2019年6月29日土曜日

清洲桜と青春

なんだか国産ジンが流行りみたいですね。
酒屋さんに行くとちょいちょい新しい国産ジンが紹介されている。柚子で香りづけしたの山椒が香るの桜が香るの、「和」のボタニカルに特徴付けたジンがあれこれ。

「清洲桜」の製造元・清洲桜醸造がジンを作ったと聞いて、先日の田岡さんの還暦祝いに贈りましたよ。我ら青春の酒、清洲桜。あの頃私たちの体液の半分は清洲桜で出来ていた。嘘だけど。
愛知県下で初めてのクラフトジンだそうで、西尾の抹茶、蒲郡のみかん、稲沢の生姜を使用とのこと。
地元なんで入手しやすいかと思いきや意外とレアアイテムだった。それでもジンにしては安価です、さすが清洲桜だわ。

日本のジンの輸出量が急拡大しているそうです。2018年の総輸出量で前年比6倍ですと。急なブームで枯渇したウイスキーと違って熟成に何年もかかったりしないからってこともあるのかな。
清洲桜ジンもどことなく海外進出を視野に入れた感じのネーミングな気がしました、「Aichi Craft Gin KIYOSU」。国内向きなら絶対信長推しで「天下GIN 信長」とか名付けてた筈だ、あそこなら。

国産ジンの情報サイト見るといろんなのあって面白い。「和の特徴づけならヒノキかヒバで香りをつけるのはどうだろう」とか思ったら、既に和歌山の酒造メーカーが高野槙使ったジン販売してた。なんか霊験あらたかな感じするね。あとユニークなのだとね、北海道の酒造メーカーのジンで日高昆布と干し椎茸と切り干し大根使ったのがあるね。ボタニカル…ボタニカル?先生、昆布と椎茸は植物に入りますか?

どんなもんだろって興味先行でプレゼントした清洲桜ジンは思いのほか美味しかったそうですよ、話のタネに飲んでみたいね。


得三開店20周年記念でオルケスタリブレと柳原陽一郎ライブ。
時々得三に柳原さん来てるの知ってたけど行ったことなくてね、今回団子先生やもちくんや田岡組と一緒に行ってきたよ。
マッキーズ四半世紀ぶりの対面だったらしいよ。コンビを組んで30年、春日部に家も建ちました(初回マッキーズのネタ)。

第1部はバート・バカラックのカバー中心、第2部は三文オペラからブレヒトソング。柳原さん出演の『三文オペラ』観てないんで初めて耳にしたけど、これはいい、と思いました。歌も訳詞も、それからやなちゃんのあの変な色気と芝居ヂカラと少しの殺気めいた怖さと、そういうのが全部マッチした感じ。総じて、カッコいい。すげえや。

ライブ聴きながら、歌声とか雰囲気とか、ジェフ・バックリィの「ハレルヤ」が似合いそうだなあ、と思いました、が、後から調べたらソロアルバムでカバーしてたんだね。ジェフ・バックリィというかレナード・コーエンのと言えばいいのか。それは聴いてみたい。

ライブの後でマッキーズ再会に混じって懐かしい話をちょいちょい、それこそ木の実で清洲桜を倒れるまで飲んでた日々。私ちょうどあの頃オージャに在籍してライブの打ち上げも参加してたけど柳原さんとはまったく接点なかったんだよな、知久さんとかあかねちゃんとかさっちゃんあびちゃんに構ってもらってたっけな、懐かしい。少年ノ玉でたまの役名「海月(くらげ)楽団」が読めなくてウミツキ楽団って名乗った話から松本さんの舞台上生放尿の思い出など。
ええ、私の中で日本維新派ってそういう団体、舞台の上で一升瓶ゲロ吐いたり放尿したり、だから「王者舘って維新派の模倣だよね~」って言われると「白塗りもしてないしゲロも吐かないしちんこ出さないし放尿もしねえよ!あんなものごつい有象無象アングラ模倣できないよ!」と反論したくなる。維新派イコール麦藁被って一糸乱れぬ少年少女なんて維新派東京進出以降に知った俄かファンの言うことだ(超偏見)。

それはさておき久しぶりの柳原さんライブは凄くカッコよかったのでピアノ弾き語りライブも楽しみだなあと思いました。


最近、再会や再開が増えたね。そういう年廻りかね。

2019年6月25日火曜日

あつささむさもげしししし

日曜、王者舘の以前の事務所の筋違いのへんで不発弾見つかって撤去作業してた。まだ古い長屋残ってるあたりだからなあ。
地下鉄の駅近いし大きな道路近いし高速近いし、であっちこっち閉鎖して住民避難させて、おおごとだったみたい。
半世紀以上前の不発弾が爆発するかっていうとこれが案外するもんらしくて、1999年には三重の木曽岬で、2009年には沖縄の糸満で爆発しちゃってるそうで。いまだたいへん危険。
で、不発弾の処理費用って掘り当てちゃった土地の所有者に請求がいくとWikipediaにあった、なんだその貧乏くじ引いた感。そいや遺跡(埋蔵文化財)掘り当てちゃった場合の発掘費用も土地の所有者負担とかなんだよね(こっちは自治体や開発条件にもよるらしい)。地面の下の地雷、いやそういう意味じゃなくて、地雷。大深度地下は公共空間扱いなのに、土地持ちは割に合わないねえ。


