勇者ヒンメルの死から40日後
つうことでとにかくこちら(此岸)はやっていかなきゃいけないし時間は流れていくんですけども
情緒も多少落ち着いてきたので自分のことを書く…
内々な精進落とし的な席で「結局、死ぬってどういうことなんだろう」と圭一さんが言い、まあ、ほんとうに、こんな死をめぐる物語を何十年も一緒にやっていて、いまさらのようだけどやっぱりわからない。死をめぐる物語、いや、死のわからなさをめぐる物語かしら、生をどんなに微分しても死にはならないし死をどんなに微積分しても生にはならない、そういう近づけそうで近づけない、わかりそうでわからないことをずっとやっているように思ってきた。それにしたってわしが死ぬとはこいつはたまらんってやつですか。
団子先生が楽しみにしてたか違うと思っていたかわからん公演パンフレットが葬儀の日に刷り上がり、昼前出棺なので棺に入れること叶わず、あと1日早かったら間に合ったのになあと残念に思い、思った直後に「いや、ぜんぜん間に合ってない、どっちにしろ死んでるから読めない」とセルフつっこみが入り、つまり、自分の中ですごくあやふや。どこにもいないし確かにいないし、それでもあれだけの、あれもやりたいこれもやりたいまだまだやりたいの溜めに溜めたパワーがただ肉体が無くなったくらいで消えるものかしらと思うし、じゃあ、じゃあ結局生きてるってなんなの、って人類の宗教発生の原初の感情みたいになる。結局、死ぬってどういうことなんだろう。
公演始まり、「天野さんだったら『いーの!』て言うね」「絶対言ってるよね」みたいな会話をしながら、でもてんぴょんはもういないじゃない、とも思う。
生きているうちは固定の座標があったものが死ぬと偏在しちゃって、客席にもいそうだしロビーにもいそうだし打ち上げにも来てそうだし実家にもいそうだし、それはつまり観測者であるこちらの内面の話なんだけど、極端な質的変化があるわけで、すべてのポートレートは遺影になるしちょっとした言葉が金科玉条というか子曰くになってしまいそうになるまであって、まあ、生きてる人間のなかの話になる。
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それいゆのラストのパタパタ(文字パネル)について、イワヲさんが「再演の時は、やりながら『結局これは誰の言葉なんだろう』と思ったけど、今回たまたまこういうことがあったから観る人はみんなあの言葉に天野さんを重ねちゃうんだよね。そりゃあ泣くよ」と言った。
まあそう、観てる方としては勝手に重ねちゃうんだけど、いったんそれはさておいても、天野さんの作劇がすごいなと思うのはああいうところで、同ポジをはじめとして最新技術もデジタル技術もなんでも貪欲に取り入れる中で、パタパタとかめっちゃくっちゃ手動でめっちゃくっちゃアナログでびっくりするほど役者は大変なシーンで、台本だとほんの数行の単語群で、なのになんか演劇で音と光がついて役者が生で時にたどたどしくパネルを反してカタコトの単語が繰り出されたときにものすごく情動が掻き立てられるっていう、言ってみればなんで「これだけのこと」がこんなにも感情を揺さぶるのかわからないんだけど、あれってほんとに演劇、舞台でしか成立しないことをやってると思い、あの効果を計算できた天野さんって凄い演劇設計者だなあって思った(※再演時の感想)。
あれだけすごいテンポで2時間ずーっと喋り倒してからのあの無声のシーンっていう対比もあるし、また、役者の発声ならその声音やら表情やらがひっかかりになってとどまれるんだけど文字だけで声色や役者個別の情報がないからね、それですうっと持ってかれる、今回で言えば天野さんに重ねる、ていうのがあるよね。
そういえば最近、東京大学大学院総合文化研究科から興味深い研究成果が出てたな、「2体のしめじが近づくと感情豊かにみえる」社会的な動きがつくと、見る人は目鼻のある人形よりむしろしめじの方に感情を見出してしまうらしいですよ。原理として近いものがある気がする。
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一昨日、きゅうりがのどにひっかかって激しくむせて、おばあちゃんかよ、あんまり急激に激しく咳き込んだのでその拍子に鎖骨と肋骨あたりで腕の神経叢を圧迫したらしく、両脇から指先まで火花が散るような痛みと痺れ、重だるさに襲われてしかもそれが咳き込むたびに再現し、ひとたび咳き込むと10分以上両腕が痛痺れて動かせないという難儀なことになった。
咳で腕が痛むなんて初めてのことだったのでようよう治まってからなんだこれって検索して、検索結果筆頭が「肺がん」だったのでああー、と思う。あ、自分のはむせたときの反射的な動きが原因のやつって確信があったからがんじゃないのはわかってんだけど、そじゃなくて、「今、絵を描き太陽に描くのが難しいのじゃ」って言ってたのってこういうことか、って身をもって知った気がして。たかが咳由来の瞬間的な神経圧迫でさえ腕痛重すぎてしばらくスマホも持てないのに、これに近いかこれより酷い状況でよく描いてくれたなあ。
その熱烈な表現欲で、彼岸を越えてはこれまいか。