 


嘘です、戯れているだけです。大戯れをしたいんだけど具象化するにはちょっとまだ茫洋としすぎてるなあって。うなうな。


着想一瞬、構想十年、製作三十分の世界ですよ。なんたるアンバランス。


 


 


春のだるだる、略してハルダルももうじき終わるはずです。


 


 


ふだん、とんとヘッドホンとかイヤホンとかを利用しませんが、なんとはなし思いつきでiPhone5S付属の純正イヤホンで曲を聴いて、ああヤバい、これだった、音が直接頭のなかに入ってくるみたいな感じ、中毒者になりそうなんでこうゆうものを使わないんだった、と思い出した。


なんでしょうね、目の前のあれこれが遠のいて音の世界に閉じこもっちゃうのね、それはそれで、没頭しててもいい時はいいんだけど、いろいろ日常があるときは、やっぱりちょっと。


 


 


実家のハハが、NHKの特集視てサムラゴーチ氏のCD買ってたそーです。


「耳が聞こえない作曲家だって言うからわざわざ買ったのに、騙された、買って損した」


…曲自体はいい曲だから、とか、聾者への逆差別になるんじゃないのか、とか、そーゆうてらいもためらいもなく言い切るところが婆さんの強みだな、と思う。婆さんだからな。


そのハハが「オボカタさんはマスコミに弄ばれてかわいそうだ」と言ってましたよ、さっき。


 


 



 


夢をたくさん見ます。


憶えているような憶えていないような。


つながるようなつながらないような。


 


砂漠の涸井戸の底に子供が眠っている。


日も射し入らないひんやりとした穴の奥。


空とか海とか列車とか屋根とかありきたりなものを夢に見ている(だけど実際に見たことはない)。


砂漠の夜、井戸の内壁に水脈の音が響く。


地上から老婆が覗きこんでいる。長い蓬髪が降りてくる。腕に触れる。眠りを覚ます。


この髪にとりすがってここから出るか?


手繰って引きずり落とそうか?


分岐する、攀じ登って出たものは老婆になって砂漠をさ迷う、


引きずり落としたものは子供になってまた眠る。


後にも先にも、ここにいるのはひとりだけ。