フードファイトと発熱が交互に来ますよ。もしかしてこれフードファイトが体力を奪っているのではないだろうか、体調悪くなったら絶食する犬猫は正しい、かもしんない。
でも金曜は田岡さんの還暦祝いだったので行かない選択肢は無かったのですよ、還暦祝いでフードファイトってどんな事態ですか。会場がビュッフェ方式イタリアンだったのですよ。
風俗求人バニラのテーマソングの替え歌でみんなでTAOKA還暦を合唱しましたよ。た~おか たおか 60歳♪これ三文字の名前だったら嵌るからこれから先の還暦ラッシュは全部バニラのテーマでお祝い可能です。


お祝いの翌日また発熱。回復したりまた臥せったり非常に辛気くさい。
「辛気くさい」と「陰気」を混同している人が少なくないですが、「辛気くさい」は物事がなかなか進まずじれったくてイライラする様のことを言うそうです。そして今わしわしはじれったくてイライラしている。
二歩進んで三歩下がる的な状態になってます。後退しとるやないか。
免疫力が落ちてるのかと思いきや、同時期にハウスダストで激しいアレルギー鼻炎発症。ぜんぜん免疫落ちてない。無駄に過剰な免疫力を発揮する一方でその辺の雑菌に蹂躙されて熱出したり。バランスおかしい。なんだかなあ。


インスタ、3日見ないともう追いつけない。そんな大量にフォローしてるわけじゃないのに。



正しいと思った方へ進んでいく、間違ってたら素直にごめんなさいする、でも答え合わせは死ぬまでないかもしんない。ほんとはとっくに間違ってるかもしんない。自信のない日々、生きていますことはこんなにも嬉しくせつないものですのに。

2019年6月21日金曜日

令和初夏至

あー、今回は大島が取りそうだねー直木賞。
なんか出版社の力の入れようが凄かったもんねえ。文藝春秋だし。菊池寛(文藝春秋社社長、芥川賞・直木賞創設者)は「本を売るために賞を作った」って言ってたって話があるそうですけど。


6月は病の季節。なのは分かっていたことなので今年はゆっくり過ごしてます。
臥せったり起きたりまたぶり返したり。回復してる時はでら旨いものをたらふく食べに行く巡り合わせでしたので栄養は摂れています。
変わりダネでは世界の山ちゃんのやってる飲茶屋、その名も世界のやむちゃんで点心フードファイトとか。
いやフードファイトじゃないけど。女子2人でお好きなもの頼み続けてたら結果的にフードがファイトな感じに。

栄の方ぐるっと歩いたらあっちこっちタピオカ屋さんができててしかもどこもすごい行列で、いやーこれが噂の、とか思った。タピオカ親王航海記。
台湾スイーツだったらタピオカよりあれ、クラッカーのヌガーサンドとか金銀饅頭とか葱花巻とか流行ってほしいの。葱花巻はスイートじゃないか、まああの手の台湾粉物に上陸してほしい。あとほら愛玉子とか、煮た豆類がやたら乗っかってるかき氷とか。ね。


留守のうちに閉店していったお店もちらほら。あら、あそこも閉店してたのか、と思う散歩道。
同じ数くらい新しいお店もできてた、経済動いてますね。
やたらでっかい看板で、何屋さんか書いてなくて、でもお店自体はそんなにでっかくなくて、閉まるの早くて、閉店後覗くと店内はカウンターしかない。ていうお店ができてて、「…質屋…?」と思った。同名の古美術商が近場にあるもんでさ。
正体は結局地元のテレビ番組で知った。今時流行りの高級食パン屋だった。
食パン1本(2斤分)800円ですと。予約なしの引換券配布方式で朝は大行列らしい。はー。ほー。
パンを求めて朝から並ぶ派ではないので食べる機会ははなさそうです。ぱんみみのパンが好きだからいいもん。
ぱんみみレギュラーが1斤350円、プレミアムが450円だからそれ考えたら2斤分で800円ってこの手の高級食パンの相場なのか。そんでもってい志かわとに志かわが別の高級パン屋って紛らわしいな。


