2013年9月28日土曜日

ダウナー・イン・ザ・ダーク

「だからさ、老人介護施設というのは、ぼくの考えるところでは、介護サービスを、来た老人にするのではなくて、来た老人に介護させる施設とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」


 


老々介護社会。


たしかに注文は多そうだ。いろんな意味で。


 



 


「チェリー」生産終了からもう2年ですか。


入手困難なさくらんぼの煙草を一日一本ずつ吸う異邦人の話が、鈴木志保の「船を建てる」にあったっけなーなどとふと思い出す。


 


ご時世か、喫煙者も少なくなりました。


帰り道ですれ違った男性からふわっと香った煙草の香りがすごく良い感じで、何か懐かしいものを嗅いだ気がした。


煙草臭でもくっさい人はくっさいのに、なんだろうあの違い。


 



 


竹久夢二美術館で小林かいち展開催ー。


行き掛けの駄賃で寄ってこうかな。


ニッポンのアールデコ好き。


小林かいちの描く着物の柄がまたモダンでいいんですが、本業が京都友禅の図案家だったと最近知る。本職さんか。


 



 


たまたま点けたテレビのドラマでありえない能舞台を見かける。


指導役のお玄人さんはなんも言わんのかなあ。


演出家は、たぶん、文楽と混同した。


 



 


なんかいろいろ。


どうでもいい、とるに足らない、しょうもないないことばかりだけど、こういくつも重なるとどーんよりしてくる、どーんより。


自分の周りで起きていることは自分には関係ないことなんだと思っていないと病みそう、いや、「自分の周りで起きていることは自分には関係ないこと」と思っているひとはそれ自体既に病んでいるか。



2013年9月22日日曜日

いざよふ

スカーフ留めはスカーフを留めるけど帯留めは帯を留めないなあ、と思っていましたが。


あれは「帯に留める」という意味なのかしら。と、ふと思い至る。


 



 


執着が無くなっていくというのは、随分怖いことなんだなと思う。


執着は欲動だ。


執着は愛だ。


好奇心と執着心が無くなったら死んじゃうよな。


 



 


十五夜の月を見ると、「あ、ももちゃんの誕生日が近いんだっけ」と思い出す。18日。


夏の終わりに命日がきて。それから誕生日がきて。それから10日ほど後にニワシュウの命日がきて。


死んだ人のことばかり思う時期だ。


 


不安と不穏はそのへんの気分に引き摺られましたか。


進めないのです。


いざよってしまうのです。


 



 


unknownとunko nowはもうちょっとでアナグラムだったのにな、と思う秋の夜長。


くだらないことを考えられるうちはまだ大丈夫、と思う秋の夜中。



2013年9月20日金曜日

のんのん

なんかだるくてしかたなくて沈むように眠ってしまうこのごろ、朝夜めっきりすずしくなりました、8月過ぎて台風過ぎていつのまにか十五夜、時間のたつの早いのは年取った証拠だそうですよ。


離れて見ても同じ月、気象だの天体だのに感慨深く物思うにぽんじんでございます。


 


ひとだんらくついたら整頓しようと思い続けて、さて、ひとだんらくとはいつくるのか、いつになったらこの混沌は整頓されるのか。


 


思い出したり。不安になったり。不穏だったり。なんでかますぐでない道行き。


今がいちばんいいんだけど。今がいちばんいいと思ってるんだけど。


やりたいことがだいたいできて。やりたくないことはだいたいやらなくてよくて。言いたいことが言えて。聞きたいことばが聞けて。モフりたいときにモフれて。


今がいちばん夢に近い理想的な日々なんだけど。そのはずなんだけど。


 


◇ 


 


絵。


タバコのおばさん。


写真 2013-09-20 0 57 12.jpg


 



 


選んだつもりが選ばれている。よくあること。


 


ばたばた淘汰されてゆく中を知恵や強さで生き残ってステージを上がって。


最後まで勝ち抜いたらどんなよいことがあるかと思っていたら、いちぬけた人らが想像もしんかったような酷いことが待ってるかもしれない。


さっさと脱落していればこんな目に遭わずに済んだものを。


注文の多い料理店。


注文の多い企業。


注文の多い自治体。


注文の多い高齢化社会。


注文の多い国家。



2013年9月11日水曜日

秋腰

腰、きましたー。


あはははははははは。


笑いごとじゃないときほど笑いたくなるのはなんなんだろう、あははははははははは。


症状的には腰そのものより、左足の指がぷらんぷらんです。歩きづらいったらありゃしない。


 


不安だからよろけるのかよろけるから不安になるのか、精神は身体であることについて思う。


 



 


すっかり秋めきました。


 


8月中にやらないと「間に合わない」気がすることいくつか、花火、冷やし中華、浴衣、宿題。


この夏は急にゆかた着たくなって、でも紗の夏着物は持ってるけどゆかたを持ってない、まあよしとしよう、で8月のうちにお着物着てお出かけした。


古い着物を対丈で、細帯を低めに結ぶ「男の着方」、腰紐が少なくてすむので楽といえば楽。


しかしあの「おはしょり」というの、裾が乱れても衣紋が詰まっても、すべての不都合はおはしょりにたくしこんで直せ、という超便利ゾーンである。あれはすごいと思う。


そして西洋服がダーツをとったりギャザーを寄せたりして立体的に人体に沿うように進化していったのに対する和服のこの進化、


つまり平面的な布を大量のヒモで胴体にぴったりくくりつけちゃおうという、しかもその上でシワやタルミが無いのが美しいとする審美基準、そういうものに感心をする。


 



 


JPNICアーカイブスで「インターネット歴史年表」正式版が公開されましたな。


https://www.nic.ad.jp/timeline/


ぱらぱら眺めながら、あれこれ懐かしく思い出したり。