2009年1月31日土曜日

昭和歌謡に身をよせて

厨房でごはん仕込んでると知らん間に鼻歌でてきませんか。


野菜切りながら、まったく無意識に「アカシヤの雨がやむとき」をくちづさんでいて。田岡さんに「えらい歌うたってるなあ!」と言われた。


  アカシヤの雨にうたれて このまま死んでしまいたい~


確かにえらい歌だ。


なんかいきなりの昭和歌謡ブームでした。台所鼻歌界では。


「ざんげの値打ちもない」とか「カスバの女」とか「星の流れに」とか。はすっぱな歌ばっかやね。


  すさむ心でいるのじゃないが 哭いて涙もかれはてた


  こんな女に誰がした


「誰がした」ってあたりがすごいな昭和歌謡。うらみがましいぜ。


そして買い物に出かけると仁王門アーケードでは「悲しくてやりきれない」を流していた。ああ昭和。


 


昭和歌謡のすごいとこ。若いのに異様に苦労している。


     十五 十六 十七と 私の人生 暗かった  (「圭子の夢は夜ひらく」)


 


  あれは二月の寒い夜 やっと十四になった頃 (中略)

  愛と云うのじゃないけれど わたしは抱かれてみたかった  (「ざんげの値打ちもない」)


 


十四才。中学二年くらいよね。


「エッチしてみたーい」くらいはともかく、「抱かれてみたかった」ってすごい場末感ただよう中学生だこと。


 


昭和歌謡のすごいとこ。唐突。


 


  ここは地の果てアルジェリヤ  (「カスバの女」)


 


いきなりなのす。どこよアルジェリヤ。ジャミラよ夜明けは近い。(ジャミラ…アルジェ独立戦争時の女性ゲリラの名)


 


 



 


大曽根のイオンのマクドナルドでコーヒー飲んで一休みしてた。隣に女子高生2人組。


「じゃあさ、付き合ってる人いる?って訊いたらいいじゃん!そしたら絶対『べつに~』って言うから、じゃこのまま付き合っちゃおって言ったら乗ってくるよ!」


「えーでもなー、前〇〇ちゃんと付き合ってたみたいだし…」


というような会話、あら青春、女子高生は甘酸っぱい。と思いつつ耳そばだててると


「まっ、結局はちんことまんこの話なんすけど!きゃははははっ」


…おい!さっきまでの初々しさはどこ行ったんだよ!


というわけで女子高生こわい。ざんげの値打ちもない。


 


某さんへの募る想い語る女子に


「一回くらいやっちゃったらいいんじゃないスか」とささやくありちゃんは大変に現代的。


しかしあれだよ妻子持ちはやめときなよ。浮気でも本気でも不都合があるからさ。


愛と云うのじゃないけれど。


 



2009年1月29日木曜日

ではまた

冬の青空の冷たいのを見上げて、ああ、わたしこれ思い出すな、いつか思い出しているな、と思った。


七ツ寺の受付机の前に立って見た冷たく冴えた青空。


その光景がライトフレアの印象と渾然と繋がっていて、いつかこの先この芝居のこと思い出すときにこの冷たい青空も同時に思い出したのだな、と思う。


既視感、とも違うし、あの感覚ってなんだろう。未来に完了しているものを思い出す。


 


シフォンの碧南公演のときも寒かった、雪が降った。一年前。


三河の車窓から碧南ゆき三河線車中


 


覚えているのは、なんだかやけに嬉しくっておしあわせでたまらなかったこと、新たな病を得たかと思うくらいの多幸感で(そうゆう病気も存在する)、


「ぼくが消えてもこの幸福感は残りつづけるだろう」とナボコフの小説みたいなことなかば本気で思っていた。


 


RIMG2306.JPG碧南文化会館楽屋夕景


 


今現在だっていつかはなつかしく思うのです。


 


公演中って無防備に他人に近づきすぎて終わった後反動がくる。


人に見せたくないとこも人に言っちゃいけないことも剥き出しにしていた。この1年。


しばらく壁つくって籠ります。独りと春鬱に飽きた頃また出てきます。


ではまたね。