散歩道で咲いてた野良あざみ。よんぬぉ50mmレンズで。


ちょいちょいテニオハとか細かい手直しして下の1001雑感書き上がりました。ちゃんと書けてからアップすればいいのにとりあえず書けたらそのままアップしちゃってそこから直すんだな、いつも。

MQ9リーパーはこないだイランで撃ち落とされてましたねえ…またキナクサイ…
あとリーパー(Reaper,刈り取り機)って「死神」の意味もあるんですね。

地獄の猛火(ヘルファイヤミサイル)を搭載した死神とかネーミングも内容も怖すぎるんですけど。殺る気まんまんってこういうことすかね。人殺しの効率化に余念のない人達だ。

2019年6月19日水曜日

1001雑感

あんだけ毎日毎日レイワレイワ言ってたのに、役所の書類を「令和」に修正するときすごく新鮮な感じがした。そんな「新鮮」もすぐ慣れるんだけど。

新元号が発表された日にBBCは「令和」とは ”order and harmony” を意味すると報じた。政府の公式英訳では「令和」は ”beautiful harmony” だそうで、そらま「令夫人」「令息」の「令」だけどやっぱ第一義は「命令」「指令」の「令」だよねと思う。上の他にもBBCは丁寧に一文字ずつ字義を解説していて、「令」は "commands" "order" "auspicious" "good"、「和」は "harmony"、そして日本語では "peace" の意味で最もよく使われると書いている。和ヲ令ス ”Command to make peace”、それはそれで別に悪い訳じゃない。

「東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス」(米国及英国ニ対スル宣戦ノ件・昭和十六年・詔書一二月八日)
開戦の詔書、それでさえCommand to make peaceではあった。なにも戦争を始めるときに、戦闘で世界を恐慌状態にして他国民を皆殺しにしよう、とは言わない。死ね死ね団(『レインボーマン』)でさえ「日本軍の占領下で受けた虐待に復讐する」という大義を持っている。この戦いに勝ったら平和になると思って兵隊さんは戦地に行く。正義の為に敵を殺す。どの兵隊さんも、どの時代も。正義が正義を殺してどうするんですか、復讐の原理が何を生むんですか。

SNSその他で1001の感想を斜め読みした。「明確なストーリーは無い芝居なのだろう」と何人か書いてた。明確なストーリー、起承転結ではないと思うけど「ストーリーは無い」と言い切られるものなんか。天野さんのやり方はいろんな情報が重なりすぎ混ざりすぎて一見真っ黒になってる。そこからもつれをほどいて読み解く暗号も、更にもういちど重ね合わせて読む暗号も、限りなく入っているのだと思う。私がテントの中の薄明りで見てた物語はこんな話、というのをつらつら書いてく。

至上命令を帯びて今まさに自爆ボタンを押そうとする青年、そして出撃命令を待つ特攻の二等卒。中東と大東亜は掛け合わされて中東亜となり、和平実現という大義名分を背負った現代イスラムと大戦時日本軍の兵士らが二重写しの存在になる。スーサイドアタック=自爆テロ、神風特攻隊、自らの命を犠牲に敵への攻撃を仕掛ける兵士たち。命令は神(Allah,天皇)のcommandである、彼らは実行端末である。エリアス・カネッティはシーア派に属する暗殺団の暗殺命令を「二重の死刑判決」であると書いた。敵の死刑と自らの死刑。死刑囚の刑執行前に希望の食事が与えられるように「最後の願いごと」が彼らに尋ねられる。声の主は人間の瞬く間を世界とする存在だ。何度目の問いだったのかはわからない。なぜなら兵士らは叶った願いも覚えていない儚い脳持つ人の子だからだ。そんな彼らの為に、もう一度だけ「最後の願いごと」が聞き届けられる。こうして「最後の願いごと」は何度も叶えられ忘れられていつまでも終わることがない。繰り返される「おしまい」のはじまり、いくつものループ、いくつもの入れ子。マルチバースに拡張する話のフレームの外の話。ものがたり語るものがたり。語り手はどちらなのか。互いを映しあう鏡のように果てがない。ボルヘスが「アレフ」で語った無限の全体を列挙する行為に似ている。「わたしはあらゆる地点からアレフを見た。アレフのなかに地球を、そして地球のなかにアレフを、さらにこんどはアレフのなかに地球を見た」。中心へ向かうフレームと、同時に逆ベクトルに拡がるフレームの無限集合。それは舞台の額縁を超えて拡がる。登場人物はおりふし舞台の上から「客の目」を話題にし、たびたび客席の灯が点く。あなた方もまた操られ、見られているのではないか。あなた方もまた劇場というフレームの中に語られている存在ではないか。

遠くの景色。tele-vision。機械式送受像装置、テレビジョン開発者の一人、ウラジミール・ツヴォルキンが第二次大戦より前に日本人の自爆攻撃(特攻)に対抗する手段として遠隔操作の映像技術(tele-vision)を想定していたという映像技術開発史のエピソードがある。それは今や夢物語でもなんでもなく、広域監視システムを備えた無人武装航空機が実戦投入されている。MQ-9リーパーは1機につき368個のイメージセンサーで直径15㎞の範囲を毎秒15フレーム撮影するという「神の目」を持ち、最新の5G移動通信システムはその巨大データをリアルタイムで地上に届ける。機械仕掛けの神風。そして敵に向かう目もあればこちらに向かう目もある(たとえばオーウェルの描いたビッグ・ブラザーのような)。神は双面で双方向的である。神の目、神の声によってcommandは増幅され、同時多発的に超広域に国土中の端末へ届けられる。
神とは何か、正義とは何か、永遠の平和とは何か。
日本の戦後とはそれらをネリカエスところから始まったのです。然るにまだ結論は出ていないのです。

閑話。公演後に覗いた名古屋の本屋さんで坂口安吾の『天皇陛下にささぐる言葉』が再編発行されているのを見かけた、坂口安吾の著作はもうだいぶ前にパブリック・ドメインになっているはずなんで中身は青空文庫かKindle0円辺りにあると思うがわしわし紙の本派なんで購入。景文館書店刊。表題作は昭和天皇が戦災地を巡幸していた時期に書かれたもの。当時の史料を読むに行幸先では泣きながら手を合わせる人、ひれ伏して拝む人、そりゃもう熱狂的な騒ぎだったそうだけれどもそんな民衆に坂口安吾は冷ややかである。その中にちょっとおもしろいなと思う一文があった。
「天皇が人間ならば、もっと、つつましさがなければならぬ。天皇が我々と同じ混雑の電車で出勤する、それをふと国民が気がついて、サアサア、天皇、どうぞおかけ下さい、と席をすすめる。これだけの自然の尊敬が持続すればそれでよい。天皇が国民から受ける尊敬の在り方が、そのようなものとなるとき、日本は真に民主国となり、礼節正しく、人情あつい国となっている筈だ。」
面白いなと思ったのは、退位の直前だったと思うが、コンビニ前でたむろしてる高校生男子が「天皇が退位したらマジでゆっくりしてほしい」「からあげクン美味しいから食べてほしい」と談笑する姿がSNSで報告されて話題になった(その後どこだったかのメディアが当学生にインタビューしてた)のを思い出したからだ。自然の尊敬とか人間としての敬愛とかいうのを「からあげクン美味しいから食べてほしい」の男子高校生はなかなかに体現してるんじゃないかなと。感涙ながらひれ伏しもせずかといって筵旗も掲げず、もしかして日本は結構ほどよく民主国になってるんじゃないかしらん、今の若い人はほんと礼儀正しくてやさしい人が多いね。

さておき。
母ちゃんの前にはコーラスラインならぬちゃぶ台ラインがあると思って演っている。母はちゃぶ台ラインを超えない。これは結界だ。家の中であり身の内でありまぶたの裡の存在だろうと思う。母ちゃんの非戦主義は一貫してぶれない。ちゃぶ台が転がったのを「だいぶ前のこと」と言うのだから、その後に続く男衆の場面(ちゃぶ台が転がったのを「今だ」と言っている)よりだいぶ後の存在ということになる(男たちはちゃぶ台ラインの外側の存在である)。母のいる世界ではコトは終わっていて平和が訪れている。ただしそれは夢のように短い。最期の瞬きに見た夢のように。おそらくこれがこの男の願いごとだ。平安のうちになつかしい母にお会いできたあとは死が待っているばかりなのだ。

終わらない物語の中に何人もの語り手が現れる。囚われのシェヘラザードは「何度繰り返しても君はいなくなる」と苛立たし気に青年に詰め寄る。全ての悲劇は死によって終わると詩人バイロンは言ったが、では死によって終わる物語はすべて悲劇だろうか。すべてのものは死ぬ、すべてのものはいずれ消えてなくなる。すべては悲劇だろうか。多重の死刑判決、落ちたり跳んだり刎ねたりした首たち。入り組んだ悲劇の最後に現れるのは機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)と相場が決まっている。そのサードマンめくデウスもどきは「わたし」の最後の最後の願いごと、「こんなセカイ、さっさとキエちまえ」を叶えてすべてを消して去っていく。どくさいスイッチの後みたいに、つるんと平になって「わたし」が残る。悲劇もなにもかにも消えたゼロの地平。いいえ、「わたし」は残る。はじまりの前もおしまいの後も憶えていないわたしとわたしたちが残り続けて逢魔が時の遠い景色に溶けていく。
ものがたり語るものがたり、語り済み済まし。